※1 記憶を失っている時の名前は変換できません。
56・時尾の思い (斎藤・時尾・夢主)
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
斎藤が風呂から戻って来た。
「ふぅ、やはり湯につかるとまだ血がにじむな。」
と手ぬぐいで右胸辺りを押さえて斎藤が風呂から戻って来た。
「今お薬と包帯を。」
と、時尾は立ち上がり斎藤の傷に軟膏を塗る。
「痛みませんか。」
「ああ、深手ではない。二、三日でよくなる。」
その後、夫に包帯を巻く。
「手間をかけさせてすまないな。」
「いえ・・・これくらいのこと・・・。」
斎藤はそれが済むと脱いでいた袖に腕を通し、すでに用意されている膳の前へ座り箸を取った。
そして二口ほど御飯を口にすると、
「時尾、言いたいことがあったら言え。」
と、向かいの行燈の側で再び縫い物をしている時尾に言った。
「あ、あの・・・、武尊さんのことですけど・・。」
と、時尾はその手を止めて夫の方を見た。
(やはりな。)
と思いながら次の時尾の言葉を待つ。
「五郎さんは・・・・・、どうお思いなのですか。」
時尾はそう言うと夫から視線を外し、俯いてぽつりぽつりと話し出した。
「私、前にも少し申し上げましたけれど・・・・、武尊さんなら・・・・、その・・・・、他の方は嫌でございますけど、武尊さんなら、五郎さんのお妾さん(*1)になってもいいのではないかと・・・。」
斎藤は黙って茶を飲む。
「・・・・・時尾はそれでいいのか。」
「私はそういうつもりでおりました。武尊さんが家に来た時から・・・。」
「武尊を家に連れてきたのはたまたまだ。横浜で偶然会った時、武尊の泊り先に都合の悪い事があってな・・・俺が家に来いと言ったんだ。」
「家へ来たのは成り行きかもしれませんが、それでも五郎さんが武尊さんに良い感情をお持ちであると私は感じます。」
「・・・・。」
「・・・・妻だからわかるのです。そして武尊さんも五郎さんによく懐いていらっしゃいます。」
時尾はそこでいったん口をつぐむとごくっと息を呑んだ。
「五郎さん・・・・、実のところはどうなんですか?武尊さんは五郎さんのことをどうお思いなのですか。」
「何故そんな事を聞く。時尾の眼は確かだ。時尾が先ほど言ったように武尊が俺に懐いているというならばそういうことだ。」
「そうですか・・・・。では、やはりこれは五郎さんの御耳に入れた方がいいのですね。」
と言うと、時尾は小さくため息をついた。
あとがき→
*****************
(*1)妾:現在明治十一年、このころは、妾の存在は社会的に隠されるものではなく公表されるもので、妻もそれを承知しているものでした。
又、時尾の祖父もそうであった(この物語の中ではの設定ですが)ように、妾は『男の甲斐性』の象徴として是認する日本国内の地域社会も多かったといいます。
そりゃぁ、江戸時代は大奥なんていう日本のTOPが正妻の他にも側室を公に何人も囲ってたくらいですから・・・・。
しかも明治三年には法律で妾は妻と同じ二親等扱いで法律的にも公認。
けれども、明治三十一年に、戸籍法により、妾の文字は消えることになりました。
追記:
さて、今回は本編とは関係なく藤田家の食卓について"思いを馳せてみました。
下の絵は”箱膳”と言われるもので中に個人の食器がしまえるようになってます。
便利そうです!(欲しい!(笑))
このような物があるとは今まで知りませんでした!
