僕の可愛い忠犬一行
仕事始めの午後、第八管区の廊下で薪と青木を見つけて、白石は足を止めた。
「青木、そこで待っていろ。すぐに戻るから」
「承知しました」
機密情報を扱う資料室の前。直立不動の姿勢で薪を待つ青木の姿を見た白石は、あまりの既視感にぼーっとしながら踵を返してデスクに戻った。重ねていたのは勿論、あの元旦の朝、薪所長が連れていたコタローより一回り大きな賢い犬のことだ。
さっきの場所に戻ると、案の定、青木は忠犬さながらドアの前で待っている。
「室長」
彼女は慈愛に満ちた目で背の高い上司を見上げ、引き出しに潜ませていたお気に入りの正月用おつまみを差し出した。
「これ、噛みごたえがあってお勧めなんで、どうぞ……いいコにしていてくださいね」
「え? ああ、ありがとう……?」
手渡されたのは、『厚切りジビエ おつまみジャーキー』
不思議そうに首を傾げる青木の仕草も、今の白石には「首を振る大型犬」の愛嬌にしか見えなかった。
その晩、母と舞が先に寝静まった青木家にて。
ソファに腰掛けた薪は目を丸くして、テーブルに広げられたパッケージのラベルと、青木の顔を交互に見比べた。
「……白石が、これを?」
彼女が青木をどう見ているかは、先日の公園の一件で察しがついている。だが、一見すると「犬のおやつ」と見分けがつかないような代物を、屈託なく上司に贈る彼女の天然さは、薪にとって少しばかり面白くないものだった。
――この男を犬扱いしていいのは、世界で僕一人だけだというのに。
「彼女はお前を何だと思っているんだ。……いや、お前がそうさせているのか」
「え? これは単にお勧めだからじゃないですか? 『雲仙鹿牧場』のジビエといえば通の間でも有名で……薪さんのお口にも合うはずです。とにかく、食べてみませんか?」
裏表のない真っ直ぐな瞳。そんな青木に、薪はふっと目を細める。少しだけ意地悪で、熱を帯びた光をその瞳に宿らせながら。
「いいだろう。ならそこへ座れ、青木」
薪が指さした場所へ、青木は素直に正座した。ソファの上ではなく、薪の足元の絨毯の上だ。見上げる瞳は純真に輝き、今にもブンブンと振られる尻尾の音が聞こえてきそうだった。
「お手」
「えっ……薪さん?」
「聞こえなかったか? ……お手だぞ」
差し出された薪の、形のよい手のひら。青木は戸惑いながらも、吸い寄せられるように自分の大きな手を重ねた。
「おかわり」と言われれば、疑いもせずにもう片方の手も重ねる。
薪は満足そうに口角を上げると、ジャーキーの一片を指先でつまみ上げた。
「よくできたな。ほら」
薪はそれを青木の口元へ運ぶ。
だが、すぐには与えない。青木が食もうと顔を寄せると、薪はわざと指先を少しだけ引き、青木の唇を優しくなぞるように肉片を滑らせた。
「……っ」
堪らず喉を鳴らし、青木が薪の指ごとジャーキーを唇で捉える。
スモークの香りと肉の旨味。だが、それ以上に青木の感覚を支配したのは、指先に触れた薪の肌の熱と、自分を支配するように見下ろしてくる彼の艶やかな視線だった。
「白石にこんな顔、見せていないだろうな」
薪の声が妖しく鼓膜をなぞる。
「……まさか……あなただけに決まってます」
青木はジャーキーを飲み込むと、そのまま薪の膝に顔を埋めた。薪の指が青木のうなじにかかる髪をゆっくりと梳き、愛犬を撫でる手つきが、一人の男を煽りたてる動きで甘く肩や背を這う。
「……躾が必要だな。他人の前で、そんな顔をしないように」
「……はい。ご指導……お願いします……」
我慢の限界だった。青木は薪の腰を抱き寄せ、そのままソファへと押し倒す。
「お預け」を待てない駄犬でいい。
青木は薪の首筋に鼻先を寄せ、理性で押し殺していた本能を剥き出しにする。
テーブルに散らばったジャーキーの袋など、もう目に入らない。
今、何よりも味わいたいのは――愛しい飼い主の滑らかな肌と、その奥に潜む、自分だけが知っている熱なのだから。
