彼はゲームがお上手
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
昔からそうだった。
宿題を見せてと頼まれたら断れないし、先生から雑用を押し付けられれば、どんなに忙しくても引き受けてしまう。
そのままずるずると歳を重ね、大学4年になった今でも、全くその性格は変えられず。
自分でもウンザリしてしまう。
典型的な、NOと言えない日本人。
だから今も、普段ならまるで関わることのないような、綺麗な栗色の髪をした年下の男の子に勉強を教えているというわけで。
『ねえ、ゲンカショーキャクってどういう意味?』
彼の前に置かれたミルクティーみたいな、甘く柔らかな声が響く。
最初の勉強会のとき、ブラックコーヒーを頼んだわたしを見て、『大人だぁ…』と小さく呟いた彼は、まるでハイブランドのモデルのような顔立ちをしているし、身長だって同世代よりも高いのに、話してみれば大学1年相応の、というよりも、何も知らない無垢な幼さみたいなものが残っていて、たまに不思議な気持ちになる。
「減価償却っていうのは……」
ふんふんと頷きながらノートにメモを取る彼に、『経済学の勉強を教えて』と頼まれたのは、1週間前の大学図書館でのことだった。
バイトをしている大学図書館で、『この本探してるんですけど、どこにありますか?』と声をかけられたのは、閉館間際だった。
綺麗な栗毛をしたその男の子は、図書館に来ているのをよく見かけていて見覚えがあったけど、話しかけられたのはその時が初めてだった。
館内に蛍の光が流れるなか示されたタイトルの本は奥の書庫にあるもので、これから案内をしたら残業確定だ、と内心ゲンナリした。
だけど、わたしは生粋の「NOと言えない日本人」だ。
明日にしてください、なんて、こちらをパッチリとした目で見つめるその男の子に言えるわけもなく、「案内します」と歩き始めると、彼は嬉しそうにわたしの後をついてきた。
人影のない書庫の本棚の前で、「この本ですか?」と尋ねて本を差し出せば、彼は『あ!それです!』と大きく頷いた。
『興味本位で経済学入門の授業をとってみたら、全然わかんなくて。テストも近くなって、いよいよヤバイなって思い始めて…』
「ああ、経済学って専門用語とか覚えるとこから始めなきゃですもんね…」
しょぼんとした表情に同情して、慰めるように声をかける。
顔立ちが外国人っぽいし、もしかしたら国際教養学部とかだろうか。館内でも、よく留学生といるところを見るし。もし帰国子女だったら、漢字が羅列される経済学の授業はかなり大変だろうな。
想像してますます同情が募ったところに、『あ、そういえば』と次に彼が放った言葉は、一瞬でわたしを凍りつかせた。
『お姉さんって、健人くんが好きなの?』
言葉を失った。そのまんま、文字通り。
一瞬、二十数年使い続けてきた日本語を忘れかけるほど、それは衝撃的な一言で。
半開きの口のまま固まったわたしを見て、彼はニッコリと笑った。
「な、なんで中島くんのこと」
やっと取り戻した母国語で彼に尋ねる。
中島くんは、同い年で、社会学部で、ついでにこの図書館でのバイト仲間で……………嘘。
ついで、なんて言ったけれど、本当はわたしがこのバイトを始めたきっかけは、100%中島くんが理由だった。
なんで、この子がそのことを。
『ボク、健人くんと知り合いなんだ。お姉さん、健人くんのこと、よく目で追ってるでしょ?超〜〜わかりやすかったよ』
ほんとザンネンなことにね、と小さな声で付け足した彼の呟きの意味は、他人に恋心がモロバレしていたという事実と、ざっくり指摘されるほど分かりやすい自分の挙動に二重でショックを受けていたわたしには、考える余裕なんてなかった。
恥ずかしすぎる。穴があったら入りたい。
というか、今すぐ穴を掘って地底に埋まってしまいたい。
『ねえ、お姉さんって経済学部でしょ?』
打ちひしがれているわたしにお構いなしといった様子で尋ねた彼に、「なんで知ってるの」と声に出せる気力はなく、せめて首を傾げることで疑問の意を示せば、彼はフフン、と得意げな様子で答えた。
『だってこの本のタイトル、聞いただけですぐここに連れてきてくれたから。もとからこの本を知ってたのかなって』
あと計算早そうなタイプに見えた、と付け加えられた言葉に、計算の早さと学部はあまり関係ないのでは、とツッコみを入れさせる隙も与えず、『ねえ』と彼は言葉を続けた。
『お姉さん、ボクの先生になってくれない?』
また言いそうなった「なんで」は、音になる直前、中島くんの顔が頭に浮かんで、「な」の口の形のまま停止した。
眉を下げて『ね、おねがい』と手を合わせる目の前の彼は、その言葉がわたしには脅迫にしか聞こえないことに気づいているのだろうか。
無垢な2つの瞳が、こちらを見つめる。
「………わかったよ」
こうして、マリウスくんとわたしのカフェでの勉強会は始まった。
1/3ページ