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会津徒然
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滝沢本陣の見学終了後バス停へ戻ります。
ちなみに飯盛山への最寄のバス停は【飯盛山】でなく【飯盛山下】です。
インフォメーション(飯盛山観光案内所)側があかべぇの乗り場です。
GW期間は混みこみで臨時バスで二台目を出して運行してます。
が、乗り降りに時間がかかるうえ(通路まで満員ですと後ろの人が下りるときに通路にいる人はいったん下りてからまた乗ってます)、普通の車も多く町中は渋滞してますのでバスの時刻表通り来ないことが多いです。
今日は夏日で気温はぐんぐん上がってます。
朝は涼しかったのにと思いつつもちょっとぐったりした頃にやっと来ましたあかべぇさん。
そして超満員^^;。
立ちながら向かったのは天寧寺。
新選組局長、近藤勇のお墓があります。
(ここには首から上の部分が埋葬されているそうです。)
バス停【奴郎ヶ前】で降りたのはいいのですがはて、どうやって行けばいいのやら。
はたと気がつくとバス停を少し戻ったところの細い三叉路の入口に、
【近藤勇之墓、郡長正之墓入口】
と書いた大きな看板がありました。
そして少し向こうにお花を持った私より年上の御家族がいらっしゃいましたので、これは間違いないと思い距離をあけてついて行きました。(^_^;)
普通の住宅地を通り坂道を登りますと案内板が見えてきました。
しばらく行くと右手に熊野神社の石段、真ん中道路、左お寺の石段に分かれていましたので左の道を選択。
周りをお墓に囲まれた石段をそのまま進みます。
するとお寺がありました。
ここが天寧寺でした。
先程の道路もたぶん天寧寺の前の道路につながっているんだな・・と思いつつ、近藤さんのお墓は更に奥のようでしたので墓地の中を更に進みます。
天寧寺、山すそにありますので景色はいつの間にか山になります。
山すその所々にお墓があるという感じです。
最初はちゃんと道沿いに【近藤勇の墓】こっち、みたいな案内があるのですが、途中でどっちに行っていいのか分からなくなります。(^_^;)
基本、最後の一歩手前までは上り坂と考えていいでしょう。
ただ、最後の分かれ道は上の方へは向かわず真っ直ぐ進んでください。
それから一回ちょっと下がりますと手すりと階段が右手の方(だったかなぁ)に見えますのでそこが近藤さんのお墓です。
ここにも私達より先客がいました。
最初バス停を下りて見たお花を持った方は近藤さんのお墓が目的ではなかったようですが、途中明らかに観光客のような恰好の人達を3組抜かしてきましたので近藤さんのお墓にも結構沢山の方がお見えになってるんだなぁと思いました。
斎藤さんのお墓は本当境内に入って1分かからないで到着しますがここに来るのはちょっと決意がいるとおもいます。
それでも皆さんいらっしゃるのだなぁと思ってますと前の若い子のお参りが終わったようですので、私もお線香をあげさせてもらいました。
隣には土方さんの慰霊碑があります。
仲良く並んでいる二人を見るとなんだかホロリときました。
慰霊碑の右側に回りますとこのように書かれてます。
間違いなく土方さんの名前です。
戦士地:箱館一本木付近ですね。
慰霊碑の裏にはこの慰霊碑を立てた団体名が記されています。
会津若松ライオンズクラブとありました。
そして私が今立っている場所の丁度右手を伸ばしたところに記帳するノートがありました。
・・迷った末書かずにお墓を後にしました。
山中帰り道、行きの私達のように分かれ道で迷っていらっしゃる方がいらっしゃいましたので余計なお世話かもしれないと思いつつ、近藤さんのお墓はこっちですよと言うつもりだったのが、
「勇さんのお墓はこっちですよ。」
なんて言ってしまい、本当顔から火が出るかと思いました。
誰が勇さんなのー!ハズすぎ!
きっとその時は脳内で別の事を考えていたのでしょう。
ここまで来てかかなくていい赤っぱじをかいたと足早にバス停までもどりました。
つづく!
続きまして、
バス停【奴郎ヶ前】から次の目的地【会津武家屋敷前】までは一つ向こうのバス停。
ハイカラさん、あかべぇは30分に1本なので時間によっては歩いた方が早いのですが、すでに朝から歩きっぱなしで疲れを感じていました。
たまたまバス停に着いた時に次のバスが来たので天の助けとばかり飛び乗ったのですが・・いやぁ、歩かなくてよかったと思った距離でした。(笑)
会津武家屋敷は大きい!
一般車両用の駐車場も大きい!
ちなみにバス停は東山へ向かう停留所と市内へ向かう停留所がここだけ隣り合わせにありますのでご注意を!
