小話⑦ 夕暮れ
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放課後、用事が終わってLINEを見たら、例の空き教室にいると連絡が来ていた。
3年に進級していよいよ本格的に受験生になった私たちは、どちらかを待つ間はいつも自分のクラスか図書室で勉強をしていることが多かったから、少し疑問をもつ。
言われたとおり空き教室へ行くと、小さな頭を机の上で組んだ腕に乗せ、眉を寄せて眠る勝利の姿が見えた。
眠っている表情を見たことは、そういえばあまりない。起こさないようにそっと教室に入って目の前の席に座り、その顔をじいっと見つめた。
外から聞こえてくる野球部の声や廊下に響く生徒たちの足音は遠く、夕焼けが差し込み始めた教室に、規則正しい呼吸音だけが響く。
やっぱり、いつ見ても綺麗な顔だ。
わたしだって自分の顔はかなり好きだけど、それでも次の人生で顔を選べるとしたら、どの俳優やモデルでもなく、間違いなく勝利の顔を選ぶ。
閉じられたまぶたには長いまつげが隙間なく均等に生えそろっていて、鼻は定規と分度器を使って作られたんじゃないかと思うほどスッと通っている。肌だってきめ細かい。「スキンケアって何してるの?化粧水とかは?」と聞いたら「化粧水って化粧する人だけが使うやつじゃないの?」ときょとんと返されて、かなりのショックを受けたのは記憶に新しい。
……綺麗すぎてムカついてきたな、こっそり眉毛でも抜いてやろうか。
むくりと湧きおこった悪戯心に忠実に従い、他の人よりもしっかりした眉に指を伸ばすと、近づいた体温を感じ取ったのか『ん……』と、勝利はまぶたをうっすら開けた。
『……なに、してんの…』
「…ほこり取ってあげようと思って」
にっこり笑いかけて指先の目的地を急遽変更し、さっと髪の毛を払う。もちろんほこりなんてついてない。
『うん…?ありがと…』
揺れただけの髪にお礼を言った勝利は、まだ開ききっていない目をしぱしぱと瞬かせて、ふあ、とあくびをする。『う~…』と雑に目をこするから、頬に一本まつげが残っている。
「まつげ、ほっぺにくっついてる」
『んー…とって…』
寝起きということもあるけれど、なんだか今日はいつになく甘えただ。
「疲れてる?」
『さいきん、新入生によくからまれて…』
ああ、と納得する。先日の入学式が終わってから、「芸能人並みにかっこいい先輩が3年にいる!」と1年女子が騒いでいる場面に遭遇することが何度もあった。勝利と中学からの同級生である聡ちゃんにとっては、見慣れた風物詩だったらしい。「毎年この時期はそうなんだけどね、今年の子たちは特にイキがいいなぁ~」と、まるでベテラン漁師のような口ぶりで話していた。
「教室にいても1年生が来ちゃって落ち着かないから空き教室に来たってことか。でもまあ、あんまりそっけない態度取らないであげなよ」
机の上に放り出されている勝利の指先をいじいじともてあそぶ。中性的な顔に反して、意外と手は骨ばっていてしっかりと男の子だ。
『……なんか、よゆう』
「1年生相手に嫉妬するのもねえ」
と言いつつ、目立って可愛い子をチェックするくらいのことはしたけれど。
『あんたも、こないだ囲まれてたじゃん…』
「勝利と違ってわたしはああいうの逆に楽しめるタイプだもん。新入生の噂になるの、結構気持ちいいし」
『……へーえ』
勝利もわたしみたいな性格だったらよかったのにね、と軽口をたたこうとしたけれど、うるさい、と一蹴されるのは目に見えていたし、冷静に考えて、わたしみたいな性格の勝利は嫌すぎるので、口に出すのは自重した。
カチ、と秒針が動く音がして、黒板の上にかけられた時計を見ると、もうすぐ17時を指そうとしていた。橙色の光が、さっきよりも濃く教室を満たす。
「そろそろ帰ろ、勝利」
