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167.左之助の頼み (夢主・左之助・かふぇおじさん)
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マーティンは曲を弾き終えると、立ち上がって再びカウンターへ行き、グラスにブランデーを注いだ。
そして一気に飲み干そうとした時、左之助がソファー越しに自分を見ていることに気が付きグラスを下ろした。
「・・オコシテシマイマシタカ。」
と、マーティンが謝ると左之助は、
「最初から寝てねぇよ。いきなり飯を食わせてくれるなんて話がうますぎると思ったがまさか俺をダシに使ってるとは気づかなかったぜ。」
と、言った。
左之助の言葉にマーティンは本当に左之助が寝ていなかった事を知った。
「スマナカッタデス。オワビニ アナタガ カナラズ ニモツハコビ デキルヨウニ タノンデミマース。」
「もちろん荷物運びもやる。だけどそのまま俺をどこか外国へ運んでくれるように頼んでくれねぇか。こちとらちょいと理由ありの身なんでね。」
「・・リョケン ハ アリマスカ?」
「リョケン?何だそりゃ。」
「ムゥ・・。」
わけありの身で旅券などあるわけないかとマーティンはしばし腕組みをして思案した。
明治政府とは良い関係にある自分が密航の手伝いをしてよいのだろうか。
悩んだマーティンは最後の決断をするために左之助をじっと見た。
破天荒かもしれないがその中にどんな逆境にも負けない打たれ強さや前向きの姿勢を見た。
左之助もマーティンの顔を見た。
まるで視線をバチバチと火花を飛ばしているようだった。
そしてようやくマーティンは口を開いた。
「イイデショウ、ワタシモ ワカイコロハ イロイロ ムリヲシタモンダ・・。『オトコハ ウミヲコエテ ツヨクナル』、ソウ チチオヤ ニモイワレタ。ワカリマシタ、ナントカ ハナシヲ シテミマショウ。」
「恩にきるぜ、じいさん。」
そう言って左之助は立ち上がりマーティンの方へ近づいた。
途中で棚の写真に気が付き、左之助はなんとなく近づいてそれを手に取った。
「お、フォトガラか。」
そう言って左之助はじっと写真を見ていたが顔をあげてマーティンに言った。
「似てるな・・三本傷に。」
「ハイ、ワタシモ ニテルト オモイマース。ケレド サノスーケ、サンボンキズ イウノハ ヨクナーイ。」
「あの野郎にはそれで十分だぜ。あの野郎は・・。」
左之助の頭には副隊長の仇かもしれないと思うと冷静ではいられない。
だが一つだけ左之助にも分かった事がある。
(奴が俺が思っている三本傷ならじいさんに『ありがとう』なんて言葉はぜってぇ言わねぇだろうな・・・・ん?)
はっ、と気が付けば左之助の目の前でマーティンが指をちっちっと振っている。
なんでぃと思って左之助がマーティンを見ると、
「サノスーケ、カノジョハ サンボンキズ デモ ヤロウデモナーイ。カノジョハ レディ デース。」
それを聞いて左之助は目が点になった。
「か・・彼女・・!?ってことはあいつは・・まさか女なのか?!」
「ドウミテモ ジョセイデショ。オトコ ハ ジョセイヲ マモラナケレバ ナリマセーン。コレ セカイキョウツウ。」
女子供には手を出さないのが左之助の信条。
「なにぃいいいいいいいいー!」
突然夜の築地に男の叫び声が響いたのであった。
雑学座談:
左之助相手だと口調がガラッと変わる夢主です。
そしてかふぇおじさんと左之助、まあなんとも面白くない話(笑)だと思いますがこの話も長編の中で話の流れ上、は欠く事の出来ない内容なので書きました。
さてここから座談ですが、まずお酒の話から。
日本にビールが本格的に広まったのは明治だと言われてますが江戸時代初期の老中などのお偉いさんはすでにその存在を知っていたらしいです。
明治三年にはアメリカ人のコープランドという人が横浜の外国人居留区でビールを醸造して居留外国人向けに販売していたという記録があります。
(ここの醸造所は時を経て麒麟麦酒株式会社に引き継がれてます)
その後早くも明治五年に大阪で日本人では初めてビールを醸造し本格的に販売、明治六年には甲府で、九年には北海道開拓使で醸造され翌十年には東京へ出荷されてます。
そうです、ビールは実はものすごい勢いで広まっていたんです。隠れ文明開化の一つ言われたりするそうですよ。
そのかわりお値段の方はやっぱり高くて明治二十三年の時でビールの大びんが18銭、もり蕎麦が1銭だったそうですから、やっぱり高いですねぇ・・。
時代は少し戻りますが、あの榎本武揚さんが文久二年にオランダへ留学に行った時にビールを飲んだという話があったりします。
それからマーティン宅で彼が飲んだお酒はブランデーでした。
その時は夢主が去って寂しさを紛らわしグラスを一気に煽ったマーティンに左之助が、
「酒ならつきあうぜ。」
といった、ちょっとかっこいいセリフがあったのですが消えました。
セリフは消えて書かれてませんが、左之助は夢主が女だと知った後、結局マーティンと酒(ブランデー)を飲み明かしては意気投合してしまうといったいきさつがあります。(←書きませんが)
次に旅券の話です。
今は旅券=パスポートで手帳形になっておりますが、そう言った許可証のようなものは当初は賞状型といって、ようは紙切れ一枚みたいなものでした。
