最終話〈後編〉
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5日前に初雪が降ってから、外の気温はグッと低くなった。
「……髪の毛ボサボサだし、酷いクマ」
『………学校、冬休み中だから』
「……それが理由じゃないくせに」
助手席に乗り込んだニナは、オレを見るなり眉をひそめた。
話がある、と言われたけれど、モデルの仕事で多忙なニナとどうしても予定が合わなくて、「じゃあ明日うちのマンションに車で迎えに来て。スタジオまで送ってよ。その間で話そう」ということになった。
道は空いていて、近づくクリスマスに、街はちらほらとイルミネーションで彩られている。
「おじさまとおばさま、来週の頭には返事が欲しいって言ってるけど」
『…わかってる』
「……心ここに在らずって感じ」
彼女は、流れていく街並みを横目で見ながら、小さくため息をついた。
「あの子に振られでもしたの?」
『…え』
「やっぱりね。…あーあ、彼女に言った意地悪、あとで健人から謝っておいてもらいたかったのに…、っ!」
急に踏んだブレーキと無理やり路肩に止めた車に、2人とも前のめり、シートベルトのストッパーが発動して肩に食い込んだけど、そんなのはどうでもよかった。
『あの子に何を言ったの』
「ちょっ…急に、」
『あの子に何を言ったの!』
思わず張り上げた声は、車内に響いて鼓膜を揺らした。
「……見たことない怖い顔してる」
『……大声出してごめん』
小さく謝れば、彼女は「そういう律儀なところは昔のまま」とプッと吹き出した。
健人に怒鳴られる日が来るなんて思わなかった、と彼女はしばらく愉快そうに笑ったあと、一息ついて話し始めた。
「健人の家を訪ねた日があったでしょう。その次の日、彼女と軽くお茶したの。健人の家のこととか、わたしたちの過去のこととか、詳しいことは省いたけど、話したよ」
『…そっか』
なんとなく、最後のときの口ぶりから、〇〇は大体の事情を知っていたんだろうと思っていた。
特に、ニナのことに関しては、前にオレが口を滑らせてしまったこともあったから。
ニナは、思い出すように目を細めた。
「…あの子、わたしが何を話しても全然揺らがなかった。根本的なところはわたしと一緒のはずなのに、どうしてそんなに真っ直ぐなのか、羨ましくなって大人気なく意地悪なこと言っちゃった。それも何一つ効いてなかったけど。……もう決めた答えがあるみたいだった」
あの日、手を撫で続けてくれた彼女は、翌日の授業ではずっと静かに目を落としていて、そのまま終業式でも、廊下ですれ違ったときも、視線が合うことなく冬休みに入った。
そして昨日、冬休みに入り閑散とした学校で、彼女のクラスの担任が、彼女の名前が書かれた分厚い封筒を用意しているのを見かけた。
尋ねると、それは留学の書類だった。
“9月頃に相談されましてね、だいぶ急だったんですが枠は空いてましたし、あいつの語学力だったら多少の準備不足は問題ないでしょう、と。1月出発なんで、この間が最後の登校日だったんですが、あんまり騒がれたくないからなるべく周りの人たちには秘密にしといてくれと言われまして”
動揺と混乱でうまく回らない頭のまま、必死で記憶を探った。
9月といえば……彼女と一緒に自然公園に行った頃だ。
そんなに前から。
言葉を失ったオレに気づかないまま、担任は続けた。
“突然のことだったんで理由を聞いたら、「もっと広い世界が見てみたい。意外と世界は綺麗なんだって気づいたから」と。あっけらかんとして言うものだから、笑っちゃいましたよ”
なんで。どうして。
ぐるぐると頭の中を回って、結局昨日は眠れなかったその話が、今のニナの言葉と重なった。
オレの過去を知る前から。ニナと話す前から。
始まりからずっと、彼女は終わりを見据えて、あの別れの言葉を用意していた。
「…ハンカチ、いる?」
その言葉で、初めて自分が泣いていることに気づいた。
ブランドもののニナのハンカチを汚すわけにはいかなくて、『大丈夫。…ダッシュボードの中にタオルあるから、取ってもらってもいい?』と慌てて首を振った。
涙は止めようとしても全然止まらなくて、指でゴシゴシと頬をぬぐう。
なかなか手渡されないタオルを訝しみ、隣を向くと、ニナの手にはタオルとは違うものがあって、また慌てた。
『ごめ…っ、入れっぱなしにしてるの忘れてて、』
「こんなもの、まだ持ってたんだ」
彼女はパラパラと雑誌をめくり、脱力したように額に片手を当てて、「……だからあんなこと言ってたのか」と呟いた。
『あんなことって、』
「ねえ健人、教えてあげようか」
言葉を遮って、ニナはこちらを見つめた。
昔のままの、大きな瞳で。
「健人のいいところはね、やさしいところ」
そして、と彼女は諭すような口調で続ける。
「健人の悪いところは、頑固すぎて気づくのがいつもちょっぴり遅れるところ。……ねえ、過去とか立場とか、そういうこと全部抜きにして、今、健人の心の一番真ん中にいるのは誰?」
ニナは、ゆっくりと目を細めて。
口元が緩んで、持ち上がる。
赤い唇。
あの子には全然似合わない、色。
そういえば、色付きリップクリームくらいが好きだけどね、とからかったら、たしか唇を尖らせていたっけ。
目深に被ったキャップで自然公園に行ったときも、たしかまた頑固に派手な赤色をつけてきていた。
今度は一緒にリップを選びに行こうと言ったとき、たしか彼女の言葉をどうして遮ったのか自分でも分からなくて。
オレの部屋できょとんとした彼女に唇を近づけたのは、たしか衝動というよりもっと。
たしか「先生が初めて」と笑った顔がとても綺麗だと思って。
たしか、たしかに、オレは。
……一生に一度だなんて、悟るにはやっぱり早すぎたらしい。
とっくにニ度目の恋をしていたことを、彼女がいなくなってから、ようやく自覚した。