Assortment of sweets
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
バレンタインなんてロクなイベントじゃない。
その日が近づくにつれて、周りは浮き足立ち始めて落ち着かないし、街全体がバレンタイン一色に染まっていく感じも苦手だ。
所詮、製菓会社の思惑が渦巻いたイベントで、それに乗せられるのもなんだか癪だし、女の子から男の子にチョコをあげる日だなんて、ジェンダー問題が叫ばれてる今、時代に逆行してない?
ていうか、そもそもチョコってそんなに好きじゃないし。
……だから。
〜Crushed Macaroons〜
「……バレンタインなんて、なかったらよかったのに」
小さくこぼした呪いの言葉は、目の前の現実を1ミリだって巻き戻してくれなかった。
角がつぶれてひしゃげた箱に絶望しながら、それでも祈りを込めて中身を確認して、祈りなんてまったく届かなかったことを知り、いっそう絶望した。
さっき家を出る前、そういえば天気予報士が、“おとといからの寒波による路面凍結にご注意ください” と言っていた。ニューヨークは氷点下10℃だとリポーターが身を縮こめる中継映像に、“人が生きていける気温じゃないじゃん!”って、しっかり驚いたのに。
まさか自分が登校中に足を滑らす可能性なんて、1%も考えていなかった。
伸ばした手が掴んだのは紙袋だけで、箱の方は袋から飛び出て、真っ逆さまに濡れた地面に落ちた。
慌てて拾ったから、そこまで濡れはひどくなかったけれど、中身はほとんどヒビが入ってしまっていた。
何度も練習して、やっと作れるようになったのに。
ちょうど半月前、こっそりバレンタインに向けてリサーチしようと思って、何気なく勝利に「和菓子以外のお菓子だったら何が好きなの?」と聞いた。
『えー…なんだろ』
「なんかあるでしょ?考えて考えて!」
『うーん……和菓子以外のもの…?………あ、』
スマホから顔を上げた勝利に「なになに?!」と身を乗り出せば、彼はぽつりと『……マカロン、かな』と言った。
お菓子作りなんてほとんどしたことなかったから、「どうしてもチョコレートマカロンが作りたいの!」と料理が得意なひよりに頼み込んで、教えてもらった。
最初は酷かった。それはもう、酷かった。
ハンドミキサーを使えば生クリームを撒き散らし、粉を振るうだけでなぜかキッチン中を真っ白にしてしまう。
あの温厚なひよりが思わず絶句してしまうほど。
何度も何度も「バレンタインなんて滅せばいいのに!」と呪詛を吐き、何度も何度も「もうやだ!!」とひよりに泣きついて、それでも、寝る間も惜しんで何度も何度も練習した。
そして、ひび割れたマカロンを百数個ほど作り続けた末、ようやく綺麗に出来上がった奇跡みたいな愛しい愛しいチョコレートマカロンが、数十秒前まで箱の中に入っていた、はずだった。
「………やっぱりバレンタインなんてなくなっちゃえ」
歪んだリボンをぐしゃぐしゃに握りしめた。
〜Blue Sideline〜
すん、と開けた窓の隙間から空気を吸えば、冷気が鼻先をかすめた。
52階のこの部屋から見える東京タワーは、澄んだ青空に映えている。
ニューヨークは昨日からこっちよりずっと冷え込んでいるらしい。
そういえば水道の元栓閉めてきたっけ。凍ってたらどうしよう。あとでアンナにメールして確かめてきてもらおう。
『寒くないの?』
ふわりと後ろから回された腕に見上げれば、寝癖をつけたままの先生が、まだ眠たそうな目でわたしの肩に顔を置いた。
「…昨日、夜おそかったですよね?もうすこし寝てればいいのに」
わたしが大学院を休んで一時帰国する前から、バレンタインに向けた限定コフレの発売で、先生はずいぶん忙しそうにしていた。
限定色のリップは、色ごとにそれぞれ込められている意味が違うらしく、そのコンセプトのロマンチックさとパッケージの可愛さで、発売前からかなり話題になっていたみたいだった。
『売り場は今日が1番忙しいけど、オレの仕事は一応昨日で一旦ひと区切り』
先生は、わたしの首元に顔をうずめて、『それに』と続ける。
