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168.函館と待ち人 (夢主・小国先生・斎藤・永倉・新市巡査)
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予定が狂ったと武尊は一旦藤田家へ戻って来た。
藤田家の門が見えた時、もう一つ武尊の目に入ったものがあった。
それは見た事のある警官で、武尊尊に気が付くと走って武尊の方にやって来た。
(あれは・・新市小三郎五等巡査・・・。)
まさか藤田警部補に今更用事かと武尊が思っていると、新市五等巡査は武尊の前で立ち止まり敬礼した。
「土岐一等巡査殿!探しました!よかったです、本当見つけることが出来て。」
見つけたと言われて一瞬ギクッとした武尊だったが冷静を保って言った。
「私はもう警官をやめたんだ、一等巡査はよしてくれ。それから藤田警部補は開拓使へ赴任したんだけどそれも聞いてない?」
「あ、うっかりしてました、そうでした!どうして警察やめてしまったんですか?土岐一等・・じゃなかった土岐殿は僕たち若い警官の目標だったんですよ~!」
とても感情的に言われて土岐は面食らった。
「私は何もしてないよ、大げさに言うのはやめてくれ。」
「そんなことはないです!土岐殿はあの厳しい藤田警部補に音をあげないで一緒にお仕事されてましたし、あの鯨波を手なづけ、極めつけは川路警視総監殿の御命を救った英雄ですから!」
(おいおい・・・・。)
なぜこんなに自分の事が誇大された噂が警視庁に蔓延しているのか、武尊は驚きを通りこして呆れた。
警察やめててよかったと思いつつもそんな事をわざわざ言いに来るわけがないと、
「で・・警官じゃない私に何の用?それとも藤田警部補の方?」
と聞くと、
「いえ、土岐殿の方です!実は本日異人が本庁にやって参りまして土岐殿にお渡しして欲しいと言われた書状がありまして、たまたま内務省に出かけられる警視総監殿がそこを通りかかり、その書状をこちらにお届けするように自分が申し仕りましたという次第であります!」
最後まで元気よく喋った新市巡査は武尊に書状を手渡すと、
「確かにお渡しいたしました!」
と、武尊に再度敬礼をしてシュタタタと戻って行った。
「何なんだ・・。」
武尊は唖然と新市五等巡査を見送った。
手渡されたのは蝋で封印された洋封筒。
武尊はそれを持って藤田家へ戻り縁側に腰掛けた。
余談:
この夢小説はリアルさを感じてもらいたいということで出来る範囲で史実を取り入れておりますが、明治政府による阿片の人体実験の話は全くの作り話でございます。
その辺はよろしくお願いいたします。
さて、出てきました【永倉左之平】!
その正体は永倉さんでした!
さて今回は永倉さんについて少し書きたいと思います。
るろうに剣心ファンの方は新撰組に詳しい方も多いと思いますので御存知の方は軽く流してください。
永倉さんは斎藤さんより五歳年上です。
今回も夢小説の中に盛り込みましたが、永倉さんは会津藩の降伏を知った後江戸へ戻り元の松前藩士として帰参、明治4年に藩医の杉村介庵の娘と婿養子として結婚して松前に渡ります。
明治6年家督を相続して杉村治備(のちに義衛)と改名してます。
以前この夢小説の中で武田観柳を北海道の刑務所へ突っ込もうと刑務所探しをした時に現在の北海道月形町にある月形刑務所(当時は樺戸集治監)に入れようと思ったのですが明治十一年にはまだ樺戸集治監がなかったということでボツにしたことを書きましたが、なんと、永倉さん、そこができた後、明治十五年から四年間、そこの看守に剣術を指導していたということです。
さらに幼少の頃の名前ですが(武士なので幼名があったみたいです)、その名を栄吉若しくは栄治といったそうです。
栄次と字は違いますが読みが一緒で、思わず「へ~。」と思ってしまいました。
更に、子孫ですがひ孫さんが現在活躍中の方が2名いらっしゃるようです。それが、
杉村 悦郎氏(永倉新八の伝記を書いていらっしゃいます。)
と、
杉村 重郎氏(某アニメ関係の会社の前代表取締役でいらっしゃいます。また、アニメ【こち亀】のプロデューサーでしたり、アニメ【キテレツ大百科】の撮影監督でいらっしゃったり・・。
永倉さんの子孫と私達世代って全く無関係ではないって何かすごい!
