※1 記憶を失っている時の名前は変換できません。
166.教会の鐘楼から見える景色 (夢主・かふぇおじさん・左之助)
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
土手の海岸側の砂浜で寝そべっていた一人の男。
その男は武尊の姿を見て思わず首を持ち上げた。
「なんであんたがこんな所にいるんだ。」
と武尊が言うとその男は、
「三本傷、何でお前がこんな所に来るんだ。・・そっか、斎藤の差し金か、さすが斎藤、察しがいいな。」
と、その男・・相楽左之助は斎藤が近くにいるかもしれないと警戒して起き上がって砂の上に胡坐をかいた。
「は?」
武尊は何の事か分からずに勝手に斎藤の名前を出されて不快な返事をした。
武尊は左之助が警察に手配されていることを知らなかったし、左之助は斎藤が北海道へ行ったことなど知りはしなかった。
不穏な二人の空気の中を、
「オー、オフタリハ シリアイデスカ。」
武尊と左之助の経緯を知らないマーティンは普通に両手を開いたジェスチャーをしながらにこやかに近づいてきた。
左之助は武尊の後ろから来た異人に、
「なんでぃ・・・お前は。」
と不審な顔つきで見上げた。
「この間みたいな暴力はやめなよ、この人は関係ない人なんだから。」
武尊はマーティンを守るようにすっと左之助の前に出て睨んだ。
「けっ。」
と、左之助も武尊を睨んだ。
それを見てマーティンは、
「オー、フタリトモ オコルノハ ヨクナーイ。ニホンジンドウシ アラソウノハ ヨクナーイ。」
と武尊と左之助の間に入って来た。
「何だ、このじじいは。俺は腹も減って機嫌が悪いんだ・・。」
と、左之助は砂をパンパンと落としながらゆっくりと立ち上がった。
「こちとら二日もろくに食っちゃあいねぇんだ。折角寝かけて腹がすいているのを忘れかけてたのにてめぇらの所為で腹は減るは胸糞悪いわ・・」
殴りでもしないと気が済まねぇと左之助が言いかけた時マーティンが突然大きな声を出した。
「オー、アナタ オナカスイテルノデスカ!ワタシ イチジカングライデ モドッテクル。ミンナデ イッショナラ ビフテック タベルネ。」
マーティンの予想だにしない言葉に武尊の方が、
「は?」
と、目を丸くして驚いた。
いつだれが夕飯の約束をしたというのだ。
(今日は他には予定はないから誘われればビフテック(ビフテキのことかな?)でも何でも誘われるけど・・・でもなんでこいつと!)
何でこいつと、と左之助も同じことを思ったが、どうやら何かを食べさせてくれそうだという雰囲気を全面に出している変に親切な異人の言葉に揺れた。
「・・・・よっしゃ、いいぜ。ここで待ってりゃ何か食わしてくれるんだな。」
「ヤーヤー。」
マーティンは左之助の承諾の返事を聞いてニコニコした。
「マーティン!」
そんなマーティンに武尊は抗議をした。
「私は嫌だ!」
抗議する武尊にマーティンは、
「アナタノトモダチ オナカスイテル。ヒトハ タスケアワナケレバイケナーイ。コレ カミサマノオシエ。オット、ワタシ ジカンナーイ。ユウハンゴイッショネ、ヤクソク。」
と言って海軍の方へ速足で向かって言った。
「ちょ・・・っ!こいつは友達でもなんでもない!」
武尊は待ってとマーティンの方へ手を伸ばしたがマーティンは振り返ることなくタッタカ行ってしまった。
武尊は茫然として後ろの左之助を・・・見た。
「あんた!」
いったいどういうつもりだと武尊が左之助に問い詰めようとすると、左之助にバシっと手首をつかまれた。
(しまった!)
これでは殴られたら避けれないと武尊は焦った。
仕方がないので出したくないけどオーラでガードするしかないと身構えた時、左之助は自分が座るのに武尊を引っ張って座らせた。
「くっ。」
武尊が腕を引っ張って左之助を引きはがそうとしたがびくともしなかった。
左之助は武尊に何かしようとするわけではなく、武尊を見ずに正面を向いて面白くなさそうに言った。
「俺がここにいるのをサツにばらされるわけにいかねぇからな。それにオッサンが何か食わせてくれるのはおめぇがいねぇとだめみたいだからな・・てなわけで、ここにいてもらうぜ。」
(不快だ・・こんな男に触られるのは。離せこの野郎!)
