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撮影は、大学から1時間電車に乗った先の海辺で行われることになった。
会長と副会長、スタッフ兼エキストラとしてサークルメンバーが数名、映画サークルに所属しているという会長の友だちがカメラマンとして1人、そして、わたしと風磨。十数名で季節外れの浜辺を踏む。
「まだ春なのに海ですか?」
「夏っぽく撮るから大丈夫だ!エモと言えば夏の海だろう!」
自信満々に言う会長に、そこはかとなく不安になる。
「諭吉に釣られて引き受けちゃったけど大丈夫かなあ」
ため息を漏らせば、隣の風磨は『意外と楽しそうじゃん?』と、どこかウズウズとした表情を浮かべている。
そうだ、こいつは夏とか海とか砂浜とかそういう青春ぽいものが大好物だった。まだ全然春だけど。
「2人とも渡した台本読んできたか?」
さっきまでカメラマンの人と話していた会長が、こちらに近づいてくる。
『まあザッと』
「わたしもザッと…ていうか、わたしの台本ほぼ白紙だったんですけど」
同じキャンプサークルに所属している両片思いの2人が海辺でキャンプをする、という2分間のショートムービー。
その設定くらいしか、わたしの台本には書かれていなかった。
「ああ、〇〇のはわざとそうしたんだ。何が起こるかわからない方がドキドキするだろ」
「はあ…」
曖昧な返事に不安をふんだんに詰め込んだつもりだったけど、会長には全く伝わらないらしい。……ほんとに大丈夫だろうか。
「〇〇も菊池も、いつもみたいなおふざけはナシだからな」
ガハガハと豪快な調子で喋っていた会長は、一段声を低くした。
「今日は下ネタもなし、ケンカもなし。おまえら2人は今日一日、エモさを詰め込んだ両片思いカップルだ」
『ちゃんとやりますよ、諭吉に誓って』
風磨はひらひらと台本を振る。
「おう、頼むぞ!」
来年度のサークル予算がおまえらにかかってる!、と肩に置かれた会長の手の力強さは、その本気度を物語っていた。
「いきまーす!3、2、1」
響いた声とともに、そこそこ高価そうなムービーカメラが向けられる。
……わたしこれ、本当に何をすればいいんだろう。
どれだけ見ても台本はまっさら。
会長に聞いても、「とりあえず菊池の行動にアドリブでいい感じにトキめいてるっぽくリアクションしてくれればいいから。あとはおまえらの滲み出るリア充感がいい感じに雰囲気出してくれるから」なんて何の助けにもならないことを言われたし。「いい感じ」って無茶振りにも程がある。
ひとまず言われた通り、浜辺から少し離れた木陰に移動し、回り始めたカメラの前で、風磨と一緒にテントを広げ、ロープを引っ張って地面にペグを打ち込む。
……えっ…と、とりあえず風磨のことを好きな女の子っぽく振る舞えばいいんだよね?
ちらり、と目線を上げて、向かいで同じくペグを打ち込んでいる風磨の方を見ると、ぱちんと目が合って。
『どした?』
「え、あ…」
『あ、ペグ打ち込めない?地面硬いもんな、ここ』
小さく微笑まれて、動揺する。
あれ、風磨ってこんな落ち着いた声出すっけ。
いつもならニヤッと笑いながら『非力ぶってんじゃねーよ』とか揶揄ってくるのに。
『貸してみ』立ち上がって後ろからわたしの手元を覗き込んだ風磨は、そのまま身体を近づける。
ふわり、と後ろに覆いかぶさった体温に、一瞬、息が止まった。
『ここをこうやって持って打てば、そんな力入れなくても簡単に打ち込めるから』
重ねられた手と、耳元で響く声。
シトラスの香水の匂い。
なに、これ。
ぞく、と知らない感覚が身体を巡って。
「…ぁ」
「カットー!!」
こぼれた声はかき消えて、後ろの体温は離れていく。
「すげーな2人共!演技ってわかってても見入っちゃったよ!」
バンバンと背中を叩く会長に、風磨は『まぁオレら伊達にモテてきてねーんで。これくらいヨユーっすわ』なァ?とこちらを振り向いて、慌てて「まあね」と笑顔を作った。
暑いわけでもないのに手のひらは汗ばんでいた。
いやいやいや。演技、そう、これは演技だ。
下手にドキドキしてしまったのが悔しい。
だって相手はあの風磨なのに。
髪フェチで、初体験は15歳、好きなジャンルは素人モノ。
色々知って、お互いを知りすぎて、今さらそういう風に見ることなんてない。
こんなのは吊り橋効果みたいなもので、錯覚に過ぎない、のに。
