シンデレラの行方
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事情を話せば、彼女は「えぇ〜…」と気乗りしない表情を浮かべた。
「そんな責任の重いゲームしたくないわよ」
『おねがい!オレを助けると思って!』
手のひらを顔の前で合わせて頼み込むと、彼女はため息をつきながら薬指の指輪を右手で擦った。
困ったときや迷っているとき、結婚指輪をなぞるのが彼女の癖だということは、彼女がここに通い始めてから今までの約2年間で気づいたことの一つだ。
「わたし、ただのお客だし、中島くんを助ける義理ないもの」
『そんな冷たいこと言わないで』
「バーテンさん、決まった?」
振り返れば、へらりと薄い笑みを浮かべた2人組が立っていた。
彼らはオレの背中越しにじろじろと値踏みするように彼女を見たあと、顔を見合わせて吹き出した。
「バーテンさん、そのおばさんでほんとに大丈夫?」
「まださっきの子の方がよかったんじゃない?若いしおっぱい大きいし」
ギャハギャハと品のない笑い声が響くなかで、冷え切った声が後ろから聞こえた。
「ねえ、中島くんに勝負をふっかけてるのってあなたたち?」
コンッと響いたハイヒールの音で背筋を伸ばしたオレとは対照的に、薄ら笑いを顔に貼り付けたままの彼らは、まだ事の重大さをわかっていないようだった。
あーあ、やっちゃった。もうどうなっても知らないよ。
スッと彼女がオレの前に出てきて、彼らと対峙する。
まっすぐ伸びた背中しか見えなかったけど、彼女が、それはもう凍えるほどの笑みを浮かべていることは容易に想像がついた。
「わたしなんかでお相手になるかわからないけど、よろしくね」
青いドレスが翻って、ふわりと広がる。
こちらを向いた彼女の目は、ホッキョクグマにさえ凍傷を負わせてしまうんじゃないかと思うほど冷たかった。
「…ねえ、中島くん。わたしまだ32歳よ」
『はい』
「それに胸だって、確かに大きくはないけどCカップはあるわ」
『ええ』
「………あのガキども、立ち直れないほどコテンパンにするわよ」
『精一杯お供させていただきます、プリンセス』
忠誠を誓うように、うやうやしくお辞儀をした。
『そんな高いヒール履いて大丈夫?』
未だしかめ面の彼女に、はい、とダーツの矢を渡す。
「心配してくれるの?ありがとう。大丈夫、今のとこ靴ずれもないし」
『いや、勝負に響いたら困るなって』
「わざとボードの外に投げようか?」
『ごめんなさい』
いつものように軽口を交わせば、ようやく彼女の眉間に寄せられていたシワが緩んだ。
腰かけた椅子の上に、ドレスの青い海が広がる。
『でも、ほんとにどうしたの?そんな綺麗な格好して。びっくりした。それにいつもは夕方前に店に来るのに。夜に来るの初めてじゃない?』
おかげでオレは助かったけど、と付け加えながら尋ねると、彼女はイヤリングの位置を直しながら笑った。
「今日、結婚記念日なのよ。5回目の」
『そうなんだ』
「ちょっと高めのところでごはんでも食べようって予約してたんだけど、テーブルで待ってるときに、主人から仕事が入って行けないって連絡が来て。急きょ暇になったからここに来たの」
『ドタキャンされたってこと?酷いな』
「仕事じゃ仕方ないもの。それに今度きちんと埋め合わせするって言ってくれたし、全然怒ってないよ」
『いい奥さんだね』
「なんたって旦那さまのことを愛してるからね」
薄ピンク色のルージュが綺麗に引かれた唇を、ふふん、と綻ばせたあと、彼女は「中島くんは?」と身を乗り出した。
「26歳だっけ?そろそろ彼女と結婚とか考えたりしないの?」
『いや、そういうのはないかな。それに、まだ結婚できるほどしっかりしてないし。さっきだって〇〇さんが来てくれなきゃ、あの人たち怖くて、オレ危うく泣いちゃうとこだった』
「もう、本当に調子がいいんだから」
クスン、と泣き真似をするオレに、彼女は呆れたように笑った。
ゲームが始まれば、みるみる彼らの表情は硬いものになっていった。
もし、彼らが彼女の実力を正確に測れていれば、あんなふうに彼女を挑発なんてできなかっただろう。
あの言葉を発した時点で、彼らの負けは確定していたのだ。
いつも来るのが夕方だから、常連の客の中でも彼女の存在を知っている人は少ないけれど、この店に来る人の中で確実に3本の指に入るほど、彼女のダーツの腕前は確かなものだ。
ほら、またいとも簡単にインナーブルに矢を入れて戻ってくる。
『ちょっとは加減とかしませんか?』
「何言ってるの。コテンパンにするって言ったでしょ。プライドを根っこから折ってあげなきゃ。中島くんも手抜いたら許さないからね」
『…仰せのままに、マイプリンセス』
胸に手を当て小さく身をかがめたあと、椅子から立ち上がって、ラインの前に立つ。
息をつめ、一瞬、すべての音が耳から遠ざかる。
世界が、目の前のボードと、自分だけになる瞬間。
右手から放った矢は、弧を描いて的の中心に吸い込まれていった。
小さく息を吐いて振り返ると、彼女が片眉を上げて「さすが」と拍手でむかえてくれる。
ハイタッチを交わして席に着くと、どこからか電話の鳴る音がした。
彼女はカバンからスマホを取り出し画面を一瞥すると、電話に出ないままスマホをカバンの中に戻した。
『出なくていいの?』
「いい。今はこの勝負に集中したいから」
『もう、ちょっとは肩の力抜こうよ。こっちの息が詰まっちゃうって。もっとポップ&キュートに行こ?』
ね?ほら?、と両手で作った拳をアゴに当てて小首を傾げ、きゅるんと上目遣いをして彼女を見つめると、「ちょっと待って」と手で制された。
「何しれっとキュート担当を持っていこうとしてるの」
『え、可愛いでしょ?よく言われるよ』
「たしかに可愛くなくはないけど、ホラ、ここに、こんなにキュートな人妻がいるじゃない」
『自分で言う?』
「結婚して5年も経つのに体型だって維持してるし、結婚当初に買ったこのドレスだって着られてるもの。綺麗で可愛くて努力家で、おまけにこんなに一途な人妻、他にいないでしょ」
『はいはい、わかったよ。キュート担当は譲るよ。こんな可愛い人が奥さんだなんて、ご主人は幸せだね』
ヒラヒラと降参の印に手のひらを振れば、彼女は満足そうににっこりと笑った。
人妻だから、とやたら強調していたけど、小さなことでムキになって、こんなに子どもっぽくて、まるで少女みたいな振る舞いをする人妻もなかなかいない気がする。
本人は完全に無意識だし、言ったら怒るんだろうけど。
「ほらポップ担当くん、君の番だよ」
にこにこと笑う彼女に矢を手渡され、「今度は20のトリプル取ってきてね」と圧をかけられる。
『努力するよ、キュート担当さん』
ダーツの矢を、指先でスルリと回転させた。