とくべつなきみへ
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それから4月までの2ヶ月。
なんだかずっとマリウスの顔を上手く見られず、わたしたちの間にはギクシャク、とまではいかないけれど、奇妙な距離感が生まれていた。
会えば話をするし、ラインもする。
だけど、前のようにくだらないことでバカみたいに笑ったり、用もないのにお互いの部屋を行き来することはなくなった。
鈍感な彼も、さすがにその空気には気づいていたみたいだったけど、彼の方から何か言ってくることはなかった。
わたしにも、自分がどうしてこうなっているのかわからなかった。
あれから、わたしは夜になると決まってアルバムを開くようになった。
ほとんどの写真にマリウスが一緒に写っていて、こんなにずっと一緒だったんだ、と驚く。
出会った頃、一緒にプリキュアのポーズをしている写真。
小学校の頃、歯が抜けた顔をお互い指差して笑っている写真。
中学に入学して、初めての制服にむずかゆそうな顔をしている写真。
高校の頃、休み時間の教室で2人してレディーガガを踊ってる写真。
そういえばこの頃、海外ドラマにどハマりして毎日のように部屋で一緒に見てたっけ。
めくればめくるほど、マリウスとの思い出が鮮明に蘇る。
マリは、この思い出のどれくらいを覚えていて、どれくらいをドイツに持っていって、どれくらいを思い返してくれるのかな。
“遠距離とか無理じゃない?人の心ってつなぎとめておくの難しいし”
彼の言葉が日ごとに重くなってのしかかる。
例え話で、しかも彼女がいたら、の話。
単なる幼なじみのわたしには関係ないし、傷つく要素なんて一つもないはずなのに。
アルバムをぱたりと閉じれば、同時に横に置いていたスマホが通知で光った。
〈あした、見送りきてくれるよね?〉
見送りに来てほしいと思ってくれる程度には、わたしは彼の心に存在できているのだろうか。
よぎった思いの卑屈さに、思わず笑ってしまう。
〈もちろん〉
一言だけ返して、スマホの明かりを消しベッドに潜り込んだ。
電光掲示板が切り替わり、ドイツ行きの便が表示される。
左腕に巻かれた時計を確認し、マリが『もう時間だ』と呟いた。
『じゃ、〇〇、みんなによろしくね』
高く甘い声を響かせ、にっこりと笑う。
楕円を描く口角は昨日見たアルバムと変わらなくて、鼻の奥がツンとした。
うん、と頷くほかに、言いたいことも聞きたいことも山ほどあって、だけどきっとそれは、旅立とうとしている彼にかけるべきではない言葉だ。
こんな日が来るのはわかってた。
だって彼は特別だから。
背中の羽をめいっぱい広げ、高く高く飛び立って、いろんなものを見て、いろんなことを学んで、きっとこれから、広い空でわたしたちにできないことをするようになるんだろう。
でも。
広い空で生きるようになった彼は、だけどそれじゃあ、そんな高いとこからじゃ、きっと地上のわたしなんか豆粒ほどにも見えやしないだろう。
『〇〇も元気でね。手紙書くから』
その言葉に思わず吹き出す。
ふだんラインさえ返すのが遅い人なのに、手紙なんて。
「恋人と遠距離むりな人が、ただの幼なじみに手紙はもっとむりだよ。マリは絶対わたしのこと忘れちゃうでしょ」
はは、と冗談ぽく笑おうとした頰を、ツっと生温かいものが伝った。
その感触に動揺する。
うわやだ。
彼の門出はぜったいに笑顔でいようって決めてたのに。
「…っ早く行きなよ。じゃ、ばいばい」
泣き顔を見せないように後ろを向いて、そのまま逃げるように早足で進む。
『〇〇』
後ろから声が聞こえたけど、振り向くわけにはいかなかった。
『〇〇、ね、ちょっと、〇〇、まって!』
振り向いたら、このぐちゃぐちゃの泣き顔がバレてしまう。
『っ〇〇ちゃん!』
響いた懐かしい呼び方。
ずっと昔の幼い頃の呼び名に、無理やり進めていた足の力が抜け、立ち止まる。
ずるい。
足音が近づき、肩を掴まれくるりと振り向かせられる。
ああ、もう、やっぱり。
彼はそう呟きながら、長い指で涙をすくう。
『ずっとなんだか様子が変だなって思ってたら、そんなこと気にしてたの』
もう泣かないで、と困ったように眉を下げる。
『あのね、遠距離が無理ってたしかにボク言ったけど、それはあくまで一般論であって、なんていうか、なんにでも例外はあるっていうか』
あーもう、とまとまりきらない言葉を諦めたように、彼はため息をついた。
『やっぱりハグしてい?』
返事をする前に、ふわりと香りに包まれる。
15年間、ずっと隣にあった嗅ぎなれた香り。
『………ボクずっと、もしかしたら〇〇は見送りに来ないかもしれないなって思ってた』
彼の声が、耳元で優しく響く。
『最近〇〇よそよそしかったし、ヘンな距離感生まれてたし。見送りなんてそんな重要なイベントじゃないって思おうとしたけど、やっぱり来てくれないのはやだったし、昨日のメールも、来ないって言われたらどうしようってちょっと怖かったよ』
ぎゅうっと、長い腕に力がこもる。
その温かさに安心して、よけい涙が出て嗚咽が漏れた。
“遠距離とか無理じゃない?”
たぶんわたしは、ずっと不安だった。
あの言葉が、私と、そして私との思い出さえも置き去りにするように聞こえて、ずっと怯えていた。
そして、無自覚だった自分の中でのマリウスの存在の大きさを、いきなり自覚して、戸惑って、混乱して、自分でもどうすればいいかわからなくなっていたんだ、と彼の腕の中で今さら気づいた。
こんなの、マリウスのこと鈍感なんて言えないじゃん。
わたしをあやすように背中でリズムを刻んでいた手が、静かに止まる。
『ボクね、みんなが言う“恋愛”って、やっぱりよくわかんない』
頭の上から降る柔らかな声が、鼓膜を震わす。
『でも、昔からボクにとって1番大切な女の子は1人だけなんだ』
マリウスがわたしの目を見つめ微笑む。
花が咲くように笑う、というのは、きっとこんな顔だろう。
すべての植物に春を与えるような、こんな柔らかな温かい笑顔。
『君は、特別。15年前から、ずっとずっとボクの特別』
どこにいたって忘れるわけないじゃん、と弾んだ声で笑う彼に、つられてわたしも泣きながら笑った。
涙できっとひどい顔になっているだろうけど、でもそんな顔、そういえば小さな頃からいくらでも見せ合ってきたんだから関係ないや。
ただ、今は、この大好きな幼なじみの門出に、めいっぱいのエールを。
彼が大陸の向こう側の遠い地で、自由に羽ばたけますように。
ドイツ行きの飛行機への搭乗を告げるアナウンスが流れる。
『Love you.』
その言葉とともに小さく頰に落とされたキス。
そこに、別れの挨拶以上の意味を探してしまう自分には、今は気づかないふりをした。
焦って答えを見つけなくてもいい。
わたしたちには、まだたっぷり時間があるんだから、ゆっくり考えよう。
2年後、また桜の咲くこの季節で、お互い出した答えを持ち寄って、そしてまた、そこから始めよう。
「がんばれ!!マリ、がんばれー!」
彼はまるでこの世の祝福を一身に受けているように、晴れやかに笑い、大きく手を振りながら搭乗口の向こうへ歩いて行った。
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