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会津徒然
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あかべぇに乗って町中へ戻ります。
お城は何度見えてもいいですね。(^_^)
会津若松のシンボルですねぇ-。
途中のバス停で面白い名前がある事に気がつきました。
【老町】
『ふけまち』と読むのか、『おいまち』と読むのか・・なんとも古臭い名前だと思っていましたら、なんと車中のアナウンスは、
【おとなまち】と言っているではありませんか!
歳を取る事は老けることではなく、おとなになること・・。
そう思うとなんと粋な読み方ではありませんか!(本当の由来は知りませんけど。(^_^;))
ちなみに【老町】の次のバス停が藤田家のお墓がある阿弥陀寺の東側にあるであろう【阿弥陀寺東】。
ただ、GWの時は前にも書きましたが工事中でバスは停車しません。
※七日町通りより見える阿弥陀寺入口。
この時間はたくさんの人が藤田家のお墓のまわりにいらっしゃるのが見えました。
昨日夕方ゆっくりお参り出来てよかったわ、と、バスの中で呟きました・・。
そうしてバスは七日町駅前でくるっと向きを変え私達は七日町中央で下車。
少し戻って向かったのは、【会津新撰組記念館】です。
昔ながらの二階建の商家の一階は骨董むかしやさんで二階が記念館となっております。
一階は骨頭やさんなので名前の通り昔の物が売ってあります。左側は新撰組グッズも置いてあります。
私は明治初期の硬貨を買おうと思っていたのですが・・他を見ている間にすっかり忘れてしまってました。
( =ω=)
新選組グッズはあれども残念ながらるろうに剣心のものは置いてなかったと思いました。
本当に残念、残念、残念・・・。
なかったら作って欲しいぐらいで・・。
二階の記念館は入場料を払えば上がってみることが出来ます。
戊辰戦争時に使用されたといういろいろな種類の銃が置いてあり興味深かったです。
ちなみにこのお店の前にあるポストはこんな感じ!
いいわぁ・・。(笑)
うちの近所もこういうの置いてくれないかしらと、思いました。
時間はもう夕方。
連れが疲れ切っていますので喫茶店へ向かうと言って御機嫌をとりました。
夕刻近し。
お昼ごはんを食べて歩きっぱなしで疲れも出てきたころ。
好きな物を見て回っている私でさえこのような状態ならあまり面白くもないところを連れまわされているような私の連れなら尚更かな、と、思い本日最後の目的地【野口英世青春記念館】へ向かう事にしました。
おかしいなぁ、連れは【城ガール】【城女】?というのでしょうか、数年前まではお城大好きだったのにと思いつつ私は先程下りたバス停【七日町中央】へ向かいました。
いやぁ、疲れて歩きたくなかったので少しバス停で立っていると連れが冷たい目で見ていることに気がつきました。
「どしたの?」
「そこ・・バス停ちがうんじゃない?あかべぇのバス停じゃん。」
「え!」
そうです、同じ停留所の名前でも街中はハイカラさんとあかべぇでは停留所が違うんです。
でも言われるまで気がつきませんでした。Σ(゚口゚;
ハイカラさんさっき行ったばっかりじゃん!
一本逃したら30分は確実に来ない。
と、なれば歩いていったほうが早い!?
と、見慣れぬ地図を目を皿のようにして見てみれば実はそんなに遠くない事が判明。
歩いて10分ぐらいで着きそうなので歩くことにしました。
ただ私の悪いところは・・地図が読めない事です。(笑)
進行方向左側を歩いていて突当たりを右折するので交差点を渡って向かい側(右側)にいったん渡ったのに何をトチ狂ったのか途中でまた左に戻ったんですよ・・。
そうしてしばらく行くと向かい側(そのまま歩いていれば目の前で見れたであろう)に土方さんの顔写真が走ってる車の隙間から見えた!!
えーーっ!っと思って目を凝らしてみたものの細かな説明書きが見えない!(T_T)
スマホで画像を撮ったけれども解像度がそこまでよくなくてやっぱり読めない!(T_T)
・・・帰ってネットで見るしかないなと諦めました。
さっき交差点を無意味に渡ってなければと大後悔です。
信号機のない道路を横断したくなかったので、と言っても交差点は遥か前と遥か後ろに。
観光客が信号のない道路を縦横無尽に渡ってたら地元の迷惑でしょ、そう思うと自分勝手な行動は出来ませんでした。(私はこういう性格です。)
しかし疲れていたので交差点まで戻る事もしませんでした。(根性なしです・・。)
さて、土方さんの顔写真の顔写真の右隣は長州の吉田松陰です。
出会う事はなけれども互いに敵味方になる立場の人が同じ旅館に宿泊していたというのは何か奇妙な縁を感じました。
土方さんの隣は多分新島夫妻です。奥さんはもちろん山本八重さん・・だと思うのですが、実は今会津若松観光ナビというHPの清水屋旅館跡のページを見ているのですが、ここだけ人が代わってる!