「青木、そこで待っていろ。すぐに戻るから」
「承知しました」
機密情報を扱う資料室の前。直立不動の姿勢で薪を待つ青木の姿を見た白石は、あまりの既視感にぼーっとしながら踵を返してデスクに戻った。重ねていたのは勿論、あの元旦の朝、薪所長が連れていたコタローより一回り大きな賢い犬のことだ。
さっきの場所に戻ると、案の定、青木は忠犬さながらドアの前で待っている。
「室長」
彼女は慈愛に満ちた目で背の高い上司を見上げ、引き出しに潜ませていたお気に入りの正月用おつまみを差し出した。
「これ、噛みごたえがあってお勧めなんで、どうぞ……いいコにしていてくださいね」
「え? ああ、ありがとう……?」
手渡されたのは、『厚切りジビエ おつまみジャーキー』
不思議そうに首を傾げる青木の仕草も、今の白石には「首を振る大型犬」の愛嬌にしか見えなかった。
その晩、母と舞が先に寝静まった青木家にて。
ソファに腰掛けた薪は目を丸くして、テーブルに広げられたパッケージのラベルと、青木の顔を交互に見比べた。
「……白石が、これを?」
彼女が青木をどう見ているかは、先日の公園の一件で察しがついている。だが、一見すると「犬のおやつ」と見分けがつかないような代物を、屈託なく上司に贈る彼女の天然さは、薪にとって少しばかり面白くないものだった。
――この男を犬扱いしていいのは、世界で僕一人だけだというのに。
「彼女はお前を何だと思っているんだ。……いや、お前がそうさせているのか」
「え? これは単にお勧めだからじゃないですか? 『雲仙鹿牧場』のジビエといえば通の間でも有名で……薪さんのお口にも合うはずです。とにかく、食べてみませんか?」
裏表のない真っ直ぐな瞳。そんな青木に、薪はふっと目を細める。少しだけ意地悪で、熱を帯びた光をその瞳に宿らせながら。
「いいだろう。ならそこへ座れ、青木」
薪が指さした場所へ、青木は素直に正座した。ソファの上ではなく、薪の足元の絨毯の上だ。見上げる瞳は純真に輝き、今にもブンブンと振られる尻尾の音が聞こえてきそうだった。
「お手」
「えっ……薪さん?」
「聞こえなかったか? ……お手だぞ」
差し出された薪の、形のよい手のひら。青木は戸惑いながらも、吸い寄せられるように自分の大きな手を重ねた。
「おかわり」と言われれば、疑いもせずにもう片方の手も重ねる。
薪は満足そうに口角を上げると、ジャーキーの一片を指先でつまみ上げた。
「よくできたな。ほら」
薪はそれを青木の口元へ運ぶ。
だが、すぐには与えない。青木が食もうと顔を寄せると、薪はわざと指先を少しだけ引き、青木の唇を優しくなぞるように肉片を滑らせた。
「……っ」
堪らず喉を鳴らし、青木が薪の指ごとジャーキーを唇で捉える。
スモークの香りと肉の旨味。だが、それ以上に青木の感覚を支配したのは、指先に触れた薪の肌の熱と、自分を支配するように見下ろしてくる彼の艶やかな視線だった。
「白石にこんな顔、見せていないだろうな」
薪の声が妖しく鼓膜をなぞる。
「……まさか……あなただけに決まってます」
青木はジャーキーを飲み込むと、そのまま薪の膝に顔を埋めた。薪の指が青木のうなじにかかる髪をゆっくりと梳き、愛犬を撫でる手つきが、一人の男を煽りたてる動きで甘く肩や背を這う。
「……躾が必要だな。他人の前で、そんな顔をしないように」
「……はい。ご指導……お願いします……」
我慢の限界だった。青木は薪の腰を抱き寄せ、そのままソファへと押し倒す。
「お預け」を待てない駄犬でいい。
青木は薪の首筋に鼻先を寄せ、理性で押し殺していた本能を剥き出しにする。
テーブルに散らばったジャーキーの袋など、もう目に入らない。
今、何よりも味わいたいのは――愛しい飼い主の滑らかな肌と、その奥に潜む、自分だけが知っている熱なのだから。