③
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手持ち花火、筒花火、ねずみ花火、ロケット花火。
一通り楽しんで、最後に手に取ったのは線香花火だった。
「どっちが先に落ちるか勝負します?」
『もち、それが線香花火の醍醐味っしょ』
腕まくりをするオレに、「先輩って勝負事の類い、好きですよね」と彼女が呆れたように笑った。
『なに賭ける?』
「んーと、じゃあ負けた方が誰にも言ったことのない秘密を話すってどうですか?」
『いいけど、オレ、秘密そんなないかも』
「えっ、そんな人います?」
『いやマジで』
そう言うと、彼女はうーん、としばらく考え込み、じゃあ、とまた顔を上げた。
「わたしが負けたら秘密を話す、で、先輩が負けたらわたしの言うことなんでもひとつ聞く、でどうですか?」
『なんか微妙にオレの方が負荷がでかい気がするけど、まあいいよ』
負けねーし、と笑えば、彼女は、目に物見せてやりますよ、とその長い黒髪をひとつにまとめながら不敵な笑みを浮かべた。
同時に火をつけ、息を止める。
ぷくぷくと火の玉が膨らんで、小さい光が大きく育っていく。
ぱちん、と先端から最初の光線が飛び出したのはほぼ同時だった。
ぱちん、ぱち、ぱち、ぱちん。
光が1本、また1本と増えていく。
生温い夜風が通り過ぎ、慌てて落ちないように手元に力を込めれば、隣の線香花火もきゅっと揺れて、彼女も同じように力を入れたことがわかった。
弾ける花火の先には桜色の爪。
その先を辿れば、白い手首、華奢な腕、細い首。
目線だけそっと上げると、息を詰めた頰がまるで線香花火のようにぷっくりと膨らみ、下から橙色に照らされ、柔く発光しているように見えて。
『あ、』
おもむろに顔を上げた彼女と急に目が合い、思わず声が漏れた。
静寂の中、響いたその音に、彼女が驚いたようにわずかに肩を揺らすと、彼女の下で火花を放っていた光は、ポトリと落ちて消えた。
「あああ───!!!」
悲痛な声を上げ、彼女は光を失った線香花火の先を目の前にかざして、眉を下げた。
それまでのピンと張り詰めた空気が一気に緩んで、急に虫たちの声が聞こえ始める。
「卑怯ですよ!やけに目線を感じると思ったら!」
『見てただけじゃん。触ったわけじゃないし、姫さんが勝手に驚いたんでしょーよ』
「でも〜〜〜っ…!」
いつもなにかと諦めの早い彼女にしては珍しくしばらくごねて、だけど彼女自身も自分の不利をわかっていたんだろう。ため息をつくと、少し黙った後、もう一本、線香花火を手に取った。
火がついた線香花火は、再び先端に小さな球体を作った。
近づいてくる羽虫を軽く手のひらで払う。
気づけば、薄い朱色を引いていた空は、すっかり濃紺で染まっていた。
「ねえ先輩、線香花火の燃え方に名前があること、知ってますか?」
『え?』
彼女はこちらを一瞬見て、また線香花火の先に視線を戻す。
「燃えはじめの、この火の玉がだんだん大きくなっていくときを“蕾”、そして、火花が出始めたころを“牡丹”」
ぱちん、ぱちんと火花が飛びはじめる。
「“牡丹”よりももっと火花が大きくなって、四方八方に飛び出していくころを“松葉”、火花の勢いがだんだん小さくなるころを“柳”、…………そして、燃え尽きる瞬間を“散り菊”って言うんです」
『へえ、知らなかった。なんかロマンチックだね』
彼女はオレの言葉に、かすかに笑った。
「線香花火を花に重ね合わせるってロマンチックだよねって、わたしにこれを教えてくれた人もおんなじことを言ってました。小さい頃から両親は放任主義っていうんでしょうか、あんまり構ってもらった記憶がなく、代わりにその人と一緒に遊んだ記憶ばかりで」
彼女の少し低めの凛とした声が、濃紺の空に溶けていく。
「その人は、物知りで、わたしにいろんなことを教えてくれました。自転車の乗り方とか、近所の犬の犬種とか、学校への近道とか、トランプを上手くシャッフルするコツとか」
パチパチと火花は勢いを増す。そっと、彼女を見上げた。
「わたしはその人のことが好きでした。ずっと好きでした。小さい頃に交わした、“僕のお嫁さんになって”なんて子ども同士の戯言みたいな約束を、ずっとずっと覚えているくらいに好きでした。その人がそんな約束を忘れていることは百も承知で、約束の効力なんて全くないこともわかっていて、それでも好きでした。その人が黒髪のロングが好きだと言ったから、髪を伸ばし始めました。街中を一緒に歩いていたとき、白いブラウスを着てる子を見て「白って可愛いよね」とこぼした言葉で、その日から家のクローゼットは白一色になりました」
