上司が熱を出したので

 不夜城とも伏魔殿(?)とも揶揄される科警研法医第九研究室。
 そこで激務をこなしながらすくすく成長し、虐げられてもあるじを崇拝してやまない忠犬だけが、ここ数日の室長の異変に気付いている。

 ただでさえ大きな目がとろんと潤んで幼くなり、声もどこか緩慢で熱っぽい。
 日に日に症状が進み、今日なんてほぼ限界であろうことも。
 だから傍を離れられないでいたのだ。

「お前、まだ居たのか」

「ええ、あの……」

「帰れと言ったはずだが」

「でも、さっきの画から数日後時点で、また気になるモノが出てきまして……」

 内心怯えながら居座る捜査席のすぐ後ろから舌打ちが聴こえる。

「貸せ、後は僕がやる」

 マウスに添えた手の上に被せられた二周り小さな手。
 その掌が伝える熱に青木の心がにわかに奮い立つ。
 ここは薪さんに逆らってでも、これ以上ご無理をさせてはダメだ、と。

「……なんだ? 離せ」

「あなた、熱が……ありますよね?」

 上司の細い手首を掴み、青木が真顔で訊く。
 “熱!?” という不穏な言葉に、周囲がちらほらと振り向き始める。

「フン、お前の手が冷たいだけだろ」

「違いますよ。だってほら……」

 目に見えてざわつく周囲。
 バサッ、カコーン……と書類やマウスがデスクや床に落ちる音がして。
 目の前の光景に皆一斉に凍りつき、捜査の手が止まっていた。

 だって青木が薪の額に自分の額をくっつけているのだ。
 片や疚しさゼロの大真面目な心配顔で。そして片や薪の方は……

「青木、おまっ!」

 我に返った岡部が、のぼせて湯気がでそうな薪を青木から引き剥がす。

「えぇ……室長顔真っ赤……」

 部屋の隅から漏れた曽我の呟きに、ピキピキと青筋をたてた薪が「うるさい!」と振り向こうとして、そのまま床に崩れ落ちる。寸前に抱きとめた岡部が青木を睨んだ。

「青木。これはどういうことなんだ!?」

「どういうこと……って、薪さん週明けからずっと体調が悪かったじゃないですか」

「だから、何故それを知ってるんだ?」

「いえ、何となくそんな気がしただけですけど」

 岡部は盛大なため息をついた。
 当初気に入らなかった青木の妙に利く嗅覚も、今では役立つことを認めざるを得ない。
 薪の体調のことも、多分当たってるのだ。

「じゃあ責任取ってお前がマンションにお送りするんだな」

「え、なんで俺の責任!? てかお任せいただいてホントにいいんでしょうかっっ」

「ああ。あいにく俺は手が離せないヤマがある。そもそもお前はキリがついて、一時間以上も前から帰れと言われてたんだろ?」

「でも俺だって、さっきの案件でもう一つ気になる点があって……」

「大丈夫だ、その件は俺が引き受ける」

 状況を察した今井が、立ち上がった青木の捜査席に既にスタンバっている。

 倒れた薪は相当荒れ模様。意識を取り戻した時近くにいれば手酷い煽りを食らうだろう、と皆怖気づいているのだ。

「わかりました。でも、悩ましいのは……」

 普段から叱り飛ばされ慣れてる青木は免疫力が違う。悩みのポイントも見事にぶっ飛んでいた。

「薪さんが気を失ってるんじゃマンションのセキュリティを通れませんよね。かといって俺の家にお連れするのもなんですし……」

「はぁ!?」

 メンバーはあんぐり口を開けた顔になり、それぞれに腕組したりや頭を抱えて考えを巡らしはじめる。

「でも悩んでる時間はないですね、やっぱ俺がお預かりします」

 青木は自分のリュックを背負うと、唖然としている岡部から薪の身柄を引き受ける。

「あと、念のため医務室寄りたくて……このまま運びますので曽我さんすみませんが、サポートお願いできますか?」

「エッ、俺?」

 仮眠用シーツに手早く包んだ薪をお姫様抱っこして、捜査室を後にする青木を追いかける曽我。

 ドアの向こうに消える三人を見送ったメンバーは、戸惑い冷めやらぬまま仕事に戻るしかない。


 そして30分が経った。
 
「おい、どーなったんだよ大丈夫か?」

 一人で戻ってきた曽我に小池が思わず駆け寄る。

「大丈夫だよ。青木が経口補水液と解熱剤貰って、薪さんをタクシーに乗せて連れて帰ったから」

「無事って、お前。お、送り狼とかには……」

「おいおい、送ってもいないのに狼にはならないだろ。連れて帰ってるんだからさ」

 心配症な小池とあまりにも無邪気な曽我。やりとりに聞き耳を立てていたメンバー全員フクザツな心境を隠して、仕事を続行する。

 我らが室長の無事をいろんな意味で・・・・・・ただ祈るしかない。
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