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175.会津へ(もう一人追加) (夢主・蒼紫・剣心・薫・山本少尉)
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武尊は背中に大きめの自作ナップサック背負い、同じく自作の頭陀袋(ずだぶくろ)を首から斜めに掛けて道を往く。
ナップサックにはコートと斎藤からもらった刀が入っている。
とは言っても刀はナップサックには入りきらず蓋から飛び出している。
しかし一応刀袋に入っているおかげか今のところ呼び止められてはいない。
すれ違う人は結構な割合で珍しいものを見るように武尊を見ていく。
見たこともない背負子に刀入れて武尊のように運ぶ人は過去に多分いなかったはずだ。
武尊はちょっぴり気まずくなりながらも、
(そんなにこの恰好が珍しいんかい。そりゃ私も一応は危惧したよ、カバンの歴史が変わるんじゃないかって・・でもそれくらいは許されると思うよ、いや、むしろ便利と思うなら広まるべき!)
と自分自身に言い訳しながら会津を目指す。
頭陀袋の中にはこれまた自作のメモ帳(といってもかなり大きいが)と矢立とお金が入っている。
何しろ東京から会津までまともな地図もなにもないのだ。
会津戦争に参加したという山本少尉から会津への道のりを概略教えてもらったが、詳しくはその都度人に聞きながら行くしかない。
それをメモ帳に書き込みつつ次の宿場へと向かうという作戦だ。
季節は旅に持ってこいの十月下旬なのだが往復どれくらいかかるか分からないこの旅は武尊にとってそんなに悠長に構えてられなかった。
なにせ武尊には東京へ帰って来なければならない理由があるからだ。
(少し急ぎ気味で行かなきゃね・・。)
と、昔のくせで三歩以上は駆け足でと武尊は走った。
江戸幕府が倒壊して十年ほどが経ち、東京を中心に鉄道が走るなど近代化は目覚ましいものがあるが、ひとたび山の方へ向かえばそこは幕末ような静かな道が広がっている。
(日本橋から宇都宮までは奥州街道と日光街道は兼ねているらしいからそこまではとりあえず迷う事はないかな。)
靴があって本当によかったと武尊は思う。
わらじや草履では多分こんなに走れない。
(こっちに来てそんなに走ってなかったからな・・運動不足の体のためにもちょっと走るかな。)
会津までの280km、武尊はかなり無理して五日で会津に着いた。
「町だ・・白川から近道教えてもらって山道抜けて来たけど無事着いた・・よかったぁ~。」
けれども安心して気が抜けたら足が酷く痛む事に気が付いた。
道中誤魔化し誤魔化し走ってきたのは良かったが靴ずれがひどかった。
「イテテ・・宿を探す前にどこか近くに診療所ないかな。上手くいけば恵さんの情報もあるかもしれないし。女医なんて多分珍しいからどこにいるか分かればいいんだけど。」
そう言って武尊は町を見回しながら診療所を探した。
少し歩いて武尊は気になった事があった。
(ここは確かに会津だと思うんだけど・・何人もの人にそれは聞いて確かめたから間違いないんだろうけど・・あの有名な城がない?)
会津といえばその姿が鶴が舞う如く美しい城、鶴ヶ城が有ると聞く。
あの有名な上杉謙信の息子の景勝の頃に、いやそれよりもごく最近、戊辰戦争の時には確かに城があったはずだ、と武尊は首を傾げた。
武尊の居た未来においても官軍の集中砲火を浴びて穴だらけになった写真も残っていたことを思えば城は確実に存在するはず。
だが天守閣は何処にも見えなかった。
首を傾げながら歩いていると診療所があった。
とりあえず化のう止めで塗ってくれればラッキーぐらいの気持ちで武尊はそこを訪れた。
ナップサックにはコートと斎藤からもらった刀が入っている。
とは言っても刀はナップサックには入りきらず蓋から飛び出している。
しかし一応刀袋に入っているおかげか今のところ呼び止められてはいない。
すれ違う人は結構な割合で珍しいものを見るように武尊を見ていく。
見たこともない背負子に刀入れて武尊のように運ぶ人は過去に多分いなかったはずだ。
武尊はちょっぴり気まずくなりながらも、
(そんなにこの恰好が珍しいんかい。そりゃ私も一応は危惧したよ、カバンの歴史が変わるんじゃないかって・・でもそれくらいは許されると思うよ、いや、むしろ便利と思うなら広まるべき!)
と自分自身に言い訳しながら会津を目指す。
頭陀袋の中にはこれまた自作のメモ帳(といってもかなり大きいが)と矢立とお金が入っている。
何しろ東京から会津までまともな地図もなにもないのだ。
会津戦争に参加したという山本少尉から会津への道のりを概略教えてもらったが、詳しくはその都度人に聞きながら行くしかない。
それをメモ帳に書き込みつつ次の宿場へと向かうという作戦だ。
季節は旅に持ってこいの十月下旬なのだが往復どれくらいかかるか分からないこの旅は武尊にとってそんなに悠長に構えてられなかった。
なにせ武尊には東京へ帰って来なければならない理由があるからだ。
(少し急ぎ気味で行かなきゃね・・。)
と、昔のくせで三歩以上は駆け足でと武尊は走った。
江戸幕府が倒壊して十年ほどが経ち、東京を中心に鉄道が走るなど近代化は目覚ましいものがあるが、ひとたび山の方へ向かえばそこは幕末ような静かな道が広がっている。
(日本橋から宇都宮までは奥州街道と日光街道は兼ねているらしいからそこまではとりあえず迷う事はないかな。)
靴があって本当によかったと武尊は思う。
わらじや草履では多分こんなに走れない。
(こっちに来てそんなに走ってなかったからな・・運動不足の体のためにもちょっと走るかな。)
会津までの280km、武尊はかなり無理して五日で会津に着いた。
「町だ・・白川から近道教えてもらって山道抜けて来たけど無事着いた・・よかったぁ~。」
けれども安心して気が抜けたら足が酷く痛む事に気が付いた。
道中誤魔化し誤魔化し走ってきたのは良かったが靴ずれがひどかった。
「イテテ・・宿を探す前にどこか近くに診療所ないかな。上手くいけば恵さんの情報もあるかもしれないし。女医なんて多分珍しいからどこにいるか分かればいいんだけど。」
そう言って武尊は町を見回しながら診療所を探した。
少し歩いて武尊は気になった事があった。
(ここは確かに会津だと思うんだけど・・何人もの人にそれは聞いて確かめたから間違いないんだろうけど・・あの有名な城がない?)
会津といえばその姿が鶴が舞う如く美しい城、鶴ヶ城が有ると聞く。
あの有名な上杉謙信の息子の景勝の頃に、いやそれよりもごく最近、戊辰戦争の時には確かに城があったはずだ、と武尊は首を傾げた。
武尊の居た未来においても官軍の集中砲火を浴びて穴だらけになった写真も残っていたことを思えば城は確実に存在するはず。
だが天守閣は何処にも見えなかった。
首を傾げながら歩いていると診療所があった。
とりあえず化のう止めで塗ってくれればラッキーぐらいの気持ちで武尊はそこを訪れた。