と、武尊は更に頑張ったが武尊の腕はウンともスンとも言わなかった。
「離せ!」
左之助は武尊をガタガタうるさい奴だと思ったがそれ以上に気になった事があるようで、じっと武尊の手首を見た。
「お前・・細い手首だな。」
背は剣心ぐらいなのに手首は親指と中指が余裕で重なるぐらいの細さに左之助は驚いていた。
剣心以上にきゃしゃな男が人斬りだったのかとふと疑問が湧いて武尊の顔をじっと覗き込んだ。
雑学メモ:
マーティンおじさんのカバンに入っているのは本当はパンにしたかったのですが、当時横浜であんぱんなど、日本人が開発したものではないパンがどんなものだか文献が探せなくてワッフルにしてしまいました。(^_^;)
今や日本でも有名になったワッフル。
その歴史は古代ギリシアだったというので時代的にもありということで時代考証もOKでしたし・・。
それからビフテックはフランス語で【適当な厚さに切って 鉄板の上で焼いた牛肉の】のことです。
ビーフステーキの略ではなかったです。(^_^;)
この時の築地にビフテックを出すお店があったかどうかは分かりません。
そこは想像です。
それから軍楽隊(軍隊の音楽部隊)は日本軍におきましては1871年(明治4年)に陸軍及び海軍に軍楽隊が発足し、1872年(明治5年)の鉄道開業式では演奏も行ってました。
その始まりは明治2年9月、薩摩藩の青年30人が、横浜に駐屯していたイギリス歩兵軍楽隊(楽長はフェントン)について軍楽を修習したのが最初である・・とあるのですが実はなぜ薩摩かといいますと・・。
「生麦事件」が原因でおこった「薩英戦争」後に薩摩藩とイギリス軍に交流が生まれてましてこのような背景のもと、1869年(明治二年)に薩摩藩の御当主が鹿児島湾に停泊中の軍艦でイギリス海軍軍楽隊を見に行ってます。
その時にすっかり軍楽隊の演奏に魅了された御当主は「洋式」化推進の為に指導を要請しました。
これにより横浜にいたイギリス陸軍の軍楽隊の隊長(フェントン)より指導を受けた「薩摩藩洋楽伝習生」が「日本の吹奏楽」の始まりだったということでした。
軍楽隊が陸軍と海軍に分かれたのち、海軍は当初イギリス式教育だったのがドイツ式に変わったとありますので、マーティンはその関係で何か話があって海軍に出かけて行ったと思われます。
(ちなみに陸軍軍楽隊はフランス式を採用した模様です。)
それにしてもこんな所でまた薩摩藩・・すごい・・。
などなど、ネタを探していろいろなサイト様を検索していきますといろいろと興味深いサイト様があったりします。
例えば幕末、築地の幕府の軍艦操練所の跡地(現在の中央卸売市場の立体駐車場あたり)に日本初の本格的ホテルが出来たとか。
(残念ながら経営難で明治5年の2月、建物は海軍に渡りその5月に銀座大火で焼けて結局4年足らずしか存在しなかった。)
とか、
横浜外国人居留区のホテルとかの文献です。
それぞれのサイト様の御意見が違う所もありますが私は素人なのであくまでも参考とさせていただきました。
(以下参照アドレス)
http://www.kaikou.city.yokohama.jp/q-a/hotel_01.html#hotel
(よこはま事始め・よくある質問「ホテルと洋食文化〈1〉」 横浜 ...)
http://www.kindaikenchiku.com/ehagaki/grandhotel.htm
(絵葉書物語 YOKOHAMA GRAND HOTEL - 神奈川の近代建築 ...)
http://www.city.yokohama.lg.jp/naka/sighthist/monohaji/monohaji-19.html
(中区役所 横濱もののはじめ探訪-19)
写真付だと当時の横浜が少し見えるような気がして嬉しいです。
ついでに当時の横浜駅の事でいいなと思う事が書いてあるサイト様も見つけました。
http://hamarepo.com/story.php?story_id=2216
(明治時代の「初代」横浜駅周辺の風景と駅舎内の様子はどんな ...)