『大事な彼女が帰国してるバレンタイン、寝てるのもったいない』
擦り合わせるようにして重ねられた唇は、仕事でクリスマスに会えなかったことをまだ気にしてるのが丸わかりで、きっと今日休むために一生懸命調整してくれたんだろうと思うと、心が温かいものでいっぱいになる。
『何で笑ってるの』
「ふふ、そういえば高校生の頃、初めて先生の部屋に行った時もキスされそうになったなあって思い出して」
『……ほんと忘れて。あれ以来オレ、自分の理性を全く信じられなくなったんだから』
恥ずかしそうに頬を染めながら、『健人って呼んでって何回も言ってるのに、ずっと先生呼びだから余計罪悪感が……』と、ごにょごにょと口ごもる。
それが愛おしくて、肩にある赤い頬に自分の頬をくっつけると、回された腕はほどけて、わたしの顔をそっと持ち上げた。
『……だから、君が理性を働かさなくてもいい年齢になったことが、僕はとっても嬉しいです』
甘く落ちた唇に、ゆっくりと目を閉じた。
〜Will you play the game with me?〜
「あ、あった!これだよ!」
華やかな店頭に並んだリップを指差せば、マリウスくんがどれどれとわたしの手元を覗きこむ。
『これが、センパイがずっと欲しいって言ってたやつ?』
「そう!ひとつひとつ名前があってね、 “赤い口実” とか “pm2:00 さざなみと光” とか、いちいちくすぐられるっていうか」
『ふぅん』
「え〜〜決めきれずにお店に来たけど、実際見たらもっと決められなくなっちゃった……」
リップを手に取りながらはしゃぐわたしに、マリウスくんは最近染めた金髪をふわふわと揺らし、ひょいと眉を持ち上げた。
『“詐欺に注意” とか “騙されないで!” とかいう名前のはないの?』
「……それ、どーゆー意味」
『だってセンパイ、すぐ人のウソ信じちゃうし流されやすくて心配なんだもん』
「それを君が言うか?!?!」
腕を掴んで力一杯わさわさと揺さぶれば、マリウスくんはぷっくりとした唇をへにょへにょに曲げて『酔う〜酔うからやめてぇ〜〜』と降参のポーズをとった。
甘えるような話し方や子どもっぽい仕草に惑わされてはならない。
可愛らしい振る舞いをしておきながら、中身はとんでもない策士だ。
最初に出会ったときから、いつだってわたしはマリウスくんの手のひらの上で、そりゃもう何度も「そんなのずるいよ!」と彼に向かって言ってきた。
だけど。
……今だって、口元には笑みを作りながらも、目の奥は少しだけ翳っているところとか。
───そういう無自覚に素直なところが、1番ずるい。
隣で揺れている大きな手に指を絡めた。
「……わたし、いくら断るのが苦手だからって、流されて人と付き合いはしないし、好きじゃない人とバレンタインにデートもしないよ?」
柔らかな手に力を込めると、彼は目を丸くしたあと、ふにゃりと口の端を崩して笑った。
からかわれようが、手のひらの上で転がされようが、この人の笑顔が好きなのは紛れもなくわたし自身の感情だし、この人の隣にいたいのはわたしの意思だ。
「ねえ、せっかくだしバレンタインフェア見ていこうよ。いろんなお店が集まってるらしいよ」
『OK、楽しそう!…あ、そういえば、このリップみたいに、お菓子も、人にあげるときそれぞれ色んな意味を持つって聞いたことある』
「そうなの?」
『うん、なんだっけ。たしか、クッキーは “友だちでいよう”、キャラメルは “一緒にいると安心する”、ティラミスは “わたしを元気づけて”、マカロンは──────』
〜Lilac star〜
繋いだ手と反対側。
風磨の左手にぶら下がってる袋から星形の包装紙がちらりと見えて、わたしはまた口を尖らせる。
「ねえ、ほんとにそれでいいの?もっと高級なチョコとかバレンタイン限定商品とかあったのに。もしかして遠慮してる?やっぱりわたしが前もって選んで買いにくれば…」
『別に遠慮してねーって。それに妊婦を一人で、しかも人の多いとこを出歩かせるわけにはいかないって何度も言ったじゃん。心配でこっちの身がもたねーから』
「それにしたって、お徳用のチョコって…」