(手帳型になったのは大正十五年)
それから旅券という正式な名称が出来たのはなんと明治十一年の事です。
明治十一年・・いろんな事があったんですねぇ・。
2014.10.21
そして一気に飲み干そうとした時、左之助がソファー越しに自分を見ていることに気が付きグラスを下ろした。
「・・オコシテシマイマシタカ。」
と、マーティンが謝ると左之助は、
「最初から寝てねぇよ。いきなり飯を食わせてくれるなんて話がうますぎると思ったがまさか俺をダシに使ってるとは気づかなかったぜ。」
と、言った。
左之助の言葉にマーティンは本当に左之助が寝ていなかった事を知った。
「スマナカッタデス。オワビニ アナタガ カナラズ ニモツハコビ デキルヨウニ タノンデミマース。」
「もちろん荷物運びもやる。だけどそのまま俺をどこか外国へ運んでくれるように頼んでくれねぇか。こちとらちょいと理由ありの身なんでね。」
「・・リョケン ハ アリマスカ?」
「リョケン?何だそりゃ。」
「ムゥ・・。」
わけありの身で旅券などあるわけないかとマーティンはしばし腕組みをして思案した。
明治政府とは良い関係にある自分が密航の手伝いをしてよいのだろうか。
悩んだマーティンは最後の決断をするために左之助をじっと見た。
破天荒かもしれないがその中にどんな逆境にも負けない打たれ強さや前向きの姿勢を見た。
左之助もマーティンの顔を見た。
まるで視線をバチバチと火花を飛ばしているようだった。
そしてようやくマーティンは口を開いた。
「イイデショウ、ワタシモ ワカイコロハ イロイロ ムリヲシタモンダ・・。『オトコハ ウミヲコエテ ツヨクナル』、ソウ チチオヤ ニモイワレタ。ワカリマシタ、ナントカ ハナシヲ シテミマショウ。」
「恩にきるぜ、じいさん。」
そう言って左之助は立ち上がりマーティンの方へ近づいた。
途中で棚の写真に気が付き、左之助はなんとなく近づいてそれを手に取った。
「お、フォトガラか。」
そう言って左之助はじっと写真を見ていたが顔をあげてマーティンに言った。
「似てるな・・三本傷に。」
「ハイ、ワタシモ ニテルト オモイマース。ケレド サノスーケ、サンボンキズ イウノハ ヨクナーイ。」
「あの野郎にはそれで十分だぜ。あの野郎は・・。」
左之助の頭には副隊長の仇かもしれないと思うと冷静ではいられない。
だが一つだけ左之助にも分かった事がある。
(奴が俺が思っている三本傷ならじいさんに『ありがとう』なんて言葉はぜってぇ言わねぇだろうな・・・・ん?)
はっ、と気が付けば左之助の目の前でマーティンが指をちっちっと振っている。
なんでぃと思って左之助がマーティンを見ると、
「サノスーケ、カノジョハ サンボンキズ デモ ヤロウデモナーイ。カノジョハ レディ デース。」
それを聞いて左之助は目が点になった。
「か・・彼女・・!?ってことはあいつは・・まさか女なのか?!」
「ドウミテモ ジョセイデショ。オトコ ハ ジョセイヲ マモラナケレバ ナリマセーン。コレ セカイキョウツウ。」
女子供には手を出さないのが左之助の信条。
「なにぃいいいいいいいいー!」
突然夜の築地に男の叫び声が響いたのであった。
雑学座談:
左之助相手だと口調がガラッと変わる夢主です。
そしてかふぇおじさんと左之助、まあなんとも面白くない話(笑)だと思いますがこの話も長編の中で話の流れ上、は欠く事の出来ない内容なので書きました。
さてここから座談ですが、まずお酒の話から。
日本にビールが本格的に広まったのは明治だと言われてますが江戸時代初期の老中などのお偉いさんはすでにその存在を知っていたらしいです。
明治三年にはアメリカ人のコープランドという人が横浜の外国人居留区でビールを醸造して居留外国人向けに販売していたという記録があります。
(ここの醸造所は時を経て麒麟麦酒株式会社に引き継がれてます)
その後早くも明治五年に大阪で日本人では初めてビールを醸造し本格的に販売、明治六年には甲府で、九年には北海道開拓使で醸造され翌十年には東京へ出荷されてます。
そうです、ビールは実はものすごい勢いで広まっていたんです。隠れ文明開化の一つ言われたりするそうですよ。
そのかわりお値段の方はやっぱり高くて明治二十三年の時でビールの大びんが18銭、もり蕎麦が1銭だったそうですから、やっぱり高いですねぇ・・。
時代は少し戻りますが、あの榎本武揚さんが文久二年にオランダへ留学に行った時にビールを飲んだという話があったりします。
それからマーティン宅で彼が飲んだお酒はブランデーでした。
その時は夢主が去って寂しさを紛らわしグラスを一気に煽ったマーティンに左之助が、
「酒ならつきあうぜ。」
といった、ちょっとかっこいいセリフがあったのですが消えました。
セリフは消えて書かれてませんが、左之助は夢主が女だと知った後、結局マーティンと酒(ブランデー)を飲み明かしては意気投合してしまうといったいきさつがあります。(←書きませんが)
次に旅券の話です。
今は旅券=パスポートで手帳形になっておりますが、そう言った許可証のようなものは当初は賞状型といって、ようは紙切れ一枚みたいなものでした。
(手帳型になったのは大正十五年)
それから旅券という正式な名称が出来たのはなんと明治十一年の事です。
明治十一年・・いろんな事があったんですねぇ・。
2014.10.21