上司が熱を出したので

「薪さん、お薬飲みますか?」

「ぅ……ん……」

 高熱ですごくお辛そうだから、一度だけでも熱を下げた方がいい。が、解熱剤はたいがい胃に負担をかけるので、服用する前に何か少しでもお腹に入れていただかないと、ただでさえ胃弱っぽいこの人にはキツいだろう。
 青木は少し考え込んでから、思い切ってケータイ手に取った。


『あれ?一行、どうしたの?』

「姉さん、急に申し訳ないんだけど……」

 電話した先は、恵比寿に住んでる姉だ。

『え? 買い出し?』

「ごめん、大変な時に。実は職場の上司が熱出して、訳あって家で看病しててさ」

『えっ、それって……』

 何故か姉の声が急に色めきたつ。
 いくら姉の勘が鋭くたって、上司が美人だってことまでわかるはず無いのに。

「無理はしなくていいから。姉さんも大事な時だし、いざとなったら俺一人でどうにか……」

『ううん、遠慮はダメよ。 私が悪阻の時、一行いつも買い物とかしてくれてたじゃない?そろそろ臨月だから動かなきゃならないしさ。それよりこんな貴重な機会、逃したら一行も困ると思うよ』

「え?」

 “貴重”って何だ? 何が困る? なんか無駄にはりきってる姉を訝しみながらも、好意に甘えることにする。

『それで? 何がほしいの?』

「えっと、お粥は作れるんだけど、飲み物とか冷えピタとか……あと寝間着的な?」

 向こう側で「クスッ、お粥…」と苦笑混じりに繰り返す声がきこえる。
 ときに自分より年季の入った言葉遣いをする四つ下の弟が、姉にはかわいく思えるのだろう。

『う〜ん、炭水化物は重いかも。フルーツゼリーとかの方がよくない? あと寝間着って……ルームウェアだよね、どんな感じの人なの?』

「えっと、姉さんより年上なんだけど、物凄く可愛らしくて、見た目高校生のような……」

『えっ? てことは30代とかで高校生?……イメージわかないなぁ、写真ある?』

 写真嫌いな人なんで一瞬焦るが、自分が着任した当時先輩たちがふざけてグループチャットで回してた昔の広報写真を思い出して探し出す。

「一応あるけど……身内限定なんで扱いは気をつけて」

『ふふ、わかってるよ』

 弟のおカタイのには慣れっこな姉は、笑顔のまま送られた画像を開いて『え、かわいい…』と電話の向こうで頬を赤らめ真顔になっている。

 そんな姉のトキメキを知る由もない青木は、即刻引き受けてもらって一安心。
 さすが姉は偉大だ。透視でもしてるかのように薪さんの小鳥の胃袋を見抜き、寝間着いやルームウェアも良いものを見立ててくれそうだ、とホクホクしていた。

 あとは待つだけ……なのだが、苦しげな薪をみていると時間が経つのがやけに遅く感じる。

「まきさん……大丈夫ですか」

 薪の額に滲む汗を拭う。
 氷水を張った洗面器にタオルを浸して当てると、少し安らいだ顔になって、とろりと目が開いた。

「……ぁ……ぉき……」

「お薬ありますから、もうすこし待ってくださいね」

 まるで牙の抜けた猛獣みたいな鬼上司は、かわいらしくてつい伸ばしてしまった部下の手に、ゴロゴロ喉を鳴らしかねない猫みたいにうっとりと頭を撫でさせている。
 全身を撫で回しそうな勢いのヘンな昂りを落ち着かせるため、手持ち無沙汰な青木は、薬袋を開けてみる。

 中を覗いて、目がテンになった。

 解熱剤は服用薬じゃなく、座薬だったのだ。
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