最終話
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
[明日会える?]
予感していたメールは、その日の夜に来た。
響いた通知音に、うずくまっていた顔を上げると、窓から差していたはずの日はもう沈みきり、かわりに星が並んでいた。
…電気つけなきゃ。
抱えていた膝をほどいて力を入れても、リモコンを手に取っても、なんだか薄い何かを隔ているように感覚が鈍い。
何もかもが現実味がなく、ただ、あの昼の光景だけが鮮明に頭の中をループしていた。
カルボナーラに散りばめられた黒胡椒、張りついたグラスの水滴、薄ピンク色の唇。こびりつくように、鮮明に。
[ごめん、ちょっと忙しいや]
やっぱり鈍い指先でそれだけ打って、画面の明かりを消した。
なるべく顔を合わせないようにしようと意識すれば、なんてことはなかった。
風磨がよくいる場所や行きそうな場所には近寄らない。
バッタリ遭遇しそうになったときは、見つけた時点で静かに回れ右。
それだけ。たびたび来るメッセージは開かない。
簡単なこと。
わたしたちが正しい “友だち” に戻るために必要なこと。
「風磨と喧嘩でもしたの?最近一緒にいないけど」
「別に?いつでも一緒にいるわけじゃないし。てかそんなことより、こないだの合コン超ハズレだったんだけど!」
「え〜顔はレベル高かったじゃん」
「それはそうだけど、年下と同い年は無理!車でエスコートしてくれる社会人がベストだけど、最低条件、年上じゃなきゃ」
「はいはい、甘くて優しいジェントルマンね。あんたの理想高すぎて相手用意すんのも一苦労よ」
「理想は高くてなんぼでしょ。今日こそ運命の人が現れるかもだし」
「運命の人ねえ。今日もまた合コン?」
「そ、今日は大手食品メーカー勤務の20代後半3対3。久しぶりに期待値80点と高めの数字」
「わお、武運を祈る」
「いってきまーす」
パチンとリップのキャップを閉じて、髪の毛を少し直して化粧室を出る。
まだ少し時間まであるから、ゼミ室に先週出た課題の本を取りに行こうか。研究室棟に入り、人通りの少ない廊下を歩いているとき。
不意に腕を掴まれて、教室に連れ込まれ、………ふわりと鼻先をかすめたのは、嗅ぎ慣れたシトラスの香り。
『…やっと捕まえた』
「……腕痛い」
『掴んでなきゃおまえ逃げるじゃん』
そう言いつつも、風磨は少しだけ手の力を緩めた。
顰められた眉と焦げ茶色の2つの瞳から、逃れるように視線を落とす。
『言ったよな、おまえに避けられんのダメージでかいからやめてって』
「……そうだっけ」
『とぼけんのやめろ。なんで避けんの』
「……だから忙しいんだって」
『オレより合コンのが大事?』
前髪をかきあげるのは、不機嫌なときの風磨の癖。
たわいもない理由で始まる喧嘩でいつもこの仕草をしていたな、とか。
そんなことを思い出すのすら、もう苦しい。
苛立った口調を跳ね返すように、きゅっと唇の端を持ち上げた。
「そりゃ大事だよ。ほら、わたしを甘やかしてくれる王子サマ見つけなきゃ」
そして、取り戻さなきゃ。正しい “友だち” の距離を。今さらすぎるけど、それでも。
「も〜だから痛いって」
茶化すように笑って、掴まれた腕をそっと外す。
支えを失った風磨の腕は、とす、と落ちた。
静かに息を吐き、安堵する。…これが正しい。
「あ、もうこんな時間。行かなきゃ。じゃ、」
『好きなんだけど』
そむけた背中に投げかけられた言葉。
……1番欲しくなかった言葉。
『おまえもそうだと思ってたけど、違うの?』
震えるな、肩。
悟られるな、指先。
絶対に振り向くな、わたし。
───いくらそれが聞いたことのないくらい、傷ついたような、裏切られたような声でも。
「やだなあ、ちがうよ。たしかにちょっと甘えちゃったかもだけど、彼氏いない期間長くて人が恋しかっただけ。それを勘違いしちゃったんだよ。わたしも、…風磨も。───だってわたしたち、友だちでしょ」
まるで他人が喋ってるように聞こえたその言葉。
それが、風磨に向けての言葉なのか、自分自身に言い聞かせている言葉なのか、もうわからなかった。
含んでしまった縋るような響きが、遅すぎる軌道修正が叶うことを願ってのものなのか、………ここまで来てさえ、風磨にそれを否定されることをどこかで期待してのものなのか、もう何も、わからなかった。
ただ、“背負ってくださいね” と何度も頭の中で繰り返したあの言葉へ報うための方法も、だけどこれ以外わたしにはどうしたってわからなかった。
『……んだよ、それ』
背中から聞こえる風磨の低く静かな声。
ああ、この声は聞いたことがある。
わたしが他クラスの女子に裏でビッチ呼ばわりされて、あらぬ噂を立てられたとき。
あのときも、淡々と理詰めで、彼女たちに向かって同じ声で。
………そうだ、これは本気で怒ってるときの声だ。
『そういうのマジでムカつく。勝手に人の気持ち推し量ってんじゃねーよ』
吐き捨てるような冷たい声を受け止めたわたしの背中を追い越して、風磨は乱暴にドアを開け、教室を出ていった。
わたし以外に誰もいなくなった教室には再び静寂が訪れて、だけどその静けさが、やけに鼓膜を震わせ、ピリピリと痛かった。