ちょん、と袖を引っ張る。
だけど、うー…とか、んー…とか、もごもご呻き声を出しながら、勝利はもう一度ぽすんと頭を腕に置いて突っ伏した。
『つかれて、げんきでない…』
「えーもう、困ったなあ…」
どうやら思ったより重症らしい。
…しょうがない。ここは彼女として一肌脱ぎますか。
「ほら勝利♡ 元気出して帰ろ♡」
『…さむっ。かわいくないからやめなって』
……ムカつく。
はぁ~逆につかれたわぁ~…と大きくため息をつく勝利に、スイッチがかちりと入る音がした。こちらも、そして向こうも、完全に悪い癖が出て面倒くさいモードに入っている自覚はあった。だけど、これはわたしのプライドをかけた戦いだ。
こうなったら絶対かわいいって言わせてやる。
可能な限り口角をあげて、首を傾げ。
「勝利、元気出してっ」
『作り笑顔すぎ』
上目づかいで、少し頬を膨らませて。
『ちがう』
眉をハの字にして、瞳を潤ませ。
『不正解』
すこしだけ上を向いて、目を閉じる。
無言の一瞬。
さわ、とくちびるが触れる感触。
『…惜しいけど、ちがいま~す』
「えっヤリ逃げ!」
『誤解されるようなこと言わないでください』
ツンとおすまし顔で否定されたけど、状況的にあながちわたしの言葉は間違っていないと思う。
そのあともいろいろな表情や仕草を試してみたけれど、まったく勝利には響かない。
「も~!どの顔が可愛いの!? なんなの!? 勝利の趣味ぜんぜんわかんないよ!」
今まで勝利にたびたび「可愛い」と言われることはあったけど、そのどれもがわたしには全く心当たりのないタイミングで、いまいち勝利のツボがつかめない。逆にわたしが狙ってやったときは、ほぼすべて「はいはい」みたいな顔をされるのも癪だ。
『正解、知りたい?』
不服だ。だけど彼の持つ「正解」への興味には勝てない。
無言でしぶしぶ頷くと、きゅっ、と小さい顔に笑みを広げ、ちょいちょいと手招きをされる。
その仕草の通り、不本意ながら彼の方に耳を近づけた。…はずだったのに、頬に添えられた手に前を向かされ、視界はくるんと回転する。
「へっ……」
気づいたら、視界いっぱい勝利だった。
さっきも感じた、わたしより体温の高いくちびる。
間抜けに開いた唇から舌が割り入る。
「んっ……ふ、ぅ…っ…」
れろ、と歯の裏側を器用に舐められる。
わたしじゃない味の唾液が口の中に広がって、ぐちゅり、と混ざる。
骨ばった男の子の指が、つつ、と私の首筋をすべって往復して、その感覚に、きゅうっとみぞおちが締め付けられた。
「っ、はっ……っ」
ようやく離れた唇に、くらくらと眩暈がしそうなのを懸命に息を整えることで堪えている私の顔を、勝利が両手で持ち上げる。
『……これが、正解』
「、っは……ぁ…へ…?」
『オレしか見えてないって顔が、いちばんかわいい』
きゅる、と光る大きな瞳に覗き込まれて、言葉を失う。
そんなの、どうやったって正解できるわけないじゃないか。
『さ、元気出たし、かーえろ』
晴々とした声音とともに持ち上げられたカバンを慌てて引っ張って引きとめる。
「…ゔ〜〜〜」
腰が抜けて立てない、ということを目で訴えると、勝利はやれやれと首を振り、もう一度イスに戻る。
やれやれって、いまだ戻ってこないわたしの腰と言語能力を少しは慮ってくれてもいいと思うし、そもそも誰のせいでこんなふうになってるんだ。
『言っとくけど、あんたが悪いんだから』
「……うぅ?」
『こっちだけ余裕ないのくやしいじゃん』
「…う?」
時計の音がカチ、と鳴り、流れだしたチャイムの音に、勝利は視線を窓の外へ向ける。
『………他の男に囲まれてあんな笑う必要ないと思う』
長いまつ毛はオレンジの粒子を纏って、鼻筋の美しい稜線が縁取られる。
神さまの造りもの。
まるで絵画のようなその顔の中には、頬にひとつ、夕焼けとは違う色が塗られていた。