昔の人はすごいですね~。
藤田家は箱膳ということに(勝手に)想定いたしました。(笑)
幕末、抜刀斎が長州藩贔屓の小料理屋にいたころの膳は四足のようにみえました。
(巴さんが重ねて運んでましたね。)
ちなみにちゃぶ台で食事を取るようになったのは、明治に入って四民平等の思想が広まったからで、それまでは家族といえども、家長と同じ所に下の者の食べ物を置くという考えは普及してなかった模様です。
「ふぅ、やはり湯につかるとまだ血がにじむな。」
と手ぬぐいで右胸辺りを押さえて斎藤が風呂から戻って来た。
「今お薬と包帯を。」
と、時尾は立ち上がり斎藤の傷に軟膏を塗る。
「痛みませんか。」
「ああ、深手ではない。二、三日でよくなる。」
その後、夫に包帯を巻く。
「手間をかけさせてすまないな。」
「いえ・・・これくらいのこと・・・。」
斎藤はそれが済むと脱いでいた袖に腕を通し、すでに用意されている膳の前へ座り箸を取った。
そして二口ほど御飯を口にすると、
「時尾、言いたいことがあったら言え。」
と、向かいの行燈の側で再び縫い物をしている時尾に言った。
「あ、あの・・・、武尊さんのことですけど・・。」
と、時尾はその手を止めて夫の方を見た。
(やはりな。)
と思いながら次の時尾の言葉を待つ。
「五郎さんは・・・・・、どうお思いなのですか。」
時尾はそう言うと夫から視線を外し、俯いてぽつりぽつりと話し出した。
「私、前にも少し申し上げましたけれど・・・・、武尊さんなら・・・・、その・・・・、他の方は嫌でございますけど、武尊さんなら、五郎さんのお妾さん(*1)になってもいいのではないかと・・・。」
斎藤は黙って茶を飲む。
「・・・・・時尾はそれでいいのか。」
「私はそういうつもりでおりました。武尊さんが家に来た時から・・・。」
「武尊を家に連れてきたのはたまたまだ。横浜で偶然会った時、武尊の泊り先に都合の悪い事があってな・・・俺が家に来いと言ったんだ。」
「家へ来たのは成り行きかもしれませんが、それでも五郎さんが武尊さんに良い感情をお持ちであると私は感じます。」
「・・・・。」
「・・・・妻だからわかるのです。そして武尊さんも五郎さんによく懐いていらっしゃいます。」
時尾はそこでいったん口をつぐむとごくっと息を呑んだ。
「五郎さん・・・・、実のところはどうなんですか?武尊さんは五郎さんのことをどうお思いなのですか。」
「何故そんな事を聞く。時尾の眼は確かだ。時尾が先ほど言ったように武尊が俺に懐いているというならばそういうことだ。」
「そうですか・・・・。では、やはりこれは五郎さんの御耳に入れた方がいいのですね。」
と言うと、時尾は小さくため息をついた。
あとがき→
*****************
(*1)妾:現在明治十一年、このころは、妾の存在は社会的に隠されるものではなく公表されるもので、妻もそれを承知しているものでした。
又、時尾の祖父もそうであった(この物語の中ではの設定ですが)ように、妾は『男の甲斐性』の象徴として是認する日本国内の地域社会も多かったといいます。
そりゃぁ、江戸時代は大奥なんていう日本のTOPが正妻の他にも側室を公に何人も囲ってたくらいですから・・・・。
しかも明治三年には法律で妾は妻と同じ二親等扱いで法律的にも公認。
けれども、明治三十一年に、戸籍法により、妾の文字は消えることになりました。
追記:
さて、今回は本編とは関係なく藤田家の食卓について"思いを馳せてみました。
下の絵は”箱膳”と言われるもので中に個人の食器がしまえるようになってます。
便利そうです!(欲しい!(笑))
このような物があるとは今まで知りませんでした!
昔の人はすごいですね~。
藤田家は箱膳ということに(勝手に)想定いたしました。(笑)
幕末、抜刀斎が長州藩贔屓の小料理屋にいたころの膳は四足のようにみえました。
(巴さんが重ねて運んでましたね。)
ちなみにちゃぶ台で食事を取るようになったのは、明治に入って四民平等の思想が広まったからで、それまでは家族といえども、家長と同じ所に下の者の食べ物を置くという考えは普及してなかった模様です。