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177.母成峠を目指して (夢主・盛之輔・時尾・勉・恵・蒼紫)
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時尾の実家を後にした武尊は母成峠へ向かった。
靴ずれも痛むのでそこそこに加減しながら歩くと猪苗代に着くころには夕方前だった。
時尾の言ったとうりその日は猪苗代で宿を探した方がいいと思いつつも武尊はそのまま母成峠を目指すことにした。
「ゆっくりでも進めば明日が楽だもんね。野宿ったって人もそんなに通らないだろうし、山の中で勝手に焚火しても怒られなさそうなところが明治の良い所かな。」
あははと笑いつつも武尊には夜に峠までの道を歩いてみたかったという気持ちがあった。
なぜなら今夜が下弦の最後の日。
十年前の出来事に十六夜丸が関係しているのなら、自分の身体になんらかの反応があるかもしれないと思ったからだ。
山中で日が落ちると今までと同じように辺りは真っ暗になった。
星明りとフクロウの声で歩く道。
すれ違う人もなく、一人分の足音だけが耳に響く。
「道自体は十年前と変わってないはずなんだけどなぁ・・。」
暗くてよく分からないが、道は以前と同じはずと思って歩いてみる武尊だったが夜は十六夜丸の時間だ。
やはり武尊が覚えているようなものは特になかった。
「十年も経てばさすがに会津戦争の残骸とかはないのかな・・兄様の痕跡も・・。」
これだけ歩いても何も収穫がないと武尊も疲れて来た。
「今どこら辺なんだろう。そろそろこの辺で休もうか・・。」
武尊は歩いてきた道を振り返った。
自分の足取りはそのまま自分が重症を負った場所への辿り道。
武尊は周りの森が暗い分だけ過去へ迷い込むのではないかという不思議な錯覚に陥りそうになった。
武尊はほどよい平らな場所に焚き木を焚いた。
パチッ。
時折木がはぜる音が響く中、武尊は焚き木の明かりをじっと見つめてその夜を過ごしたのであった。
余談雑談:
鶴ヶ城が再建されたのは昭和四十年九月。
平成二十三年春には幕末時代の瓦(赤瓦)に葺き替えられようやく建設当時の姿になったそうです。
昔の建築技術での再建はいったいどれだけ沢山のお金がかかったのでしょう。
沢山の方々が寄付をされたそうです。
やはりそれだけ会津は愛されてるんですね。(涙)
それから時尾さんの御実家(高木盛之輔宅)の事ですが現在の若松商業高校の辺りに在ったようです。
そこは鶴ヶ城の堀のすぐ西側!(こんなに近いのー!)
っと思わず叫んでしまったほどに。(^_^;)
そして同じ区画の反対側には山本覚馬と八重さんのお宅もありました。
夢小説を妄想しているというのに、こんなに歴史を勉強させてもらってます。
るろうに剣心、奥が深し!!
さて、一日で東京から会津に着いた蒼紫ですが、これは左之助に対抗させたかっただけなんです。(^_^;)
左之助でたどり着くなら御頭なら余裕で着くな・・と思ったわけでありました。
2015/01/15
靴ずれも痛むのでそこそこに加減しながら歩くと猪苗代に着くころには夕方前だった。
時尾の言ったとうりその日は猪苗代で宿を探した方がいいと思いつつも武尊はそのまま母成峠を目指すことにした。
「ゆっくりでも進めば明日が楽だもんね。野宿ったって人もそんなに通らないだろうし、山の中で勝手に焚火しても怒られなさそうなところが明治の良い所かな。」
あははと笑いつつも武尊には夜に峠までの道を歩いてみたかったという気持ちがあった。
なぜなら今夜が下弦の最後の日。
十年前の出来事に十六夜丸が関係しているのなら、自分の身体になんらかの反応があるかもしれないと思ったからだ。
山中で日が落ちると今までと同じように辺りは真っ暗になった。
星明りとフクロウの声で歩く道。
すれ違う人もなく、一人分の足音だけが耳に響く。
「道自体は十年前と変わってないはずなんだけどなぁ・・。」
暗くてよく分からないが、道は以前と同じはずと思って歩いてみる武尊だったが夜は十六夜丸の時間だ。
やはり武尊が覚えているようなものは特になかった。
「十年も経てばさすがに会津戦争の残骸とかはないのかな・・兄様の痕跡も・・。」
これだけ歩いても何も収穫がないと武尊も疲れて来た。
「今どこら辺なんだろう。そろそろこの辺で休もうか・・。」
武尊は歩いてきた道を振り返った。
自分の足取りはそのまま自分が重症を負った場所への辿り道。
武尊は周りの森が暗い分だけ過去へ迷い込むのではないかという不思議な錯覚に陥りそうになった。
武尊はほどよい平らな場所に焚き木を焚いた。
パチッ。
時折木がはぜる音が響く中、武尊は焚き木の明かりをじっと見つめてその夜を過ごしたのであった。
余談雑談:
鶴ヶ城が再建されたのは昭和四十年九月。
平成二十三年春には幕末時代の瓦(赤瓦)に葺き替えられようやく建設当時の姿になったそうです。
昔の建築技術での再建はいったいどれだけ沢山のお金がかかったのでしょう。
沢山の方々が寄付をされたそうです。
やはりそれだけ会津は愛されてるんですね。(涙)
それから時尾さんの御実家(高木盛之輔宅)の事ですが現在の若松商業高校の辺りに在ったようです。
そこは鶴ヶ城の堀のすぐ西側!(こんなに近いのー!)
っと思わず叫んでしまったほどに。(^_^;)
そして同じ区画の反対側には山本覚馬と八重さんのお宅もありました。
夢小説を妄想しているというのに、こんなに歴史を勉強させてもらってます。
るろうに剣心、奥が深し!!
さて、一日で東京から会津に着いた蒼紫ですが、これは左之助に対抗させたかっただけなんです。(^_^;)
左之助でたどり着くなら御頭なら余裕で着くな・・と思ったわけでありました。
2015/01/15