とくべつなきみへ
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
隣の家に天使が引っ越してきたのは5歳の時だった。
ふわふわな栗毛を揺らしながら「マリウスです」と舌ったらずに名乗った同い年のその子には、頭の輪っかも背中の翼もなかったけれど、それでもやっぱり彼は特別だった。
彼は幼稚園の男の子たちがバカにする女の子向けのアニメを「超クール!」と目を輝かせながら一緒に観てくれたし、幼稚園の女の子たちが遠巻きにクスクス笑う天パの子を「その髪のくるくるすっごい綺麗!」と手を叩いて賞賛した。
「あの子変わってる」なんていう周囲の言葉は、結局彼が“とくべつ”だということを示すものでしかなかった。
家が隣同士のわたしたちは、すぐに仲良くなった。
そして、天使はわたしの唯一無二の相棒になり、15年経った今、彼は隠していたその翼を大きく広げ、わたしのもとを離れようとしている。
「荷物少なくない?」
『とりあえず必要なものだけ。あとはあっちで揃えよっかなって』
わたしより頭2つ分大きな幼なじみは、「んしょ」と、その高い身長に似合わない可愛らしい掛け声で荷物を持ち上げた。
空港は、春休みの時期だからか、ばたばたと混み合っていた。
少し見上げた先にあるその顔は、あの頃よりもずいぶん大人びたけど、好奇心をいっぱいに宿した瞳や、笑うと楕円を描く口角には、幼かった頃の面影がまだ残っている。
「あっち、寒いらしいね。ちゃんとあったかくするんだよ。わたしがあげたマフラー使いなね」
『うん』
「日本より治安良くないんだから、夜遊びはほどほどにね」
『はいはい、わかったよママ。あとはなに?お別れのハグ?』
おどけたようにそう言って笑う彼に、「しないわバカ」と笑ったわたしの顔は、いつもと同じ表情を作れていただろうか。
元気でね、とか、気をつけてね、とか、そんなありきたりな言葉じゃなくて、もっと言いたいことがあるはずなのに、なぜか言葉は形になる前に消えてしまう。
さよならの時間は、もうすぐそこに迫っているのに。
『ドイツに2年間インターンに行くことにした』
2月に入って就活がいよいよ目前に迫り、大学のたまり場でいつものメンバー4、5人と「何の業種受ける?」「やっぱ転勤したくないから総合職かな」なんて会話を交わしている中、隣の彼は唐突に切り出した。
「うそ、いつから」
「大学はどうすんの?」
彼がいきなり何かを言い出すことには慣れっこな級友たちも、これにはさすがに驚いていたようで、矢継ぎ早に質問が飛ぶ。
『大学は休学して、今年の4月から行ってくる』
まわりの動揺も意に返さず、彼は飄々と質問に答える。
その様子から、彼がいつものような思いつきで、こんなことを言っているわけではないことがわかった。
もちろんわたしも驚いていたけど、同時にひどく冷静にそれを受け止めている自分がいた。
いつかこんな日が来ることを、どこかでわかっていた気がした。
彼が周りと同じようにリクルートスーツを着て、試験や面接を受けて、就職する未来の方が、わたしには想像しにくかった。
だって彼は特別だから。ずっと昔から、特別だったから。
「ま〜〜じかぁ、寂しくなるなぁ」
一通り質問し終えたあと、嘆く友人たちの中の1人が、「でもさ」と話し出す。
「マリウス、モテんのに彼女ずっと作らなかったじゃん。逆によかったよな。遠距離なったらつらいもん」
そう思わん?と急に同意を求められ、「あーね」と咄嗟に返す。
「たとえばさ〜彼女いたとしたら、どうしてた? 遠距離してた??」
『えーーボクいっつも言ってんじゃん、恋愛とかよくわかんないって』
「まあまあ、マリちゃんたとえばの話よ、考えてみてよ」
調子のいい友人に『も〜〜〜〜』と口を尖らせながらも、彼は口を開く。
『でも普通に考えたら遠距離とか無理じゃない?人の心ってつなぎとめておくの難しいし、相手もボクも会わない間にきっと色々変わるし。遠く離れてるから好きでい続けてもらう努力をするのも、なかなか大変だろうしね』
隣から放たれた声に、ココアクッキーを頬張る手が、固まった。
ミシッと心が変な音を立てて軋む。
あれ、なんだこれ。
「“無理じゃない?”ってめちゃくちゃバッサリ切るじゃん……冷徹…冷徹ウス………」
『聞かれたから答えたのにひどくない?!』
「ごめんって! ねえ〇〇、マリウスの機嫌なおしてよ」
いじいじと拗ね始めた彼を見かねて、友人たちがわたしに手を合わせる。
「………あ」
そこでようやく、息を止めていたことに気づいた。
不自然に空いてしまった間を誤魔化すように慌てて笑顔を作って、話に乗る。
「や、これポーズだから。いつものやつ。10分もしたらこの子ケロっとしてるから気にしなくて大丈夫」
『〇〇までひどい!!!!!』
ね〜〜え〜〜〜〜〜〜ちゃんと慰めてよ!と横からわたしを揺さぶるマリウスと、うるさ〜〜いと両手で耳を塞ぐわたしに、周りがドッと笑う。
よかった。普通に振る舞えてる。
ホッとしつつも、だけどどうしても横の彼の顔を直視することはできなかった。
1/2ページ