番外編 First Scene
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友だちから恋人になった世の中のカップルって、いったいどうしてるんだろう。
例えば、街中で不意に手を繋がれたときや、呼ばれて振り向いたらキスされたとき。
いつもバカ話ばっかりしてた人が、急に「そういう人」になったものだから、嬉しさもあるけど何よりどうしても照れが勝って、いつも目を伏せてしまう。
そのたびに風磨は『いいかげん慣れろよ』って笑うけど。
「彼氏」という響きも、「彼女」の扱いも、まだ馴染まなくて、むずがゆい。
昼休み、置きっぱなしにしていた図書館の本を取りにサークル室のドアを開けば、きゃあきゃあと黄色い声が聞こえてきた。
またか、とため息が出そうなのをこらえる。
見なくてもわかる。風磨を囲む1年女子たちの声だ。
風磨に「あれイラッとするんだけど」と言っても、『でも冷たくすんのもかわいそうじゃん?』とへらりと笑ってかわすから、本人も可愛い後輩に懐かれて悪い気はしないんだろう。
わたしの方も、それ以上キツく言って後輩をやっかんでるみたいに思われるのも癪だから、最近はもうひたすらスルーすることに徹している。
〈風磨せんぱ〜い!駅近にオープンしたお店、友達が美味しいって言ってたので今度一緒に行きましょうよ〜〉
〈あっズル!わたしともごはん行ってください!〉
〈え〜〜じゃあわたしとは今度映画行きましょ?〉
はいはいと手を上げて口々に立候補する彼女たちは、会長が選んだと言うだけあってバイタリティーがすごい。
わたしもあの積極性を見習わなきゃなぁ…と、もはや感心しながら目当ての本を手に取ると、『あー…』と背中で風磨の声が聞こえる。
どうせ鼻の下伸ばしてデレデレニタニタしてるんでしょうよ、と頭に思い浮かべた表情へ毒づいたとき。
『ごめん、彼女に悪いから行けねーわ』
そう続けられた言葉に、思わず動きが止まった。
…………いや、風磨さん? 今なんて?
〈風磨先輩、彼女できたんですか?!〉〈うそっ、いつ、いつですか?!〉と矢継ぎ早に質問を重ねる彼女たちに加え、《なんだなんだあ?!》と騒ぎを聞きつけた会長まで面白がって近づいてくる。
思った通り一気に騒がしくなった室内に、言わんこっちゃないじゃない!と振り向いて風磨の肩をガタガタ揺さぶりたくなる衝動に耐える。
………早く出て行こう、嫌な予感しかしない。
そろそろとドアの方に向かうわたしの後ろで、会長の遠慮ない声が響く。
《風磨おまえ、今度はどこのどいつと付き合ってんだ?!》
ニヤニヤとした声音でせまる会長を、風磨は『だから会長、圧がすげーんだってば』と宥めながら笑って。
『そこのそいつっすよ』
飄々とした声と、突然背中に感じた視線。
……ああ、やっぱり早く帰ればよかった。
一拍置いたのちに起こった悲鳴は、サークル室が揺れているのかと錯覚するほどだった。
〈マジで?!〉〈ついに!!〉〈莉子さんなら仕方ないかぁ〉〈動画が現実に…!〉〈サークルの華をお前よくも!!〉方々から飛んでくる様々なリアクションは、やがて〈…キース、キース!〉という掛け声と手拍子に変わる。
「ちょ、やめてください!ほんと無理やめて!!」
慌てて大きく腕を振って止めようとしても、むしろその勢いは増すばかりで逆効果だ。
「ってか風磨も見てないで止めてよ!!」
あんたが戦犯でしょうが!と振り向くと、風磨はニヤニヤと笑いながら首を傾げて。
『オレは別にしてもいいけど?』
頬杖をついて目を閉じた風磨に、〈フゥ〜〜〜!!〉と周囲のボルテージは最高潮に達し、視線が全てこちらへ向く。
期待をはらんだいくつもの目に、思わずジリっと後ずさった。
…………こいつ、あとで絶対シメる。
「……っ死んでもするかアホ!!」
叫んで逃げるように部屋を飛び出せば、勢いよく閉まったドアの隙間から、盛大なブーイングが漏れ聞こえた。
