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会津徒然
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鶴ヶ城天守閣を急いで回ったといっても結構時間は経っているわけですっかり夕方です。
たいていの観光施設は5時までというところが多いので今日の観光はここまで、と、言いたいところですが今日見ておきたい目的地がまだありますので今からそこに向かいます。
お城を西側に抜けます。
お堀を左手に見ながら大きな道路へ。
とりあえず、横断歩道を渡って南側へ(信号渡って左)
これが多分国道118号線。
少し南側へ進めばこのような道路標識が遠くに見えます。
目指すは高木邸跡。
そのためにまず近くにある有名史跡【山本覚馬・八重の生誕の地】を目指します。
そうするとしっかり分かりやすい案内棒が!大河ドラマの力って凄いですね~。
(注:城南通りまで行きません)
これを右に曲がります。
ここは本当にごくごく普通の住宅地なので史女がキャーキャー言いながらうるさくするのは近所迷惑なので静かに歩きます。
少し行くと普通の住宅のブロック塀に八重の生誕地碑が書いたものがありまして、この先に生誕地の看板があるとの事で更に進みます。
あった!
意外にすぐです。
ちなみにどんな場所かというとこんな所です。
黄色い→が今通ってきた道です。
左上の黄色い○印が鶴ヶ城のある方向です。
そして立札にはこの近所の地図があります。
(そうそうこれが見たかった、(^_^))
高木時尾さんの家とあります。
\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/
脳内で時尾さん=>斎藤さんへと繋がります。
もちろんどんなところか興味があります。
と、いうよりそこへ行くために来たので八重の碑を後にして向かいます。
ただ昔と道が違うので注意です。
少し戻って地図の茶色い道に沿って高木家があったであろうと思われる場所へ行きました。
道はどんづまり。
どなたかのお家が建ってました。
他人の家を写真に撮るのはマナー違反と思いまして写真は撮りませんでしたが、地図によればそこが間違いなく時尾さんのお家があった場所。
満足して引き返しました。
宿へ帰るためにもう一度下りたバス停(ハイカラさん)に戻るためにもう一度鶴ヶ城へ向かったわけですが、その途中、先程の国道118号沿いを歩いていた時にお城が見えました。
高木家からは多分こんな感じで見えたであろう鶴ヶ城。
斎藤さんが結婚されたのは戊辰戦争の後で東京に移ったのが明治7年ということですから、もしそれまでに高木家に住んでいたことがあるならば、西軍(官軍)の砲弾により傷ついた鶴ヶ城をこのような角度で臨んだのだろう・・と思いを寄せて。
来た道を戻ります。
西側の堀、鯉が沢山います。
御近所の方でしょうか、おじいちゃんと孫娘が鯉に餌をあげてました。
車道との間に縁石があるだけなので突き落とされれば確実にドボンといきます。(笑)
本日最後にもう一つ回りたいと思っていた場所へ向かいます。(もちろん計画的にです。(^_^;))
それは阿弥陀寺。
斎藤さんのお墓です。
阿弥陀寺東というバス停で降りればいいのかなと思いバスの停車ボタンを押しましたら、運転手さんが、
「道路工事の為、通過します。次の停留所で下りて下さい。」
とアナウンスが。
((((;゚Д゚)))) ワタシハホウコウオンチ
げげっと思いましたがバスはそのまま阿弥陀寺の正面?を通り次の七日町駅前に停まり私達は下車。
遠かったらどうしようかと思いましたが、はっきり言って激近でした。
駅の通り挟んで斜め前、という感じでした。(^_^;)ヨカッタ
降りた七日町駅はとても緑の屋根の可愛い駅でした。
(会津若松駅の一つ隣の駅です。やじるしの方向に線路が走ってます。)
データ量の関係でプラスでは写真を割愛。
さて時刻は17時をちょっと回ったところ。
本当のお寺なので観光施設のように17時で閉所というわけではないだろうな・・と思いながらそのまま敷地内に入りました。
お坊さんやお寺関係者の姿はまったくなく、いったい斎藤さんのお墓はどこにあるのだろうかと歩き続けるとすぐに人を発見!(どこかの御夫婦で思いっきり観光客のにおいがしました。)
ので、たぶん斎藤さんのお墓を見に来たのかなぁ~と思いながら近寄ると、立札(看板)とともに新撰組三番隊組長斎藤一の墓と書いてありました。ワカリヤスイ!
斎藤さんのお墓とありますが墓標は藤田家の墓です。
時尾さんもご一緒に眠られているのでしょうね。
斎藤さんからすればお前誰だと言われそうですが私は興奮MAXです。
やっと来たよ!斎藤さん!!