会津武家屋敷は会津藩の御家老西郷頼母邸を昭和五十年に復刻させて作った・・ということですが、・・・広い・・・の一言です。
御家老ってものすごく偉いんだなっというのがわかります。
まじめに見るときっと一日かかりそうだと思ったのですが一人ではないのでそこそこに見ながら進みます。
しかしつい、注目してしまうところは・・厠!
(厠の写真はデータ量削減のため割愛)
砂を敷き詰めた箱車が下に置かれてます。
どうやらこの時代の偉い人のトイレというのは健康状態を調べるために毎回チェックされるようです。
いやだわ・・ぁ。(^_^;)
チェックされる側の人の心臓ってすごいわ・・。
ちなみに上の部分はオマルのように持ち手がついた和式でした。
ここのお風呂は火災予防の為、お湯をヒノキの湯船に運んでいたとありましたがすごい労力です。
御家老の御屋敷でないお風呂も再現されてましたのでそちらは写真をとりました。
小さいお風呂でした。
それでもお風呂があるだけ有り難いんですよね・・この時代は。
御家老の御屋敷を一回りした後、順路で言えば水車の後になるのでしょうか、お土産やがありました。
時間はすでにお昼近く。
お腹をすかせた連れの機嫌が悪いので(笑)あまり見ることが出来なかったのですが入口の所に模造刀が二本ありました。
両方とも赤い鞘。
商品見本だったので写真を撮って良いのかなとちょっと気が引けてしまったため写真がないのですが、今になってしまったと思っております。
模造刀の刀はそれぞれ沖田さんと土方さんのでした。
いやぁ・・どこまで本物が再現されているのか眉唾ものですがかっこよかったです。
もちろん抜いて見ることが出来ますのでしっかり見てきました。(笑)
ただ面白いと思ったのは、二人の刀、鞘とか飾り物が違うだけかと思ったら刀身自体も違ったんです。
絵にするとこんな感じ。
本物の真似だとしたらさぞ個性が出ていると思いました。
ちなみに土方さん愛刀を作った和泉守兼定さんのお墓も先程の天寧寺にあるそうです。
お腹がすきました・・。
武家屋敷の施設にある九曜邸でお蕎麦を食べました。
蕎麦だけでしっかり長居してここを出たのが三時。
まだお宿へ行くには少々早い気がしましたので町へ戻る事にしました。
つづく
追記:日記をフォレストページからフォレストページプラスに再アップしている時、テレビでサンドの伊達さんが丁度ロケで会津の武家屋敷を歩いていました。
東北では修学旅行のコースにこの会津武家屋敷が必ず入っていると言っていました。いいことです!素晴らしい!
ちなみに飯盛山への最寄のバス停は【飯盛山】でなく【飯盛山下】です。
インフォメーション(飯盛山観光案内所)側があかべぇの乗り場です。
GW期間は混みこみで臨時バスで二台目を出して運行してます。
が、乗り降りに時間がかかるうえ(通路まで満員ですと後ろの人が下りるときに通路にいる人はいったん下りてからまた乗ってます)、普通の車も多く町中は渋滞してますのでバスの時刻表通り来ないことが多いです。
今日は夏日で気温はぐんぐん上がってます。
朝は涼しかったのにと思いつつもちょっとぐったりした頃にやっと来ましたあかべぇさん。
そして超満員^^;。
立ちながら向かったのは天寧寺。
新選組局長、近藤勇のお墓があります。
(ここには首から上の部分が埋葬されているそうです。)
バス停【奴郎ヶ前】で降りたのはいいのですがはて、どうやって行けばいいのやら。
はたと気がつくとバス停を少し戻ったところの細い三叉路の入口に、
【近藤勇之墓、郡長正之墓入口】
と書いた大きな看板がありました。
そして少し向こうにお花を持った私より年上の御家族がいらっしゃいましたので、これは間違いないと思い距離をあけてついて行きました。(^_^;)
普通の住宅地を通り坂道を登りますと案内板が見えてきました。
しばらく行くと右手に熊野神社の石段、真ん中道路、左お寺の石段に分かれていましたので左の道を選択。
周りをお墓に囲まれた石段をそのまま進みます。
するとお寺がありました。
ここが天寧寺でした。
先程の道路もたぶん天寧寺の前の道路につながっているんだな・・と思いつつ、近藤さんのお墓は更に奥のようでしたので墓地の中を更に進みます。
天寧寺、山すそにありますので景色はいつの間にか山になります。
山すその所々にお墓があるという感じです。
最初はちゃんと道沿いに【近藤勇の墓】こっち、みたいな案内があるのですが、途中でどっちに行っていいのか分からなくなります。(^_^;)
基本、最後の一歩手前までは上り坂と考えていいでしょう。
ただ、最後の分かれ道は上の方へは向かわず真っ直ぐ進んでください。
それから一回ちょっと下がりますと手すりと階段が右手の方(だったかなぁ)に見えますのでそこが近藤さんのお墓です。
ここにも私達より先客がいました。
最初バス停を下りて見たお花を持った方は近藤さんのお墓が目的ではなかったようですが、途中明らかに観光客のような恰好の人達を3組抜かしてきましたので近藤さんのお墓にも結構沢山の方がお見えになってるんだなぁと思いました。
斎藤さんのお墓は本当境内に入って1分かからないで到着しますがここに来るのはちょっと決意がいるとおもいます。
それでも皆さんいらっしゃるのだなぁと思ってますと前の若い子のお参りが終わったようですので、私もお線香をあげさせてもらいました。
隣には土方さんの慰霊碑があります。
仲良く並んでいる二人を見るとなんだかホロリときました。
慰霊碑の右側に回りますとこのように書かれてます。
間違いなく土方さんの名前です。
戦士地:箱館一本木付近ですね。
慰霊碑の裏にはこの慰霊碑を立てた団体名が記されています。
会津若松ライオンズクラブとありました。
そして私が今立っている場所の丁度右手を伸ばしたところに記帳するノートがありました。
・・迷った末書かずにお墓を後にしました。
山中帰り道、行きの私達のように分かれ道で迷っていらっしゃる方がいらっしゃいましたので余計なお世話かもしれないと思いつつ、近藤さんのお墓はこっちですよと言うつもりだったのが、
「勇さんのお墓はこっちですよ。」
なんて言ってしまい、本当顔から火が出るかと思いました。
誰が勇さんなのー!ハズすぎ!
