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164.木枯らし旋風 (夢主・蒼紫・操・剣心組)
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「おい剣心、どうなっているんだよ!」
確かに左之助は昔は喧嘩屋でゴロツキだったかもしれないけれど、志々雄の件といい縁の件といい、これまで剣心と一緒に闘って日本を救った功労者じゃないのかよと、弥彦は憤りを抑えきれずに剣心に喰らいついた。
「弥彦、落ち着きなさい。左之助にはきっと何か理由があるはずよ。」
「そうでござるよ、取りあえず所長のところへ行って訳を聞いてみるでござるよ。」
剣心一同食事を取るのも忘れてそのまま浦村の所長のところへ押しかけた。
「緋村さん、実は相楽左之助は・・。」
と話し出した所長の話を聞き終えた弥彦は、
「何でだよ、ちっくしょー!」
とやり場のない怒りに叫んだ。
「弥彦!」
薫は警察署内で大声を出す弥彦を叱ってみたけれども内心弥彦と同じ気持ちだった。
たとえ相手が悪くてもそれが維新志士ではどうにもならない・・。
かと言って谷と剣心は同じ長州の維新志士。やりきれない気持ちで薫は俯いた。
そんな薫の横で、
「だめもとで斎藤に頼んでみるか、ああ見えても斎藤なら何か手をうってくれるかもしれねぇ。」
と弥彦が言うと署長は三人が驚くべき事を言った。
「昨日付で藤田警部補は開拓使へ転勤となりました。」
「「「えっ!」」」
ここにもまた良くも悪くも剣心組の前から姿を消した男が一人。
これには一同それぞれに複雑な思いを一瞬胸に抱いたが今は斎藤どころの話ではない。
左之助を何とかしないとと、取りあえず神谷道場へ引き上げたのだった。
帰り道、ヒュゥと一瞬強い風が吹いた。
「わっ!寒っ!」
「もう木枯らしか?」
薫は自分に巻き上がったほこりを避けようと片袖で顔を覆った。
木枯らしはそのまま道端の落ち葉やほこりを巻きあげ小さく渦を巻くと通りの向うへと過ぎて行った。
(季節は変わる・・そして人もでござるか・・。)
風が吹いたのは一瞬だったが、剣心にはそれが自分達の周りに起こる変化を表しているような気がして木枯らしが駆け抜けた方向を眺めていたのであった。
余談雑談:
今回はほぼ、原作の通りです。
そこでちょっと左之助の脚力について考察です。
(以下興味がない方はスルーでOKです。(^_^;))
左之助の、
「たかが会津走れば一日で行ける距離だろ?」
ですが、会津への道の距離をJR東北本線経路で行ったと考えても、その距離(営業キロ参考)は東京駅から福島・・
(・・・・地図を見れば郡山を分岐に福島と会津は大体同じぐらいの距離だろうと、すごいどんぶり勘定をした結果)、が、
272.8km。
ところによってはかなり山道・・。
何かの資料で江戸時代の旅人は一日40km歩いた、とありましたのでこれでどんぶり計算しても一週間かかります。
東京ー会津を280kmだとして、マラソン選手並みに走って40kmを2時間のスピードで走ったら14時間ですが・・・・一日で着くけど・・これを一日でって左之助すごいよ・・と呟く管理人でした。
ちなみに剣心が京都へ歩いていく時は斎藤さんに、
「常人なら十日前後の道のりだが、お前なら五日もあれば十分だろう。」
と、言われています。
JRの東海道本線の営業キロを参考にしますと513.6kmですが原作八巻に寄りますと日本橋から京都の三条大橋まで492km。
一日40km歩いたとしたら12.3日。
五日で歩こうと思ったら一日約98.4km進まなくては・・。
おおよそ一日100kmを五日間ですよ!
いや、普通の人の十日前後コースでもきついと思いますが・・。(汗)
江戸時代、実際は関所や宿場町の関係で40kmも進めないそうです。(野宿なら可能?)(明治2年に関所廃止)
左之助並に走ったら(笑)、一日と二時間弱ぐらいでしょうか。でも、24時間ぶっ飛ばしで人間走れませんから!
計算苦手ですので間違っていたらごめんなさい!
そして新幹線&在来線すごいぞ!乗り換え1回で接続悪くても東京から会津まで半日あったら着いてしまいますから!