前の御夫婦がお墓の前から移動したので、すかさずお墓の前に移動しました。
京都で買ったお線香を数本取り出し左手に握り、先程買った100円ライターを出そうとカバンの中をごそごそとやっているうちに左手に力が入りお線香が粉々に粉砕。(汗)
気を取り直してお線香をあげました。
『こうこうこういう理由でお参りさせて頂きました』と報告。
変なもので斎藤さんに私の名前を報告するときは土岐武尊で報告しました。
びっくりしてると思います。
【るろうに剣心】という一つの漫画が始まりで本当は縁もゆかりもない斎藤さんのはずだったのに。
キャラクターとしては架空の人物かもしれませんが、新撰組が激動の幕末で活躍したことは史実。
彼らの志が、魂が、同じ思いを持つ日本人を引き付けて離さないのだと思います。
彼らが託した日本の未来。
より良きものにしていくことこそが彼らの志を継ぐことになるのではないでしょうか。
いろいろ感謝の気持ちを報告をさせて頂きました。
ずっとずっとこの場所でいろいろ語りかけたい事があったのですが、連れがお疲れのようで・・(^_^;)。
仕方がないのですぐ前の御三階と本堂をサラッと通りまして宿へ向かいました。
お墓の写真を撮るなんてちょっと抵抗があったのですが・・藤田家の皆様お許しくださいませ。
それにしてもこんなに沢山の人に写真を撮られているお墓なんてあまりないですよね・・。
うるさくしてすみませんとちょっぴり謝って来ました。
今日のお宿は
「斎藤さんのお墓にすぐの場所がいい。」
という理由で決めました!(理由は連れには内緒です。)
夜中・・
七日町はとても静かです。
私のマンションの近くは阿呆どもが夜中にパラリラパラリラと道路を暴走することが多くてイラっと来ることもあるのですが、本当に会津若松の町は静かで心休まりました。
就寝で部屋の電気を消すと月明かりがとても明るかったです。
思わず障子を開き、網戸を開いて月を仰ぎみれば丁度真南ぐらいの高さに昇ってました。
雲一つない夜空に満月より少し欠けた明る過ぎる月。
思わず自分の書いている夢小説を思い出ししばらく月を見上げてました。
つづく
たいていの観光施設は5時までというところが多いので今日の観光はここまで、と、言いたいところですが今日見ておきたい目的地がまだありますので今からそこに向かいます。
お城を西側に抜けます。
お堀を左手に見ながら大きな道路へ。
とりあえず、横断歩道を渡って南側へ(信号渡って左)
これが多分国道118号線。
少し南側へ進めばこのような道路標識が遠くに見えます。
目指すは高木邸跡。
そのためにまず近くにある有名史跡【山本覚馬・八重の生誕の地】を目指します。
そうするとしっかり分かりやすい案内棒が!大河ドラマの力って凄いですね~。
(注:城南通りまで行きません)
これを右に曲がります。
ここは本当にごくごく普通の住宅地なので史女がキャーキャー言いながらうるさくするのは近所迷惑なので静かに歩きます。
少し行くと普通の住宅のブロック塀に八重の生誕地碑が書いたものがありまして、この先に生誕地の看板があるとの事で更に進みます。
あった!