きっとその時は脳内で別の事を考えていたのでしょう。
ここまで来てかかなくていい赤っぱじをかいたと足早にバス停までもどりました。
つづく!
続きまして、
バス停【奴郎ヶ前】から次の目的地【会津武家屋敷前】までは一つ向こうのバス停。
ハイカラさん、あかべぇは30分に1本なので時間によっては歩いた方が早いのですが、すでに朝から歩きっぱなしで疲れを感じていました。
たまたまバス停に着いた時に次のバスが来たので天の助けとばかり飛び乗ったのですが・・いやぁ、歩かなくてよかったと思った距離でした。(笑)
会津武家屋敷は大きい!
一般車両用の駐車場も大きい!
ちなみにバス停は東山へ向かう停留所と市内へ向かう停留所がここだけ隣り合わせにありますのでご注意を!
会津武家屋敷は会津藩の御家老西郷頼母邸を昭和五十年に復刻させて作った・・ということですが、・・・広い・・・の一言です。
御家老ってものすごく偉いんだなっというのがわかります。
まじめに見るときっと一日かかりそうだと思ったのですが一人ではないのでそこそこに見ながら進みます。
しかしつい、注目してしまうところは・・厠!
(厠の写真はデータ量削減のため割愛)
砂を敷き詰めた箱車が下に置かれてます。
どうやらこの時代の偉い人のトイレというのは健康状態を調べるために毎回チェックされるようです。
いやだわ・・ぁ。(^_^;)
チェックされる側の人の心臓ってすごいわ・・。
ちなみに上の部分はオマルのように持ち手がついた和式でした。
ここのお風呂は火災予防の為、お湯をヒノキの湯船に運んでいたとありましたがすごい労力です。
御家老の御屋敷でないお風呂も再現されてましたのでそちらは写真をとりました。
小さいお風呂でした。
それでもお風呂があるだけ有り難いんですよね・・この時代は。
御家老の御屋敷を一回りした後、順路で言えば水車の後になるのでしょうか、お土産やがありました。
時間はすでにお昼近く。
お腹をすかせた連れの機嫌が悪いので(笑)あまり見ることが出来なかったのですが入口の所に模造刀が二本ありました。
両方とも赤い鞘。
商品見本だったので写真を撮って良いのかなとちょっと気が引けてしまったため写真がないのですが、今になってしまったと思っております。
模造刀の刀はそれぞれ沖田さんと土方さんのでした。
いやぁ・・どこまで本物が再現されているのか眉唾ものですがかっこよかったです。
もちろん抜いて見ることが出来ますのでしっかり見てきました。(笑)
ただ面白いと思ったのは、二人の刀、鞘とか飾り物が違うだけかと思ったら刀身自体も違ったんです。
絵にするとこんな感じ。
本物の真似だとしたらさぞ個性が出ていると思いました。
ちなみに土方さん愛刀を作った和泉守兼定さんのお墓も先程の天寧寺にあるそうです。
お腹がすきました・・。
武家屋敷の施設にある九曜邸でお蕎麦を食べました。
蕎麦だけでしっかり長居してここを出たのが三時。
まだお宿へ行くには少々早い気がしましたので町へ戻る事にしました。
つづく
追記:日記をフォレストページからフォレストページプラスに再アップしている時、テレビでサンドの伊達さんが丁度ロケで会津の武家屋敷を歩いていました。
東北では修学旅行のコースにこの会津武家屋敷が必ず入っていると言っていました。いいことです!素晴らしい!