毎年あげているバレンタインのチョコは、今年は風磨が『オレも一緒に行く』と言って譲らなかったから、一緒に売り場を回って、風磨が選んだチョコをわたしが買う予定だった。
お財布にも余裕を持たせて張り切っていたのに、いざデパートに入ったら、風磨は最上階の催事場に向かうことなく、一階の化粧品売り場を通り過ぎ、地下の食品売り場へと一直線に向かった。
お菓子売り場にあった星形チョコレートの詰め合わせは、予算を遥かに下回っていて、だけどわたしがいくら言っても、風磨は『これがいい』と言って聞かなかった。
「ねえ、今からでもデパートに戻ってさ…」
『これ以上ひさしぶりのデートにケチつけんなら、ここでちゅーするよ』
ん?と路上で覗き込まれて、慌てて言葉を仕舞い込むと、彼はケラケラと笑いながら『それに』と続けた。
『これが1番いい。星形はオレのラッキーアイテムだから』
「え、ちがうよ。占いでは魚座の今日のラッキーアイテムは花柄のものだって、」
朝の情報番組を思い出しながら反論すると、風磨は『じゃなくて』と遮り、口元をわずかに緩めた。
『オレのラッキーアイテムは星形だって、高校のとき、ある女の子と初めて喋ったときからずっと決まってんの』
言葉の意味を理解して赤面したわたしを横目に、風磨は楽しそうに話し続ける。
『子どもの名前、星って漢字入れるのもいーな。星南、星華、柊星……うん、どれも響きいい……、っと!』
『あっすみません!!』
風磨にぶつかった制服姿のその子は、こちらに向かってぴょこんと勢いよく頭を下げて謝ったあと、大きい荷物を持ち直して、『待ってよ〜』と向こうへずんずんと歩く女の子の方に走っていった。
『…なんか今の子たち、高校の頃のオレらに似てる』
「え?」
『オレもツレない態度のおまえのあとを、あーやって一生懸命追っかけて話しかけてたなーって』
「高校の頃の風磨より、あの子の方が何倍もピュアで可愛くて人懐っこそうに見えたけど」
『あまりにもひどくない?!』
もーママったら辛辣なのは相変わらずでちゅねぇ、と似合わない赤ちゃん言葉でお腹に話しかける風磨に、思わず吹き出した。
〜Jealousy of peach〜
『ねえ待って!なんで怒ってるの』
「別になんでもないですっ」
『絶対怒ってるじゃん!』
“怒ってないよ” は嘘になるから言えなくて、だけど、“そうだよ怒ってるよ” とも言えない。
ぎゅっと口元に力が入ってしまうと、そんなわたしを見て聡くんは『なんでぇ…?オレなんかした…?』と眉を下げながら、早足で歩くわたしの前にひょこひょこと回り込む。
何かしたかって、別に聡くんは何もしてない。
今日が、そういう日なだけ。
聡くんの肩から下がるバッグの中から華やかな箱やリボンが見えて、思わず、こちらを覗きこむ聡くんから顔をそらした。
聡くんは、ただ渡されたものを受け取っただけ。
……でも、だってそれ、明らかに本命だってわかるのがいくつもあるもん。
…………自覚がないのが、余計に嫌だもん。
佐藤くんの隣にいるから本人はまるで気づいていないけど、控えめに言ったって聡くんはモテる。ちゃんとモテる。
だから、今日がこうなるだろうことは、それこそ莉子ちゃんと一緒にお菓子を作ってたときからわかってたし、いつものことだしなぁくらいに思っていた。
だけど、あのときは、自身の想像を絶する料理下手さに自分で半分キレて半分泣きそうになりながらも、一生懸命に佐藤くんへのチョコレートマカロンを作る莉子ちゃんが、無事にバレンタインを迎えられますようにとそればかりで………というのも、もちろん嘘ではないけれど。
それ以上に、きっと2人はいつも以上に甘酸っぱいバレンタインを過ごすんだろうなとか、2人の過ごすバレンタインをどうにかこっそり有料配信してもらえないだろうかとか、佐藤くんと莉子ちゃんのバレンタインを想像してじたばたと悶えるのに忙しかったから。
そこまで深く考えていなかった自分のバレンタイン。
でも、いざ、その日が来て、聡くんのバッグがどんどん華やかな色で埋まっていくのを見ると、クラフト色の箱に細いリボンでラッピングしただけのわたしのチョコなんか、到底出せなくなってしまった。