あれれ!?
三番目の立場ってそんなもん?なんて思ってしまいました。
人気で写真の入れ替えがあるんでしょうか。
ともあれ土方さんは不動の人気ですのでこれからもずっとお写真があると思います。(^_^;)
えー、現在七日町通りを西から東へ進行中・・そして突当たり右方向へ進みます。
七日町通りから右へ曲がったところは野口英世青春通りといいます。
歩道沿いにずっと野口英世の横顔のイラストが街灯のようにずっと建てられていて他の道とは違うんだよとアピールされています。
地図を改めて見てみれば先程の清水屋旅館跡に最寄のバス停【白木屋前】と【野口英世青春館前】は先程の角曲がって隣のバス停でした。
(ただしバスに乗っているとコース上七日町駅をぐるっと回るため遠いです。多分歩いた方が早いです.)
野口英世青春館は英世が左手の手術を受けた会陽医院跡の建物で一回が喫茶店です。
先に二階の資料館を見ようと思っていたのですが足にかなり疲労が来てましたので、自動的に足は一階の喫茶店へ。
小さな入口を少し覗き込むとものすごく混んでました!
大盛況です。
奥は喫煙席で空席があるとのことでしたが私は煙草のけむりが大っ嫌い!(笑)
とはいえ、今から他の喫茶店を探す気力もなく、どこにも動きたくなかったので待たせてくださいとお願いしたころ、手前奥の小さな狭いスペースが空きましたのでそこに座らせてもらう事が出来ました。
ラッキー!
店内はものすごくいい感じです。
レトロな内装、且つ、コーヒーが普通と違うんですよね。)^o^(
野口英世については金銭面やお酒にだらしがなかったという話もありますが私は大尊敬しています。
貧しい家に生まれ、しかも囲炉裏に落ちて左手を大やけどをしてグーの手になってしまって、いじめられ・・。
しかし手の手術を受ける事が出来て医学の道をめざし日本が、いえ世界が誇る医者・研究者になったという人です。
あの時代に東京で勉強するなんて、ましてや渡米して勉強するなんてどれだけのお金がかかる事でしょう。
確かに人から支援してもらったお金を渡米前の前祝にパーッと飲み代に使ってしまうような失敗もしてますが、猛省し、立派な先生となられました。
ですから私は彼の事を尊敬の意を込めて【ドクトル(Dr.)野口】と言っています。
努力は人を裏切らない、ということを信じさせてくれる人でもあります。
まあ、私のドクトル野口好きは置いておきまして、この喫茶店、ドクトル野口が後年渡米(中南米)したということでコーヒーの豆にこだわってました!
マイルドやアメリカン、コロンビア・マンデリンなどの通常メニューもありますが、今まで飲んだ事のないコーヒーがメニューに目が釘付けです!
(以下豆の名前)
◇ペルー・エキセルソ
◇メキシコ・アルトゥーラ
◇エクアドル
◇有機栽培ペルー
悩みました・・。(^_^;)
確かに今はスタバで世界中のおいしい豆のコーヒーが飲めますがスタバにもない豆がここにあった!
しかもコーヒー中毒の私がこの日はまだ一口もコーヒーを飲んでない!
コーヒーにかける期待が半端ない!
悩みに悩んだ結果頼んだのが本日のコーヒーセット。(笑)
だってクッキーが2枚つくんですもの。(^_^;)
ラッキーなことにこの日の本日のコーヒーはコロンビア・スプレモ(だった気が・・^^;)。
今までに経験したことのないアロマが鼻腔の中で広がり目が冴えました!
(すでにクッキー一枚は腹の中へ・・。)
連れはケーキセット(レモンティー)で。
ああ・・美味しかった。(^v^)
連れより早く食べ終わった私は一息つきながら店内内装を楽しみました。
私のテーブルのすぐ上のランプ風照明、素敵でしょ。
もう少し日が暮れるともっと幻想的になりそうでした。
右側の壁には冬の鶴ヶ城の写真が。
純白のお城もものすごく素敵でした。
会津はとても雪深い土地だそうです。
冬は今と違ってまったく別の雪国の生活になるんだろうなと会津の冬に心を馳せながら喫茶店を後にしました。
お二階はドクトル野口に関する小さな資料館みたいな感じでした。
入場料100円!!
喫茶店の裏?になる階段の上り口でお金を払い
スリッパに履き替えて暗い階段を上がります。
ドクトル野口に興味がない方は行かなくてもいいかも・・^^;。
ただ私にとっては薄汚いせんべい座布団でも思わず目を細くして懐かしむ場所でしたけど。
さあ、ようやく今晩のお宿へ向かいますよ!