実写版るろうに剣心【伝説の最後編】を見れば時代の小物が沢山出てそうでストーリー以外にも見所が自分的には満載で考えるだけでウキウキしてます。
早く見に行きたいです。(*^_^*)
2014.10.08
その男は武尊の姿を見て思わず首を持ち上げた。
「なんであんたがこんな所にいるんだ。」
と武尊が言うとその男は、
「三本傷、何でお前がこんな所に来るんだ。・・そっか、斎藤の差し金か、さすが斎藤、察しがいいな。」
と、その男・・相楽左之助は斎藤が近くにいるかもしれないと警戒して起き上がって砂の上に胡坐をかいた。
「は?」
武尊は何の事か分からずに勝手に斎藤の名前を出されて不快な返事をした。
武尊は左之助が警察に手配されていることを知らなかったし、左之助は斎藤が北海道へ行ったことなど知りはしなかった。
不穏な二人の空気の中を、
「オー、オフタリハ シリアイデスカ。」
武尊と左之助の経緯を知らないマーティンは普通に両手を開いたジェスチャーをしながらにこやかに近づいてきた。
左之助は武尊の後ろから来た異人に、
「なんでぃ・・・お前は。」
と不審な顔つきで見上げた。
「この間みたいな暴力はやめなよ、この人は関係ない人なんだから。」
武尊はマーティンを守るようにすっと左之助の前に出て睨んだ。
「けっ。」
と、左之助も武尊を睨んだ。
それを見てマーティンは、
「オー、フタリトモ オコルノハ ヨクナーイ。ニホンジンドウシ アラソウノハ ヨクナーイ。」
と武尊と左之助の間に入って来た。
「何だ、このじじいは。俺は腹も減って機嫌が悪いんだ・・。」
と、左之助は砂をパンパンと落としながらゆっくりと立ち上がった。
「こちとら二日もろくに食っちゃあいねぇんだ。折角寝かけて腹がすいているのを忘れかけてたのにてめぇらの所為で腹は減るは胸糞悪いわ・・」
殴りでもしないと気が済まねぇと左之助が言いかけた時マーティンが突然大きな声を出した。
「オー、アナタ オナカスイテルノデスカ!ワタシ イチジカングライデ モドッテクル。ミンナデ イッショナラ ビフテック タベルネ。」
マーティンの予想だにしない言葉に武尊の方が、
「は?」
と、目を丸くして驚いた。
いつだれが夕飯の約束をしたというのだ。
(今日は他には予定はないから誘われればビフテック(ビフテキのことかな?)でも何でも誘われるけど・・・でもなんでこいつと!)
何でこいつと、と左之助も同じことを思ったが、どうやら何かを食べさせてくれそうだという雰囲気を全面に出している変に親切な異人の言葉に揺れた。
「・・・・よっしゃ、いいぜ。ここで待ってりゃ何か食わしてくれるんだな。」
「ヤーヤー。」
マーティンは左之助の承諾の返事を聞いてニコニコした。
「マーティン!」
そんなマーティンに武尊は抗議をした。
「私は嫌だ!」
抗議する武尊にマーティンは、
「アナタノトモダチ オナカスイテル。ヒトハ タスケアワナケレバイケナーイ。コレ カミサマノオシエ。オット、ワタシ ジカンナーイ。ユウハンゴイッショネ、ヤクソク。」
と言って海軍の方へ速足で向かって言った。
「ちょ・・・っ!こいつは友達でもなんでもない!」
武尊は待ってとマーティンの方へ手を伸ばしたがマーティンは振り返ることなくタッタカ行ってしまった。
武尊は茫然として後ろの左之助を・・・見た。
「あんた!」
いったいどういうつもりだと武尊が左之助に問い詰めようとすると、左之助にバシっと手首をつかまれた。
(しまった!)
これでは殴られたら避けれないと武尊は焦った。
仕方がないので出したくないけどオーラでガードするしかないと身構えた時、左之助は自分が座るのに武尊を引っ張って座らせた。
「くっ。」
武尊が腕を引っ張って左之助を引きはがそうとしたがびくともしなかった。
左之助は武尊に何かしようとするわけではなく、武尊を見ずに正面を向いて面白くなさそうに言った。
「俺がここにいるのをサツにばらされるわけにいかねぇからな。それにオッサンが何か食わせてくれるのはおめぇがいねぇとだめみたいだからな・・てなわけで、ここにいてもらうぜ。」
(不快だ・・こんな男に触られるのは。離せこの野郎!)