いつも “また明日ね” と手を振る駅の改札を「…じゃあ」とだけ言って通り過ぎようとすると、聡くんは慌てたように『だめだめだめ!』とわたしの腕をつかんだ。
『えっだめだよ!帰っちゃだめ!ケンカしたままとか嫌だし、それに何より、オレまだひよりからチョコもらってないもん!』
「………わたしがあげなくても、聡くんは十分もらってるよ」
可愛くない言い方。
ちょうだい、というように目の前に差し出された両手に、素直に “はい” って渡せたらいいのに。
なんで他の子のを受け取っちゃうの、なんて、八つ当たりもいいところなのに。
『……もしかして、それで怒ってたの?』
「……怒ってるわけじゃ」
『オレが他の子からチョコもらうのが嫌だった?』
改めて問われると、自分の幼稚さが浮き彫りになって、ますます嫌気がさした。
チョコを渡せないのを他の人のせいにして、あげく勝手に不機嫌になって八つ当たりして、こんなの面倒くさすぎる。
「……ごめんなさい」
自己嫌悪と恥ずかしさで顔を上げられずにいると、くすくすと上から声が聞こえた。
驚いて顔を上げるのと同時に、ふわりと手が包まれる。
『なんで?嬉しいけど』
「…え?」
『 “聡くんはわたしのものなのに!” って思ってくれたってことでしょう?』
「そ…、!」
反射で否定しようとしたけれど、それが間違いじゃないことに気づいて、何も言えなくなってしまった。
聡くんは、『いっつもオレが嫉妬する側だから、ひよりが妬いてくれるの新鮮』としばらくくすくすと嬉しそうに笑ったあと、細めた目でこちらを見つめ、『ねえ』とゆるやかにわたしの指に自分の指を絡ませる。
『そうだよ、オレはひよりのものだよ。首輪でもつけてもらってずーっと隣に置いててほしいくらい』
わんわん。
そう言って、上目遣いで、こてんと首を傾げる。
ふわんと揺れた柔らかな黒髪。
見つめられ、吸い込まれるようにそっと手を伸ばすと、聡くんは気持ちよさそうにわたしの手に頭をすりつける。
………わたし、わりと温厚な方だと思ってたんだけどな。
一緒にいるほど、どんどん欲張りで傲慢で面倒くさい、知らない自分が見えてくる。
でも、君はそれがいいって言う。
それを嬉しいって言う。
「……お手」
差し出された手に、朝からずっと渡せずにいた茶色の紙袋をかけると、聡くんは『嬉しい、ありがとう。大事に食べるね』と声を弾ませた。
『来年からはちゃんと断るね。勝利みたいにはっきり断れるように頑張る』
「佐藤くん?」
『うん。今日すごかったんだよ、勝利。“いちいち断るのも面倒だから” って毎年ものすごい量のチョコをもらって、それを持ち帰るのをいつもオレが手伝ってたんだけど、今年は全部断ってたの! “気持ちに応えられないから受け取れない”って、先輩後輩関係なくみーんなにキッパリそう言って断ってた。2月14日にあんなに身軽な勝利初めて見た』
「そっか…莉子ちゃん、ちゃんと佐藤くんに渡せてるかな」
でも、昨日の夜に送られてきた写真には、ヒビひとつない綺麗な形のマカロンが4つ並んでいたし、自分をしっかり持ってる莉子ちゃんだから、わたしみたいに他の子を見て渡せなくなることもないだろう。道で転ぶなんてことでもしない限り大丈夫か。
あとでこっそり、佐藤くんがどんな反応をしてたか教えてもらおう。
2人の行方を想像して頰が緩むわたしに、『もぉ〜またなんか妄想してるでしょ〜』と聡くんはあきれたように首を振った。
〜Don’t you like Valentine’s Day?〜
渡せるわけないし、言えるわけない。
道で転んで落として割っちゃったなんて、小学生でもあるまいし。
バレンタイン、滅びろ。わたしのために。今すぐに。
そう念じ続ける以外にできることといったら、隣を歩く勝利をバレンタインの話題から徹底的に遠ざけることだけだった。
「それでね、昨日観たドラマで────」
「うちのママったらさぁ、────」
「こないだ読んだ漫画が面白くて────」
帰り道、わたしがぺらぺら喋って勝利がそれに相槌を打つ、というのはいつもの構図だけど、今日は当社比3倍増しで勢いよく話す。