2014.10.27
藤田家の門が見えた時、もう一つ武尊の目に入ったものがあった。
それは見た事のある警官で、武尊尊に気が付くと走って武尊の方にやって来た。
(あれは・・新市小三郎五等巡査・・・。)
まさか藤田警部補に今更用事かと武尊が思っていると、新市五等巡査は武尊の前で立ち止まり敬礼した。
「土岐一等巡査殿!探しました!よかったです、本当見つけることが出来て。」
見つけたと言われて一瞬ギクッとした武尊だったが冷静を保って言った。
「私はもう警官をやめたんだ、一等巡査はよしてくれ。それから藤田警部補は開拓使へ赴任したんだけどそれも聞いてない?」
「あ、うっかりしてました、そうでした!どうして警察やめてしまったんですか?土岐一等・・じゃなかった土岐殿は僕たち若い警官の目標だったんですよ~!」
とても感情的に言われて土岐は面食らった。
「私は何もしてないよ、大げさに言うのはやめてくれ。」
「そんなことはないです!土岐殿はあの厳しい藤田警部補に音をあげないで一緒にお仕事されてましたし、あの鯨波を手なづけ、極めつけは川路警視総監殿の御命を救った英雄ですから!」
(おいおい・・・・。)
なぜこんなに自分の事が誇大された噂が警視庁に蔓延しているのか、武尊は驚きを通りこして呆れた。
警察やめててよかったと思いつつもそんな事をわざわざ言いに来るわけがないと、
「で・・警官じゃない私に何の用?それとも藤田警部補の方?」
と聞くと、
「いえ、土岐殿の方です!実は本日異人が本庁にやって参りまして土岐殿にお渡しして欲しいと言われた書状がありまして、たまたま内務省に出かけられる警視総監殿がそこを通りかかり、その書状をこちらにお届けするように自分が申し仕りましたという次第であります!」
最後まで元気よく喋った新市巡査は武尊に書状を手渡すと、
「確かにお渡しいたしました!」
と、武尊に再度敬礼をしてシュタタタと戻って行った。
「何なんだ・・。」
武尊は唖然と新市五等巡査を見送った。
手渡されたのは蝋で封印された洋封筒。
武尊はそれを持って藤田家へ戻り縁側に腰掛けた。
余談:
この夢小説はリアルさを感じてもらいたいということで出来る範囲で史実を取り入れておりますが、明治政府による阿片の人体実験の話は全くの作り話でございます。
その辺はよろしくお願いいたします。
さて、出てきました【永倉左之平】!
その正体は永倉さんでした!
さて今回は永倉さんについて少し書きたいと思います。
るろうに剣心ファンの方は新撰組に詳しい方も多いと思いますので御存知の方は軽く流してください。
永倉さんは斎藤さんより五歳年上です。
今回も夢小説の中に盛り込みましたが、永倉さんは会津藩の降伏を知った後江戸へ戻り元の松前藩士として帰参、明治4年に藩医の杉村介庵の娘と婿養子として結婚して松前に渡ります。
明治6年家督を相続して杉村治備(のちに義衛)と改名してます。
以前この夢小説の中で武田観柳を北海道の刑務所へ突っ込もうと刑務所探しをした時に現在の北海道月形町にある月形刑務所(当時は樺戸集治監)に入れようと思ったのですが明治十一年にはまだ樺戸集治監がなかったということでボツにしたことを書きましたが、なんと、永倉さん、そこができた後、明治十五年から四年間、そこの看守に剣術を指導していたということです。
さらに幼少の頃の名前ですが(武士なので幼名があったみたいです)、その名を栄吉若しくは栄治といったそうです。
栄次と字は違いますが読みが一緒で、思わず「へ~。」と思ってしまいました。
更に、子孫ですがひ孫さんが現在活躍中の方が2名いらっしゃるようです。それが、
杉村 悦郎氏(永倉新八の伝記を書いていらっしゃいます。)
と、
杉村 重郎氏(某アニメ関係の会社の前代表取締役でいらっしゃいます。また、アニメ【こち亀】のプロデューサーでしたり、アニメ【キテレツ大百科】の撮影監督でいらっしゃったり・・。
永倉さんの子孫と私達世代って全く無関係ではないって何かすごい!
2014.10.27