捧げ物
十二月の末。
大掃除の喧騒の中、クローゼットの隅で眠っていたそれは、青木の長い指につまみ上げられた瞬間、冬の陽光を浴びて鈍く光った。
ゲラン「夜間飛行」
空になったスクエアの瓶を手に、青木は胸をざわつかせる。
中身はとうに尽きているのに、キャップの奥には凍てつく夜の風のような、鋭い残香が張り付いていたから。
「薪さん、これ……」
「……ああ。捨てていい」
振り返った薪の瞳は、凪いでいた。後ろめたさはない。ただ、綺麗な唇が淡々と事実を告げた。
「八年前……亡き親友が使いかけてたものだ。僕はそれを纏うことで、彼を僕の心の中に生かし続けようとしていた。自分を罰するためにも……青木、お前が来るまでの五ヶ月間、僕はそうして、夜を凌いできた」
その告白は、青木の胸に冷たい楔を打ち込んだ。鈴木という「過去」の重さと、薪が一人で耐えてきた暗闇の深さ。
青木は空瓶を握りしめ、ただ一言、「分かりました」とだけ答えた。
その二週間後。
第八管区、離島の現場捜査に同行してほしいという青木からの要請に、薪は応えた。
現場捜査が終わる頃には、海は夜の闇に呑み込まれ、連絡船の最終便はとうに出た後だった。
「野宿だな。……詰めが甘いぞ、青木」
呆れたような薪の声に、青木は不敵に微笑む。
「いえ。あなたにそんな思いはさせませんよ」

導かれた先は、災害用ヘリポートの簡易格納庫。
そこには、青木が手配していた第八管区のヘリが、翼を休める巨鳥のように鎮座していた。
「どうぞ、これを」
手渡されたフライトジャケットは、薪の身体を温かく包み込む。全ては青木の計画通り――この夜を二人きりで飛び越えるためだった。
ローターの風が夜を切り裂き、機体は垂直に上昇する。
漆黒の海、散りばめられた街の灯。コックピットの計器が、薪の榛色の瞳を淡く照らした。
「飛行士は、飛ぶために、どんな闇の中でも星を見失わないんです」
ヘッドセット越しに、青木の低い声が響く。
「薪さん。あなたが背負っている闇も、罪悪感も、俺が操縦する機体の一部です。光を目指して一緒に飛びましょう」
操縦桿を握る青木の横顔には、一点の迷いもなかった。
「鈴木さんが、あなたを導く星の一つなら。俺は、目的地へ向かう翼になってあなたを運びますよ。これからも、ずっと」
薪は、ふっと息を吐いた。
かつて愛読したサン=テグジュペリの一節が、ふいに脳裏をかすめる。
「……愛するとは、互いに見つめ合うことではなく、共に同じ方向を見つめることである。だったか」
薪の呟きに、青木は苦笑を漏らした。
「ああ、それは俺には、少し難しいかもしれません。……どうしても、あなたを見つめずにはいられないから」
薪は唇の端をわずかに上げた。
「……少しのよそ見くらいなら、いいだろう。お前の操縦も、昔よりはだいぶマシになった」
言い終わるや否や。
激務、そして今の全幅の信頼が、薪の意識を微睡みへと誘う。
小さな寝息とともに、隣で預けられたその無防備な重みこそが、何よりも確かな愛の証だと、青木は誇らしく胸を熱くした。
夜空をゆく銀色の翼。
かつての孤独な「夜間飛行」は、今、二人で光を目指す旅路へと変わっていた。
大掃除の喧騒の中、クローゼットの隅で眠っていたそれは、青木の長い指につまみ上げられた瞬間、冬の陽光を浴びて鈍く光った。
ゲラン「夜間飛行」
空になったスクエアの瓶を手に、青木は胸をざわつかせる。
中身はとうに尽きているのに、キャップの奥には凍てつく夜の風のような、鋭い残香が張り付いていたから。
「薪さん、これ……」
「……ああ。捨てていい」
振り返った薪の瞳は、凪いでいた。後ろめたさはない。ただ、綺麗な唇が淡々と事実を告げた。
「八年前……亡き親友が使いかけてたものだ。僕はそれを纏うことで、彼を僕の心の中に生かし続けようとしていた。自分を罰するためにも……青木、お前が来るまでの五ヶ月間、僕はそうして、夜を凌いできた」
その告白は、青木の胸に冷たい楔を打ち込んだ。鈴木という「過去」の重さと、薪が一人で耐えてきた暗闇の深さ。
青木は空瓶を握りしめ、ただ一言、「分かりました」とだけ答えた。
その二週間後。
第八管区、離島の現場捜査に同行してほしいという青木からの要請に、薪は応えた。
現場捜査が終わる頃には、海は夜の闇に呑み込まれ、連絡船の最終便はとうに出た後だった。
「野宿だな。……詰めが甘いぞ、青木」
呆れたような薪の声に、青木は不敵に微笑む。
「いえ。あなたにそんな思いはさせませんよ」

導かれた先は、災害用ヘリポートの簡易格納庫。
そこには、青木が手配していた第八管区のヘリが、翼を休める巨鳥のように鎮座していた。
「どうぞ、これを」
手渡されたフライトジャケットは、薪の身体を温かく包み込む。全ては青木の計画通り――この夜を二人きりで飛び越えるためだった。
ローターの風が夜を切り裂き、機体は垂直に上昇する。
漆黒の海、散りばめられた街の灯。コックピットの計器が、薪の榛色の瞳を淡く照らした。
「飛行士は、飛ぶために、どんな闇の中でも星を見失わないんです」
ヘッドセット越しに、青木の低い声が響く。
「薪さん。あなたが背負っている闇も、罪悪感も、俺が操縦する機体の一部です。光を目指して一緒に飛びましょう」
操縦桿を握る青木の横顔には、一点の迷いもなかった。
「鈴木さんが、あなたを導く星の一つなら。俺は、目的地へ向かう翼になってあなたを運びますよ。これからも、ずっと」
薪は、ふっと息を吐いた。
かつて愛読したサン=テグジュペリの一節が、ふいに脳裏をかすめる。
「……愛するとは、互いに見つめ合うことではなく、共に同じ方向を見つめることである。だったか」
薪の呟きに、青木は苦笑を漏らした。
「ああ、それは俺には、少し難しいかもしれません。……どうしても、あなたを見つめずにはいられないから」
薪は唇の端をわずかに上げた。
「……少しのよそ見くらいなら、いいだろう。お前の操縦も、昔よりはだいぶマシになった」
言い終わるや否や。
激務、そして今の全幅の信頼が、薪の意識を微睡みへと誘う。
小さな寝息とともに、隣で預けられたその無防備な重みこそが、何よりも確かな愛の証だと、青木は誇らしく胸を熱くした。
夜空をゆく銀色の翼。
かつての孤独な「夜間飛行」は、今、二人で光を目指す旅路へと変わっていた。
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