バレンタインなんて入る隙間を作らないように、思い出す余白を与えないように。
こっそりと隣を窺うと、勝利は『ふうん』とか『そうなんだ』とか、いつもどおりの端正な顔でいつもどおりに頷いていて、少し安心する。
よかった。バレンタインのバの字も、今のところ出る気配はない。
そっと後ろ手に隠した紙袋を持ち直す。
ていうか、もしかしたら勝利のことだから、バレンタインを他人事のイベントだと思っている可能性もかなりある。大いに有りうる。
もし無事にマカロンを渡せていたとしても、あの長いまつ毛をぱちくりと瞬かせて、“あ、今日バレンタインだっけ” なんて言ってたかもしれない。
それはそれで、なんだか少し寂しい気がしないでもないけど。
『ん、何?』
無意識に勝利のことをじっと見てしまっていたようで、くっきりした二重が不思議そうにこちらに向けられていた。
「あ!ううん、なんでもない!それよりね────」
勝利と反対側で隠すように持った紙袋は、やけに重く感じた。
なにやってるんだろう。
たいして台所に立ったこともないくせに、1人で見栄張って、難しいお菓子に挑戦して、材料をたくさん無駄にして、あげくのはてに転んで中身を全部割って。
そして、それでもコンビニで間に合わせで買ったものなんかあげたくないなんて、プライドだけは妙に高くて、結局、必死でごまかそうとして。
「じゃ、勝利バイバイ。また明日ね」
『ん、また明日』
いつもの別れ道、にっこりと笑って手を振り、ひとりで帰路を辿りながら小さく唇を噛んだ。
ばかみたい、ばかみたい、ばかみたい。
歩くスピードに合わせて、心の中でつぶやく。
ぜんぶぜんぶ空回り。すごく、みじめだ。
────バレンタインなんか、大嫌い。
『待って』
後ろから聞こえた声に振り向くと、さっき別れたはずの勝利が、なぜか少し息を切らして立っていた。
「え、しょう、」
『あんたの持ってるその紙袋の中身、チョコでしょ?』
断定系で言い切られて反論ができず、生まれてしまった一瞬の間は、彼の言葉を肯定してしまう。
紙袋を握る手に、思わず力が入る。
「……でも、勝利にあげるやつじゃないから」
こんなのあげられるわけない。
苦し紛れの返答に、彼はわずかに眉をひそめて何か言いたげにしたあと、結局『……あ、そ』とだけ言って、フイと視線を逸らした。
自分で言ったくせに、逸らされた視線に妙に傷ついて、何か言葉を続けようにも、声を出したら泣いてしまいそうでできない。
前髪を触るふりをして俯く。
「……じゃ」
沈黙に耐えきれず、窮屈な喉でそれだけ振り絞って背を向けようとすると、
『なにそれ』
と、小さく落とされた声と共に腕を掴まれて、強引に引き戻された。
驚いて見上げると、ムッとしたような表情の勝利がいて、腕に力が込められた。
『やっぱ気になる、それ誰にあげんの』
「え……」
『なんで? なんでオレはもらえないのに、その人はもらえるの?』
不機嫌そうに寄せられた眉根。
どこか拗ねたように不満げな口調。
いつも綺麗な富士山型を描いている唇は、今はきゅっと中央に寄って尖っていて、心なしか、頰も小さく膨れている。
普段の澄ました表情じゃなくて、もっとわがままな子どもみたいな顔。
「………勝利って、いつもスンとしてるのに、たまにすごい末っ子感だしてくるよね」
思わずまじまじと見つめれば、勝利は視線を落として、自分の言葉を後悔しているのか、困ったように顔を背けた。
その頰には、じわじわと赤みがさしていく。
『……うるさい』
口ではそう言いつつも、否定しないということは本人も自覚があるんだろう。
恥ずかしそうに視線を泳がす様子が小動物みたいで、思わず吹き出すと、『…笑わないで』と軽く睨まれた。
『……ねえ、誰のなの。それ』
「そんなに気になるの?」
『悪い?』
「……勝利ってバレンタイン、あんまり気にしてないのかと思ってた」
そう言えば、まだ頰に赤さを残したまま、勝利は俯いて、ぽつりとこぼす。
『……オレ、今日ずっと待ってた』
わたしを掴んだままの片腕は、弱い力で下に落ちていって、彼の人差し指だけが、わたしの人差し指にぶらさがって残った。
