シンデレラの行方
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終わってみれば、まるで勝負になっていないほど、大差でこちらが勝った。
自然に起こっていたギャラリーの拍手に、彼女と目を合わせ、笑いながら小さくお辞儀をすると、拍手は一層大きくなった。
放心状態の2人組にドリンクの伝票を渡し、「しっかり払って帰ってね」とニコリと微笑んでみせると、彼らはブルリと震え上がりながらコクコク頷いていた。
「あ〜なんだかんだ楽しかった!」
彼女は高揚で頰を少しだけ火照らせて、ぐっと伸びをする。
『本当にありがとう。たまには飲んでいかない?お礼に今日の分は奢るよ。メニューにないものも作れるやつなら作ったげる』
「いいの?じゃあ、少しだけ」
嬉しそうに微笑んで、彼女がカウンターの椅子に座ろうとしたとき、またカバンから電子音がした。
彼女は唇を少し噛んで逡巡したあと、スマホを取り出し、「ごめん、ちょっと出てくるね」と店の外に出て行った。
「けんとぉ、さっきすごいカッコよかった!」
彼女が座るはずだった席に××が座り、話しかけてくる。
氷を削りながら彼女の話に適当に相槌を打ちつつ、だけど、さっき出て行ったときの彼女の強張った顔が、妙に気になってしまって。
××に『ごめん』と言い残し、彼女の出たドアをそっと開ければ、非常階段の方から「だからこういうのやめてって何度も言ってるでしょう!?」と大きな声が聞こえた。
上がった階段の踊り場で、先ほど勝利の余韻を宿らせていた青い背中は、今は震えていた。
後ろからスマホを奪うと、彼女は目を見開いてこちらを振り返った。
「何するの…!」
奪い返そうとする彼女を片手で制してスマホを耳に当てると、聞こえてきたのは女の声だった。
〈だあれ?〉
『……そっちこそ誰』
〈あ、なぁんだ、奥さんも浮気してるんじゃない〉
クスクスと不快な笑い声が耳に障る。
『……この人に何の用』
〈べつにぃ?ただ、今あなたのご主人はわたしの隣で気持ちよさそうに寝てますよぉって教えてあげようと思って。結婚記念日だからって、彼が帰ってくるのを家で待ってたりしたらかわいそうだから。でも、余計な心配だったみたいね〉
『消えろ。2度とこの人に近づくな』
ボタンを押して電話を切れば、目の前には額に手を当てて、憔悴したように俯く彼女がいた。
スマホを返すと、彼女はさっきの暴走を咎めるでもなく、ただ黙って受け取って鞄にしまう。
ごめん、と小さく謝れば、彼女は「いいの、本当のことだから」と言った。
ぬるい夜風が、彼女のゆるく巻かれた前髪を揺らす。
「……1年くらい前から、かかってきて」
小さく落とされた声は、もう震えを残しておらず、夜の海のように静かだった。
マスカラのしっかり乗せられた睫毛が、宙をたゆたう。
どうして、と彼女の細い声が、その空気をわずかに波立たせた。
「……だって、この人だって思って、恋に落ちて、お互い好きあって結婚したのよ?………ねえ、どうして?」
こちらを向いた彼女の目は、どこか、もっと遠くを見ていた。
頰に引っかかった髪の毛をそっと払う。
彼女の頰は、まるでこの静けさに浸したように冷たかった。
「……言霊ってよく言うじゃない。だから、中島くんと話すとき、いつもこれが本当のことであればいいって思いながら話してた。……なんか中島くん、そういう力ありそうだし」
ふふっと口の端だけで彼女は微かに笑い、でも、とポツリとこぼした。
「………でも、夫の浮気を知りながら、それでも夫を愛してるって繰り返すわたしは、きっともう、気が狂う寸前なのよ」
青いドレスは夜風に揺られる。
シルバーのハイヒールは夜の街の明かりを鈍く反射する。
童話のシンデレラは、自分を探し当ててくれた王子との生活が、幸せなものなのかどうかは教えてくれなかった。
だから、村人Aは、彼女の幸せを信じて、楽しく愉快な友人を演じるしかなかった。
たとえ、どれだけ彼女に惹かれていようとも。
『……じゃあ、もういっそ狂ってしまってよ』
呟いた声を聞き返すように顔を上げた彼女を、トンと壁に追いやって、頭ひとつ分低いところにある唇を、屈んで下から掬いあげた。
彼女の瞳が、初めてオレを映した。
開いた唇の隙間から舌を侵入させ、戸惑うようにぎこちなく固まっている彼女を見つけて絡めとれば、2人の間から、くちゅり、と甘美な音が響いた。
無意識に薬指にはめられた指輪に触れようとしている左手に気づいて、無理やり開かせて重ね合わせ、壁に押しつけた。
迷いなんか捨てて、ただオレに委ねてしまえばいい。
唇を離せば糸が引き、彼女の唇は唾液で濡れていた。
そっと親指で自分自身の唇を拭えば、ピンクのルージュが移っていて、それを舐めとれば、甘く、彼女の味がした。
ほうっと彼女の口から漏れ出た息が空気を揺らす。
彼女は、あのね、と秘密を打ち明けるように、その唇を小さく動かした。
「……本当にしたかったの。本当になればいいと思ったの。わたしは変わらず夫を愛してるって、………自分は誰にも心を揺らさず、一途なままだって」
彼女はすがるような、それでいてどこか諦めたような目をして微笑んだ。
「全部、嘘にして」
息をつめ、一瞬、すべての音が耳から遠ざかる。
世界が、目の前の彼女と、自分だけになる。
再び重ね合わせた唇は、互いの輪郭をかき消すように、深く深く、沈んでいった。
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