つづく
お城は何度見えてもいいですね。(^_^)
会津若松のシンボルですねぇ-。
途中のバス停で面白い名前がある事に気がつきました。
【老町】
『ふけまち』と読むのか、『おいまち』と読むのか・・なんとも古臭い名前だと思っていましたら、なんと車中のアナウンスは、
【おとなまち】と言っているではありませんか!
歳を取る事は老けることではなく、おとなになること・・。
そう思うとなんと粋な読み方ではありませんか!(本当の由来は知りませんけど。(^_^;))
ちなみに【老町】の次のバス停が藤田家のお墓がある阿弥陀寺の東側にあるであろう【阿弥陀寺東】。
ただ、GWの時は前にも書きましたが工事中でバスは停車しません。
※七日町通りより見える阿弥陀寺入口。
この時間はたくさんの人が藤田家のお墓のまわりにいらっしゃるのが見えました。
昨日夕方ゆっくりお参り出来てよかったわ、と、バスの中で呟きました・・。
そうしてバスは七日町駅前でくるっと向きを変え私達は七日町中央で下車。
少し戻って向かったのは、【会津新撰組記念館】です。
昔ながらの二階建の商家の一階は骨董むかしやさんで二階が記念館となっております。
一階は骨頭やさんなので名前の通り昔の物が売ってあります。左側は新撰組グッズも置いてあります。
私は明治初期の硬貨を買おうと思っていたのですが・・他を見ている間にすっかり忘れてしまってました。
( =ω=)
新選組グッズはあれども残念ながらるろうに剣心のものは置いてなかったと思いました。
本当に残念、残念、残念・・・。
なかったら作って欲しいぐらいで・・。
二階の記念館は入場料を払えば上がってみることが出来ます。
戊辰戦争時に使用されたといういろいろな種類の銃が置いてあり興味深かったです。
ちなみにこのお店の前にあるポストはこんな感じ!
いいわぁ・・。(笑)
うちの近所もこういうの置いてくれないかしらと、思いました。
時間はもう夕方。
連れが疲れ切っていますので喫茶店へ向かうと言って御機嫌をとりました。
夕刻近し。
お昼ごはんを食べて歩きっぱなしで疲れも出てきたころ。
好きな物を見て回っている私でさえこのような状態ならあまり面白くもないところを連れまわされているような私の連れなら尚更かな、と、思い本日最後の目的地【野口英世青春記念館】へ向かう事にしました。
おかしいなぁ、連れは【城ガール】【城女】?というのでしょうか、数年前まではお城大好きだったのにと思いつつ私は先程下りたバス停【七日町中央】へ向かいました。
いやぁ、疲れて歩きたくなかったので少しバス停で立っていると連れが冷たい目で見ていることに気がつきました。
「どしたの?」
「そこ・・バス停ちがうんじゃない?あかべぇのバス停じゃん。」
「え!」
そうです、同じ停留所の名前でも街中はハイカラさんとあかべぇでは停留所が違うんです。
でも言われるまで気がつきませんでした。Σ(゚口゚;
ハイカラさんさっき行ったばっかりじゃん!
一本逃したら30分は確実に来ない。
と、なれば歩いていったほうが早い!?
と、見慣れぬ地図を目を皿のようにして見てみれば実はそんなに遠くない事が判明。
歩いて10分ぐらいで着きそうなので歩くことにしました。
ただ私の悪いところは・・地図が読めない事です。(笑)
進行方向左側を歩いていて突当たりを右折するので交差点を渡って向かい側(右側)にいったん渡ったのに何をトチ狂ったのか途中でまた左に戻ったんですよ・・。
そうしてしばらく行くと向かい側(そのまま歩いていれば目の前で見れたであろう)に土方さんの顔写真が走ってる車の隙間から見えた!!
えーーっ!っと思って目を凝らしてみたものの細かな説明書きが見えない!(T_T)
スマホで画像を撮ったけれども解像度がそこまでよくなくてやっぱり読めない!(T_T)
・・・帰ってネットで見るしかないなと諦めました。
さっき交差点を無意味に渡ってなければと大後悔です。
信号機のない道路を横断したくなかったので、と言っても交差点は遥か前と遥か後ろに。
観光客が信号のない道路を縦横無尽に渡ってたら地元の迷惑でしょ、そう思うと自分勝手な行動は出来ませんでした。(私はこういう性格です。)
しかし疲れていたので交差点まで戻る事もしませんでした。(根性なしです・・。)
さて、土方さんの顔写真の顔写真の右隣は長州の吉田松陰です。
出会う事はなけれども互いに敵味方になる立場の人が同じ旅館に宿泊していたというのは何か奇妙な縁を感じました。
土方さんの隣は多分新島夫妻です。奥さんはもちろん山本八重さん・・だと思うのですが、実は今会津若松観光ナビというHPの清水屋旅館跡のページを見ているのですが、ここだけ人が代わってる!