冬の寒さで冷たくなった指先が、そこだけじわりと熱が移る。
「……ほんとはこれ、勝利にあげようとしてたの」
『…え?』
「……でも、落として割っちゃって。帰ったら捨てようと思ってて、だからあげる相手なんていないよ」
嘘ついてごめんね、と繋いだ人差し指に力を込めると、勝利はもう片方の手で紙袋に触れ、『じゃあこれオレの?』と首を傾げた。
「そのつもりだったけど…」
『ほしい』
「え、でも割れちゃってるし…」
『オレに用意してくれたものなんでしょ?』
「そうだけど、でも、」
『オレ、ずっと待ってたってさっき言った』
人差し指だけ繋いでいた手は、彼によって開かれて、そのままぴったりと重ねられ、少しの隙間もなくなった。
『もう待ちくたびれた』
こちらをじっと見つめる勝利に根負けして、紙袋から箱を出して渡すと、彼は角が潰れてひしゃげてしまっているそれを、大事そうに両手で受け取った。
公園に移動して、2人でベンチに座る。
箱を慎重な仕草で開けて、彼は驚いたようにこちらを見た。
『…もしかして、手作り?』
「一応……」
『作るの大変じゃなかった? マカロンは難しいって姉ちゃんから聞いたことある』
「……だって勝利、他の子からも絶対たくさんもらうと思って、その子たちの手作りチョコとか高級チョコとかに負けるの嫌だったんだもん」
『あはっ、あんたらしい』
それに、と小さく続ける。
「……一瞬買うことも考えたけど、だってやっぱり、買ったのだと、どうしても気持ちが込めきれない気がしたんだもん」
バレンタインは気持ちを伝える日。
勝利が好きって、たくさんたくさん大好きだよって、伝えたかった。
積み重なっていくひび割れたマカロンたちに、挫けそうになったって、投げ出しそうになったって、もう一回頑張ろうって思ったのは、その気持ちがあったからだった。
『……ありがとう』
目を柔らかく緩ませ口元を綻ばせたその表情は、泣き言をいいながらマカロンを作り続けた時間も、さっきまでのみじめな気持ちも、全部溶かして流してくれる。
ヒビの入ったマカロンを崩さないようにそうっとつまんで口に入れ、もぐもぐと頬が動く。
『ねえ』
「……なに?」
『すっごいおいしい』
「…よかった」
何度も味見をしたから、さすがに砂糖と塩を間違えるようなことはしていないとわかっていたけれど、本人の口からその言葉を聞けて、ようやく肩の力が抜け、一気に緊張がほぐれた。
「ホワイトデーの3倍返し、期待してるね!」
『うーわ、“ひび割れたマカロンなんか”ってさっきまでしょげてたくせに、ほんと調子いいな』
「口に入れたら同じだもん!美味しいでしょ?」
腕に抱きついて見上げれば、彼は『はいはい』とあきれたように笑った。
「実はね、半月くらい前に勝利にバレンタインのリサーチしてたの気づいてた? 和菓子以外で好きなもの、勝利がマカロンって言ってたからマカロンにしたの」
ふたつめのマカロンに手を伸ばしながら、勝利は『ふーん』と相槌を打つ。
「作り方調べてるうちに知ったんだけどね、お菓子って人にあげるとき色んな意味を持つんだって。クッキーは“友だちでいよう” とか、キャラメルは“一緒にいると安心する” とか。それでマカロンは、」
『 “あなたは特別な人” 』
続けようとした言葉が聞こえて、思わず肩が跳ね上がり、隣を見た。
「……もしかして、知ってたの?」
『さあ、どーでしょう?』
わずかに、いたずらっぽく持ち上がった口角。
甘く、崩れたマカロンの破片。
………バレンタインなんてロクなイベントじゃない。
その日が近づくにつれて、周りは浮き足立ち始めて落ち着かないし、街全体がバレンタイン一色に染まっていく感じも苦手だ。
所詮、製菓会社の思惑が渦巻いたイベントで、それに乗せられるのもなんだか癪だし、女の子から男の子にチョコをあげる日だなんて、ジェンダー問題が叫ばれてる今、時代に逆行してない?
ていうか、そもそもチョコってそんなに好きじゃないし。
……だけど。
君に大好きと伝えられる日だから。
甘ったるいバレンタインも、そんなに悪くないんじゃないかって思うんだ。
1/1ページ