想定外の疲労感を抱えながら大学図書館へ向かい、本を返却し、ついでに次の授業課題で使えそうな本を探していると、後ろから『おねーさん』と声をかけられた。
「………裏切り者」
ジト目で振り向けば、ポケットに手を突っ込んだ風磨が『んはっ』といつものように唇の片方を持ち上げて笑った。
『別に秘密にしようなんて言ってなかったからいーじゃん』
「……だからって、タイミングってものが」
『別にどのタイミングで言ったってああなったろーよ』
な?と眉を上げた風磨に、悔しいことに反論できず、むくれて無言でまた歩き出すと後ろの足音もついてくる。
『このあと授業?』
「ん、今日5限まである。風磨は?」
『オレはもう終わり』
壁に貼られてある“図書館ではお静かに”の文字通り、小さな声でこそこそと話しながら、本棚の間を縫うように歩く。
古いインクの匂いに混じって、もうすっかりなじんだシトラスの香りが時折鼻をくすぐる。
ふわりと濃くなったその匂いと共に、後ろから手元を覗き込まれた。
『ってか何の本探してんの』
「家族社会学概論の本」
『ああ、それならあっちだよ』
前に出て風磨は先を歩き始め、その背中を追いかけるように今度はわたしが後ろについていく。
風磨は迷いなく、図書館の奥へと進む。
ポケットにつっこまれていた手は、いつのまにか、ふらふらと宙を泳いで、まるで優雅な魚みたいだ。
今日もその指は綺麗。
白くて長くてまっすぐで、本当なんでこんな天邪鬼でひねくれた性格の人間に、こんな綺麗な指が……でも、手が冷たい人ほど心があったかいとか言うし、そういうこと?
無意識にぼんやり指先を目で追っていると、その動きが突然ぴたりと止まる。
「……ここ?…ていうかこんな図書館の奥の方、初めて来……ッ…」
ゆらりと落ちた影に、そのまま唇をすくわれた。
しばらく重なったままの厚い唇。
息の仕方を忘れてドンドンと風磨の胸を叩けば、口の端で笑って、一瞬わたしの下唇を軽く噛んだあと身体を離す。
「…ッ……っ本の場所はっ…!」
『あ? 知らね』
全く悪びれる様子なく、さっきまで見ていた長く綺麗な指で、唇に移ったわたしのリップをゆっくりと拭う。
緩慢な動作は、どこからか醸し出される妖艶さを増幅させるようで、慌てて目を伏せると、悪戯な弧を描いた瞳に覗き込まれた。
『だぁって、“死んでもするか”はさすがに酷くねぇ?』
「……根に持ってるとかちっさい男」
『んな赤い顔で何言われても効きませ〜ん』
耳まで赤くなってっし、と手を伸ばされれば、いきなりの感触にまた肩が跳ねてしまう。
唇を曲げて風磨を睨めば、堪えきれないようにプッと吹き出して、これはもう完全に確信犯だ。面白がられている。
『おまえさあ、あんだけわたしはモテるって豪語してただろ。こんくらいで、んな反応すんなよ』
「………そんなこと言ったって、風磨と付き合うのは初めてだもん」
赤みが早く引くように、頬を手の甲で押さえると、そこははっきりわかるくらい熱を持っていて、ますます恥ずかしさが募る。
付き合ってから、こんなふうにからかわれることが多くて、なんだか負けてるみたいで悔しい。
口を尖らせ見上げると、なぜか風磨の頬もわずかに朱がさしていて。
『……今のはクリーンヒット、大ホームラン』
「は?」
クリーンヒット、って。
どこでだ。なんでだ。
会話を思い返そうとするわたしを遮るように、風磨はポンとわたしの頭に手を乗せた。
『てなわけで、ホームラン賞に来週末こことかどうすか?』
目の前にかざされたスマホには、前にわたしが泊まってみたいと言っていた横浜の高級ホテルがうつっていて、思わず「えっ」と尋ね返すと、声が響いて、シーッと指を当てられた。
『うちの彼女、スマートで紳士的で甘やかしてくれるやつが好みらしいから』
おどけるように片眉を上げた風磨に、「行くっ」と今度は小声で勢いよく答えると、風磨は『んじゃ決まり』と嬉しそうにわしゃわしゃとわたしの髪を乱した。