と、武尊は更に頑張ったが武尊の腕はウンともスンとも言わなかった。
「離せ!」
左之助は武尊をガタガタうるさい奴だと思ったがそれ以上に気になった事があるようで、じっと武尊の手首を見た。
「お前・・細い手首だな。」
背は剣心ぐらいなのに手首は親指と中指が余裕で重なるぐらいの細さに左之助は驚いていた。
剣心以上にきゃしゃな男が人斬りだったのかとふと疑問が湧いて武尊の顔をじっと覗き込んだ。
雑学メモ:
マーティンおじさんのカバンに入っているのは本当はパンにしたかったのですが、当時横浜であんぱんなど、日本人が開発したものではないパンがどんなものだか文献が探せなくてワッフルにしてしまいました。(^_^;)
今や日本でも有名になったワッフル。
その歴史は古代ギリシアだったというので時代的にもありということで時代考証もOKでしたし・・。
それからビフテックはフランス語で【適当な厚さに切って 鉄板の上で焼いた牛肉の】のことです。
ビーフステーキの略ではなかったです。(^_^;)
この時の築地にビフテックを出すお店があったかどうかは分かりません。
そこは想像です。
それから軍楽隊(軍隊の音楽部隊)は日本軍におきましては1871年(明治4年)に陸軍及び海軍に軍楽隊が発足し、1872年(明治5年)の鉄道開業式では演奏も行ってました。
その始まりは明治2年9月、薩摩藩の青年30人が、横浜に駐屯していたイギリス歩兵軍楽隊(楽長はフェントン)について軍楽を修習したのが最初である・・とあるのですが実はなぜ薩摩かといいますと・・。
「生麦事件」が原因でおこった「薩英戦争」後に薩摩藩とイギリス軍に交流が生まれてましてこのような背景のもと、1869年(明治二年)に薩摩藩の御当主が鹿児島湾に停泊中の軍艦でイギリス海軍軍楽隊を見に行ってます。
その時にすっかり軍楽隊の演奏に魅了された御当主は「洋式」化推進の為に指導を要請しました。
これにより横浜にいたイギリス陸軍の軍楽隊の隊長(フェントン)より指導を受けた「薩摩藩洋楽伝習生」が「日本の吹奏楽」の始まりだったということでした。
軍楽隊が陸軍と海軍に分かれたのち、海軍は当初イギリス式教育だったのがドイツ式に変わったとありますので、マーティンはその関係で何か話があって海軍に出かけて行ったと思われます。
(ちなみに陸軍軍楽隊はフランス式を採用した模様です。)
それにしてもこんな所でまた薩摩藩・・すごい・・。
などなど、ネタを探していろいろなサイト様を検索していきますといろいろと興味深いサイト様があったりします。
例えば幕末、築地の幕府の軍艦操練所の跡地(現在の中央卸売市場の立体駐車場あたり)に日本初の本格的ホテルが出来たとか。
(残念ながら経営難で明治5年の2月、建物は海軍に渡りその5月に銀座大火で焼けて結局4年足らずしか存在しなかった。)
とか、
横浜外国人居留区のホテルとかの文献です。
それぞれのサイト様の御意見が違う所もありますが私は素人なのであくまでも参考とさせていただきました。
(以下参照アドレス)
http://www.kaikou.city.yokohama.jp/q-a/hotel_01.html#hotel
(よこはま事始め・よくある質問「ホテルと洋食文化〈1〉」 横浜 ...)
http://www.kindaikenchiku.com/ehagaki/grandhotel.htm
(絵葉書物語 YOKOHAMA GRAND HOTEL - 神奈川の近代建築 ...)
http://www.city.yokohama.lg.jp/naka/sighthist/monohaji/monohaji-19.html
(中区役所 横濱もののはじめ探訪-19)
写真付だと当時の横浜が少し見えるような気がして嬉しいです。
ついでに当時の横浜駅の事でいいなと思う事が書いてあるサイト様も見つけました。
http://hamarepo.com/story.php?story_id=2216
(明治時代の「初代」横浜駅周辺の風景と駅舎内の様子はどんな ...)
実写版るろうに剣心【伝説の最後編】を見れば時代の小物が沢山出てそうでストーリー以外にも見所が自分的には満載で考えるだけでウキウキしてます。
早く見に行きたいです。(*^_^*)
2014.10.08