線香花火は、ぽとりと落ちて、地面で暗くなった。
それまでの橙色の光が、彼女の顔から消える。
「この間、その人に彼女ができました。すごく可愛い人でした。あ、失恋ってこんな感じなんだって他人事のように思いました。十数年の恋だったけど、しょうがないことだし諦めようと思って、毎日を過ごしました。だけど、そのうち気づいたんです。髪を乾かすのをあれだけ面倒くさく思っていたのに、1ミリも切るという考えが浮かばなかったことや、お店に行っても手に取るのは白い服ばかりなことに。軽く絶望しました。十数年で、その人を好きだということが生活そのものになっていました。…それは、今も」
彼女は消えた線香花火を、水の張ったバケツにポイと投げ入れた。
目の前で、白いワンピースの袖口がひらりと揺れた。
“本当に好きになるって、いつでも、どんなときでも、一分一秒も欠かさず好きでいつづけて、気が狂いそうになるくらいのそれが、日常になるってことですよ”
この前の屋上で、煙越しに聞こえた彼女の声を思い出す。
あのときの言葉は彼女自身のことだったのか、と今更ながら腑におちた。
「初めて人に言いました。秘密にしてくださいね」
そう微笑んで、うーんと伸びをしながら彼女は立ち上がった。
電灯に照らされたその顔は、屋上で見るよりもどこか輪郭をはっきりと持っていて、なんだか眩しくて視線を落とせば、彼女の足首に草切れがくっついていることに気づいた。
足首に手を伸ばして、だけど途中でその手を引っ込め、『足首んとこ、葉っぱついてるよ』と言う。
何度か触れようとするたび、やっぱり触れられない。
不可侵の、彼女は、聖域。
『安心して、オレ、口は固いタイプだから』
立ち上がって得意げに見えるように笑ったオレに、彼女は「ほんとかなあ」と茶化すようにまた笑った。
彼女の笑顔を見て、ふと、彼女が十数年抱えた想いが、その聖域をより強固なのにしているのかもしれないな、と思った。
『───で、オレと樹が適当に言ったこと信じてさぁ、岸、ほんとにスイカに醤油かけて食べたらしくて。夜中に電話かかってきて何かと思ったら“風磨くん!ウニってこういう味なんですね!”って』
「そもそもウニの味知らずに試してたんですか!? 岸くん、さすがですね」
夜遅いというにはそれほど遅い時間ではなかったけど、それでももう暗いから送る、と譲らなかったオレに、彼女はやっぱり早々に諦めた様子で「じゃあ申し訳ないですけど」と小さく頭を下げた。
しょうもない会話を交わしながら夜の道を歩く。
「あ、もうここなんで───、」
そう言って立ち止まった彼女の家の前。
その玄関の前に、うずくまるような黒い影が見えた。
その影が、ゆらりと立ち上がる。
『〇〇、こんな遅くまでどこ行ってたの』
少し疲れたような声が響いて。
うちの制服を着たその男には見覚えがあった。
というか、オレの学年なら誰でも知ってる顔だ。
朝の女子たちの会話。
付き合いたいランキング、第1位。
3組の“王子”。
「けん、と、くん……」
途切れ途切れの声が、隣から小さく聞こえた。
彼女がどんな顔をしているのかは、見なくても想像がつく気がした。
『最近帰りが遅いなって思ってたら、何?どういうこと?』
普段学校で見かける柔和な表情からは想像できないような、鋭い目線を投げかけられる。
『……別に、帰り送っただけだけど』
『…あ、そ。じゃ、ありがと。帰っていいよ』
そして、強引な手つきでグイッと彼女を引っ張ると、もうオレの姿なんて目に入ってないかのように、彼女に向かって『ほら、早く家入ろ。どうせ夕飯まだでしょ?作ったげるから』と慣れた様子で彼女の背中を押す。
困ったような、逡巡するような顔で、一度オレの方をちらりと見た彼女に、いいよ、というふうに手を振った。
2人が入っていったドアが、バタンと閉まった。
ひとつ息をついて、空を見上げれば、夏の蒸した空に星が浮かんでいた。
オレが触れられないあの手を、あいつは躊躇いなく取った。
好きで、好きで、軽く絶望してしまうくらい、好きな人。
たぶん、あの話を聞いていなくても、すぐにわかった。
彼女のわずかに震えた声や、揺れた瞳で、すぐに。
手のひらを空にかざす。
小指の先で一等星が光る。
こんなこと言うと、また君に揶揄われてしまうのかもしれないけれど。
秘密、できた。
君のことが好きだ。
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