あれれ!?
三番目の立場ってそんなもん?なんて思ってしまいました。
人気で写真の入れ替えがあるんでしょうか。
ともあれ土方さんは不動の人気ですのでこれからもずっとお写真があると思います。(^_^;)
えー、現在七日町通りを西から東へ進行中・・そして突当たり右方向へ進みます。
七日町通りから右へ曲がったところは野口英世青春通りといいます。
歩道沿いにずっと野口英世の横顔のイラストが街灯のようにずっと建てられていて他の道とは違うんだよとアピールされています。
地図を改めて見てみれば先程の清水屋旅館跡に最寄のバス停【白木屋前】と【野口英世青春館前】は先程の角曲がって隣のバス停でした。
(ただしバスに乗っているとコース上七日町駅をぐるっと回るため遠いです。多分歩いた方が早いです.)
野口英世青春館は英世が左手の手術を受けた会陽医院跡の建物で一回が喫茶店です。
先に二階の資料館を見ようと思っていたのですが足にかなり疲労が来てましたので、自動的に足は一階の喫茶店へ。
小さな入口を少し覗き込むとものすごく混んでました!
大盛況です。
奥は喫煙席で空席があるとのことでしたが私は煙草のけむりが大っ嫌い!(笑)
とはいえ、今から他の喫茶店を探す気力もなく、どこにも動きたくなかったので待たせてくださいとお願いしたころ、手前奥の小さな狭いスペースが空きましたのでそこに座らせてもらう事が出来ました。
ラッキー!
店内はものすごくいい感じです。
レトロな内装、且つ、コーヒーが普通と違うんですよね。)^o^(
野口英世については金銭面やお酒にだらしがなかったという話もありますが私は大尊敬しています。
貧しい家に生まれ、しかも囲炉裏に落ちて左手を大やけどをしてグーの手になってしまって、いじめられ・・。
しかし手の手術を受ける事が出来て医学の道をめざし日本が、いえ世界が誇る医者・研究者になったという人です。
あの時代に東京で勉強するなんて、ましてや渡米して勉強するなんてどれだけのお金がかかる事でしょう。
確かに人から支援してもらったお金を渡米前の前祝にパーッと飲み代に使ってしまうような失敗もしてますが、猛省し、立派な先生となられました。
ですから私は彼の事を尊敬の意を込めて【ドクトル(Dr.)野口】と言っています。
努力は人を裏切らない、ということを信じさせてくれる人でもあります。
まあ、私のドクトル野口好きは置いておきまして、この喫茶店、ドクトル野口が後年渡米(中南米)したということでコーヒーの豆にこだわってました!
マイルドやアメリカン、コロンビア・マンデリンなどの通常メニューもありますが、今まで飲んだ事のないコーヒーがメニューに目が釘付けです!
(以下豆の名前)
◇ペルー・エキセルソ
◇メキシコ・アルトゥーラ
◇エクアドル
◇有機栽培ペルー
悩みました・・。(^_^;)
確かに今はスタバで世界中のおいしい豆のコーヒーが飲めますがスタバにもない豆がここにあった!
しかもコーヒー中毒の私がこの日はまだ一口もコーヒーを飲んでない!
コーヒーにかける期待が半端ない!
悩みに悩んだ結果頼んだのが本日のコーヒーセット。(笑)
だってクッキーが2枚つくんですもの。(^_^;)
ラッキーなことにこの日の本日のコーヒーはコロンビア・スプレモ(だった気が・・^^;)。
今までに経験したことのないアロマが鼻腔の中で広がり目が冴えました!
(すでにクッキー一枚は腹の中へ・・。)
連れはケーキセット(レモンティー)で。
ああ・・美味しかった。(^v^)
連れより早く食べ終わった私は一息つきながら店内内装を楽しみました。
私のテーブルのすぐ上のランプ風照明、素敵でしょ。
もう少し日が暮れるともっと幻想的になりそうでした。
右側の壁には冬の鶴ヶ城の写真が。
純白のお城もものすごく素敵でした。
会津はとても雪深い土地だそうです。
冬は今と違ってまったく別の雪国の生活になるんだろうなと会津の冬に心を馳せながら喫茶店を後にしました。
お二階はドクトル野口に関する小さな資料館みたいな感じでした。
入場料100円!!
喫茶店の裏?になる階段の上り口でお金を払い
スリッパに履き替えて暗い階段を上がります。
ドクトル野口に興味がない方は行かなくてもいいかも・・^^;。
ただ私にとっては薄汚いせんべい座布団でも思わず目を細くして懐かしむ場所でしたけど。
さあ、ようやく今晩のお宿へ向かいますよ!
つづく