「じゃあ次のシーン撮るぞー!」
会長の声が響く。
平常心、平常心。
そう自分に言い聞かせるのに、そのあとの、浜辺で髪を結んでもらうシーンも、海で頰についた砂を取ってもらうシーンも、なぜか上手くいかなかった。
こんなことなら、事前に風磨の台本を見せてもらえばよかった。次に何が来るかわかっていたら、ある程度心の準備ができていたのに。
会長のくせして、女子が喜びそうな胸キュンシチュエーションの盛り込み方が絶妙に上手い。
いつも不意を突かれて、そのたび“髪フェチ15歳素人モノ髪フェチ15歳素人モノ”と心の中で唱えて心頭滅却しようとするけど、心拍数は上がる一方で全然効果がない。
「〇〇も演技上手いな!めちゃくちゃ感情が伝わってくるぞ」という言葉に、恥ずかしくて頭を抱えてしまった。
ダメだ。
普段くだらない話や下ネタばかり話してる分、今日の風磨はギャップが凄くてまともに目を見られない。
女子が彼を形容するときに使う“爆モテ”の意味がようやくわかった。これは確かにタチが悪い。
いつもと違うあの甘い声も、とろんと落ちた目尻も。
「……好きな子には、あんな感じなんだ」
よく知っていると思っていたのに、全然見たことのない表情ばかりで、それにもなぜか無性に落ち込んでしまい、あたりが暗くなる頃には、身も心もすっかり疲弊してしまっていた。
「じゃあこれが最後、焚き火のシーンです!いきまーす!」
スタッフの3、2、1のカウントダウンと共に、カメラのランプが赤く点滅し始める。
聞こえるのは波の音と薪の燃える音、感じるのは火の熱と隣に座る体温だけ。
地平線に落ちた夕日が名残をとどめるなかに、パチパチと燃える火が鮮やかに咲く。
『なあ』
隣から響いた声に、身体が強張る。
「……なに」
次は何をされるか、何が来るか。
警戒心から声音は硬くなる。
『こっち向いて』
「…やだ」
『なぁんで』
「…嫌だから」
駄々をこねるわたしに、風磨は困ったように小さくため息をつく。
ちょん、とカメラから見えないところで突つかれる。……お金をもらってるんだからちゃんとやれって、たぶんそう言いたいんだ。
『目、見てよ』
すこしだけ、いつもの風磨の声になった。
そのことに、なんだか安心して、ずっと自分の指に置いていた目線を、ゆっくりと上げる。
黒いスキニー、オーバーサイズのTシャツ、ブルガリのネックレス、白い肌、ぽてんとした唇、すっと通った鼻筋に、……いつものすこし眠そうな目。
今日、ようやく見たその目には、ゆらゆらと火の影が揺らめいていて。
………あれ。
「ふう…ま?」
───潮風に吹かれた茶髪とシトラスの香りが不意に近づいた。
「カットー!」
響いた声と共にゆっくりと遠ざかる香りは、すぐに海の匂いにさらわれた。
……触れそうで触れなかった、くちびる。
「全日程終了です!おつかれさまでしたー!」
自然と湧き上がる拍手の音に、自分が息を止めていたことに気づいた。
『…おつかれ』
上からかけられた声に、見上げることなく小さく頷いて返事をすれば、それ以上何も言わず、風磨はみんなの方に歩いていった。
「菊池、おまえすげーよ!まあオレの脚本が素晴らしかったというのが大前提だが!」
『はいはい、そっすね』
向こう側では、もういつもの風磨が笑っていた。
足に力を入れようとしても、なんだか腰が抜けてしまったように力が入らなくて、このままバーベキューをして帰ろう、と向こうで盛り上がっている群衆に混じりにいけたのは、十数分後だった。
《みなさん、今日一日お疲れさまでした!かんぱーい!!》
会長の声でみんな缶を合わせる。
『おまっ、オレの育てた肉奪ったろ!』
「誰のとか知りませーん、名前書いといてくださーい」
『言ったな?じゃあこれ貰うわ』
「それわたしが作ってたバターキノコ!」
『知りませーん、名前書いといてくださーい』
お肉を焼く頃には、わたしたちはもうすっかりいつも通りくだらない話で盛り上がって、飲んで食べて、海で遊んで、結局帰りも終電ギリギリになった。
車内は疲れからかほとんどの人が眠りこけて、車輪の音だけが柔らかく響く。
斜め前に座っている風磨の顔。
その後ろを通り過ぎていく電灯の残像と寝静まった街の影をぼんやりと見つめているうち、ふと、あること気づく。
────あのとき、近づくシトラスの香りに。
わたし、自然と目をつぶっていた。