最終話〈前編〉
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スイートアリッサム。
アブラナ科。一年草で、秋から春にかけて咲く花。
花言葉は、「美しさに勝る価値」。
先生は、この花言葉を知っていたのだろうか。
ううん、花の名前をわたしに尋ねたのだから、きっと知らなかったはずだ。
知らないまま、この花を「わたしみたい」と言って笑った先生は、はじまりの時から何も変わらず、最初から最後まで、ずっとわたしの特別だった。
わたしは先生にこの花の名前を教えなかった。
それは、その日が来ると知っていたから。
わたしはたしかに、あのとき、美しい呪いよりも、もっと価値のあるものを選択したのだ。
ニナ、と掠れ声で呼んだ先生の顔は、背を向けられていて見えなかった。
扉の前に立ったその美しい女性は、先生に向かって赤い唇で微笑んだあと、あごのラインで綺麗に切りそろえられた黒髪を揺らし、首を傾げた。
「…ああ、可愛いお客さんがいたんだ。ごめんね、邪魔しちゃった?」
彼女の瞳がわたしを捉える。
黒で統一された洋服も、おそろしく小さな顔も、すべてが都会的で洗練されているなかで、吸い込まれそうなほど大きな目だけが野生の猫のように爛々と光っていた。
『…っ、この子は』
「わたし帰りますね」
ニナさんとわたしの間に立とうとした先生の横をすり抜ける。
狭い玄関では、ニナさんの香水の匂いがさっきよりも濃く漂った。
「ごめんね。健人に用があって。本当はあなたとも、ぜひ話してみたいんだけど」
「…失礼します」
目を合わさずに、会釈だけして先生の部屋を出る。
扉を閉める間際、少しだけ上げた目線の先で、先生の表情は逆光で最後までよく見えなかった。
マンションのエントランスを抜け、外に出ると、ひやりとした空気に包まれ、身震いをする。
来た時ぎりぎり残っていた夕日はもう沈んでしまって、あたりはすっかり暗くなっていた。
見上げれば、群青色の中に点々と置かれた星たちが、さっきの爛々と輝く瞳と重なって、まるで、彼女がこの夜空を連れてきたように思えた。