2014.9.28
確かに左之助は昔は喧嘩屋でゴロツキだったかもしれないけれど、志々雄の件といい縁の件といい、これまで剣心と一緒に闘って日本を救った功労者じゃないのかよと、弥彦は憤りを抑えきれずに剣心に喰らいついた。
「弥彦、落ち着きなさい。左之助にはきっと何か理由があるはずよ。」
「そうでござるよ、取りあえず所長のところへ行って訳を聞いてみるでござるよ。」
剣心一同食事を取るのも忘れてそのまま浦村の所長のところへ押しかけた。
「緋村さん、実は相楽左之助は・・。」
と話し出した所長の話を聞き終えた弥彦は、
「何でだよ、ちっくしょー!」
とやり場のない怒りに叫んだ。
「弥彦!」
薫は警察署内で大声を出す弥彦を叱ってみたけれども内心弥彦と同じ気持ちだった。
たとえ相手が悪くてもそれが維新志士ではどうにもならない・・。
かと言って谷と剣心は同じ長州の維新志士。やりきれない気持ちで薫は俯いた。
そんな薫の横で、
「だめもとで斎藤に頼んでみるか、ああ見えても斎藤なら何か手をうってくれるかもしれねぇ。」
と弥彦が言うと署長は三人が驚くべき事を言った。
「昨日付で藤田警部補は開拓使へ転勤となりました。」
「「「えっ!」」」
ここにもまた良くも悪くも剣心組の前から姿を消した男が一人。
これには一同それぞれに複雑な思いを一瞬胸に抱いたが今は斎藤どころの話ではない。
左之助を何とかしないとと、取りあえず神谷道場へ引き上げたのだった。
帰り道、ヒュゥと一瞬強い風が吹いた。
「わっ!寒っ!」
「もう木枯らしか?」
薫は自分に巻き上がったほこりを避けようと片袖で顔を覆った。
木枯らしはそのまま道端の落ち葉やほこりを巻きあげ小さく渦を巻くと通りの向うへと過ぎて行った。
(季節は変わる・・そして人もでござるか・・。)
風が吹いたのは一瞬だったが、剣心にはそれが自分達の周りに起こる変化を表しているような気がして木枯らしが駆け抜けた方向を眺めていたのであった。
余談雑談:
今回はほぼ、原作の通りです。
そこでちょっと左之助の脚力について考察です。
(以下興味がない方はスルーでOKです。(^_^;))
左之助の、
「たかが会津走れば一日で行ける距離だろ?」
ですが、会津への道の距離をJR東北本線経路で行ったと考えても、その距離(営業キロ参考)は東京駅から福島・・
(・・・・地図を見れば郡山を分岐に福島と会津は大体同じぐらいの距離だろうと、すごいどんぶり勘定をした結果)、が、
272.8km。
ところによってはかなり山道・・。
何かの資料で江戸時代の旅人は一日40km歩いた、とありましたのでこれでどんぶり計算しても一週間かかります。
東京ー会津を280kmだとして、マラソン選手並みに走って40kmを2時間のスピードで走ったら14時間ですが・・・・一日で着くけど・・これを一日でって左之助すごいよ・・と呟く管理人でした。
ちなみに剣心が京都へ歩いていく時は斎藤さんに、
「常人なら十日前後の道のりだが、お前なら五日もあれば十分だろう。」
と、言われています。
JRの東海道本線の営業キロを参考にしますと513.6kmですが原作八巻に寄りますと日本橋から京都の三条大橋まで492km。
一日40km歩いたとしたら12.3日。
五日で歩こうと思ったら一日約98.4km進まなくては・・。
おおよそ一日100kmを五日間ですよ!
いや、普通の人の十日前後コースでもきついと思いますが・・。(汗)
江戸時代、実際は関所や宿場町の関係で40kmも進めないそうです。(野宿なら可能?)(明治2年に関所廃止)
左之助並に走ったら(笑)、一日と二時間弱ぐらいでしょうか。でも、24時間ぶっ飛ばしで人間走れませんから!
計算苦手ですので間違っていたらごめんなさい!
そして新幹線&在来線すごいぞ!乗り換え1回で接続悪くても東京から会津まで半日あったら着いてしまいますから!
2014.9.28