意外にすぐです。
ちなみにどんな場所かというとこんな所です。
黄色い→が今通ってきた道です。
左上の黄色い○印が鶴ヶ城のある方向です。
そして立札にはこの近所の地図があります。
(そうそうこれが見たかった、(^_^))
高木時尾さんの家とあります。
\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/
脳内で時尾さん=>斎藤さんへと繋がります。
もちろんどんなところか興味があります。
と、いうよりそこへ行くために来たので八重の碑を後にして向かいます。
ただ昔と道が違うので注意です。
少し戻って地図の茶色い道に沿って高木家があったであろうと思われる場所へ行きました。
道はどんづまり。
どなたかのお家が建ってました。
他人の家を写真に撮るのはマナー違反と思いまして写真は撮りませんでしたが、地図によればそこが間違いなく時尾さんのお家があった場所。
満足して引き返しました。
宿へ帰るためにもう一度下りたバス停(ハイカラさん)に戻るためにもう一度鶴ヶ城へ向かったわけですが、その途中、先程の国道118号沿いを歩いていた時にお城が見えました。
高木家からは多分こんな感じで見えたであろう鶴ヶ城。
斎藤さんが結婚されたのは戊辰戦争の後で東京に移ったのが明治7年ということですから、もしそれまでに高木家に住んでいたことがあるならば、西軍(官軍)の砲弾により傷ついた鶴ヶ城をこのような角度で臨んだのだろう・・と思いを寄せて。
来た道を戻ります。
西側の堀、鯉が沢山います。
御近所の方でしょうか、おじいちゃんと孫娘が鯉に餌をあげてました。
車道との間に縁石があるだけなので突き落とされれば確実にドボンといきます。(笑)
本日最後にもう一つ回りたいと思っていた場所へ向かいます。(もちろん計画的にです。(^_^;))
それは阿弥陀寺。
斎藤さんのお墓です。
阿弥陀寺東というバス停で降りればいいのかなと思いバスの停車ボタンを押しましたら、運転手さんが、
「道路工事の為、通過します。次の停留所で下りて下さい。」
とアナウンスが。
((((;゚Д゚)))) ワタシハホウコウオンチ
げげっと思いましたがバスはそのまま阿弥陀寺の正面?を通り次の七日町駅前に停まり私達は下車。
遠かったらどうしようかと思いましたが、はっきり言って激近でした。
駅の通り挟んで斜め前、という感じでした。(^_^;)ヨカッタ
降りた七日町駅はとても緑の屋根の可愛い駅でした。
(会津若松駅の一つ隣の駅です。やじるしの方向に線路が走ってます。)
データ量の関係でプラスでは写真を割愛。
さて時刻は17時をちょっと回ったところ。
本当のお寺なので観光施設のように17時で閉所というわけではないだろうな・・と思いながらそのまま敷地内に入りました。
お坊さんやお寺関係者の姿はまったくなく、いったい斎藤さんのお墓はどこにあるのだろうかと歩き続けるとすぐに人を発見!(どこかの御夫婦で思いっきり観光客のにおいがしました。)
ので、たぶん斎藤さんのお墓を見に来たのかなぁ~と思いながら近寄ると、立札(看板)とともに新撰組三番隊組長斎藤一の墓と書いてありました。ワカリヤスイ!
斎藤さんのお墓とありますが墓標は藤田家の墓です。
時尾さんもご一緒に眠られているのでしょうね。
斎藤さんからすればお前誰だと言われそうですが私は興奮MAXです。
やっと来たよ!斎藤さん!!
前の御夫婦がお墓の前から移動したので、すかさずお墓の前に移動しました。
京都で買ったお線香を数本取り出し左手に握り、先程買った100円ライターを出そうとカバンの中をごそごそとやっているうちに左手に力が入りお線香が粉々に粉砕。(汗)
気を取り直してお線香をあげました。
『こうこうこういう理由でお参りさせて頂きました』と報告。
変なもので斎藤さんに私の名前を報告するときは土岐武尊で報告しました。
びっくりしてると思います。
【るろうに剣心】という一つの漫画が始まりで本当は縁もゆかりもない斎藤さんのはずだったのに。
キャラクターとしては架空の人物かもしれませんが、新撰組が激動の幕末で活躍したことは史実。
彼らの志が、魂が、同じ思いを持つ日本人を引き付けて離さないのだと思います。
彼らが託した日本の未来。
より良きものにしていくことこそが彼らの志を継ぐことになるのではないでしょうか。
いろいろ感謝の気持ちを報告をさせて頂きました。
ずっとずっとこの場所でいろいろ語りかけたい事があったのですが、連れがお疲れのようで・・(^_^;)。
仕方がないのですぐ前の御三階と本堂をサラッと通りまして宿へ向かいました。
お墓の写真を撮るなんてちょっと抵抗があったのですが・・藤田家の皆様お許しくださいませ。
それにしてもこんなに沢山の人に写真を撮られているお墓なんてあまりないですよね・・。
うるさくしてすみませんとちょっぴり謝って来ました。
今日のお宿は
「斎藤さんのお墓にすぐの場所がいい。」
という理由で決めました!(理由は連れには内緒です。)
夜中・・
七日町はとても静かです。
私のマンションの近くは阿呆どもが夜中にパラリラパラリラと道路を暴走することが多くてイラっと来ることもあるのですが、本当に会津若松の町は静かで心休まりました。
就寝で部屋の電気を消すと月明かりがとても明るかったです。
思わず障子を開き、網戸を開いて月を仰ぎみれば丁度真南ぐらいの高さに昇ってました。
雲一つない夜空に満月より少し欠けた明る過ぎる月。
思わず自分の書いている夢小説を思い出ししばらく月を見上げてました。
つづく