番外編 少女漫画は誰のもの
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日曜日、中華街へのお出かけの日。
朝9時に大きなカバンを持ってうちにやってきた莉子ちゃんは、開口一番言った。
「ちょーっとだけおめかししよ?」
「へ?」
そうして部屋に下ろしたカバンから出てきたのは、服やアクセサリーやコテ、そして膨大な量のメイク道具。
あれよあれよという間に着替えさせられ、肌にいろんなものをはたき込まれ。
「眼鏡は……うーん、しょうがないか。こんなおっきくてぱっちりした目を隠すのはすごくもったいないんだけど……」
ぶつぶつと独り言を言いながら、彼女は手際良く仕上げていく。
メイクをするなんて、親戚の結婚式に参加したとき以来だ。
そう言ったら、彼女は信じられないといった目でこちらを見た。
「なんで?!素材がいいのにもったいないよ!メイク嫌いなの?」
「嫌いじゃない、…けど、身の丈に合わないんじゃないかって思っちゃって」
わたしの言葉に、彼女はますます怪訝な顔をした。
「なにそれ、身の丈なんて合わない分は作っちゃえばいいし、そのためのメイクでしょ」
当たり前みたいに言われた言葉に、背筋が伸びた。
目ぱっちり開いて〜、と促され、莉子ちゃんの大きな瞳に、わたしが映る。
瞳の中のわたしは、むずがゆそうな顔をしていて、だけど、いつもよりほんの少しだけ可愛くみえる気がする。
身の丈なんて作っちゃえばいい、といった彼女の言葉を口の中で小さく繰り返す。
莉子ちゃんは、可愛くて綺麗で、その見た目だけで一生分好きだなあと思うけど、ほんとのほんとに好きなところは、見た目以上に、いつも堂々としていてカッコいいその中身だ。
「さーて、顔はできたから、あとは髪の毛だけど…」
「あ!髪はそのままでいい!」
「え?だってこの服とこのメイクだったら絶対違う髪型の方が似合うよ?あ、それともまた不釣り合いじゃないかとか考えて…」
「そうじゃなくて!……聡くんがいつも言うの。“この三つ編み、ほどかないでね”って。だから……」
「は………」
彼女は一瞬言葉を失ったあと、肩をがっくりと落とし、大きくため息をついた。
「……〜〜ったく、原因はそっちにあったのか……聡ちゃんてば過保護っていうか、案外ねちねちしてるっていうか……」
「…??」
「ま、いーや。わかった、三つ編みはそのままにする。そのかわり───」
そして、数時間後。
待ち合わせ場所にやってきたわたしを見て、聡くんは言葉を失っていた。
『ひより、それ…………』
「莉子ちゃんがやってくれて……」
白のレースキャミソールと紺のショートパンツは莉子ちゃんが貸してくれたものだけど、やっぱりいつもの何倍も肌の出ている面積が大きくて恥ずかしい。
癖で無意識に三つ編みを触ろうとすると、手が胸の前で空を切って、ああそういえば、と気づく。
「髪も莉子ちゃんがね、やってくれたの。三つ編みはほどかないまま、ほら」
ふだん胸の上にある三つ編みは、今は耳の上でくるくると巻かれ、2つのお団子になっていた。
それはなんだか小さい頃に見ていたアニメに出てくるチャイナ服の女の子みたいで、密かに嬉しい。
あの果敢な女の子と自分を重ね合わせて、少しだけ力が湧く気がする。
いまだ口をあんぐり開けたままの聡くんの服の裾をそっと掴むと、彼は我に返ったように口をぱくんと閉じ、ゴクリと喉を鳴らした。
そして、しばらくわたしをじっと見つめて、ん゛〜〜〜と奇怪な声で唸ったかと思うと、ぎゅっとわたしの手を掴んだ。
『ひより、ついてきて!』
「ちょ、聡くん、どうしたの!」
ズンズンと早歩きの聡くんに引っ張ってこられたのは、中華街の雑貨屋さんだった。
店内には、パンダのお面や真っ赤なチャイナ服などが所狭しと並べられている。
聡くんはざっと店内を見回し、紺のスカジャンを手に取ってパッとわたしの前にかざしたあと、小さく頷き、同じものをもう1着持ってレジの方へと駆けて行った。
しばらくして戻ってきた聡くんは、『はい』とさっきのスカジャンをわたしに差し出した。
『タグ、切ってもらったから』
「え、これ…」
『着て』
ズイっとこちらに身を乗り出した聡くんに気圧されて、渡されたスカジャンに袖を通すと、彼はなぜか安堵したように息を吐き、いそいそと自分ももう一枚のそれを羽織った。
『ん!ペアルック!』
満足そうに笑う彼にその服はよく似合っていて、そして、意外なことに鏡の中のわたしも、髪型やメイクのおかげか思っていたほど壊滅的というわけではなく。
こんな派手な服は似合わないと、今まで敬遠して試すことすらしなかったけれど。
胸が小さく高鳴った。
「あ、お金…」
『んーん、出させて。オレが着てほしいだけだから』
聡くんは、少し恥ずかしそうに鼻の下をこすった。
それをわたしは、すごく、愛おしいと思った。
一口で頬張った小籠包に、『あつ!あつ!』と口をはふはふさせて目を潤ませながら、聡くんはようやくごくんと飲み込んだ。
『息できなくて溺れるかと思った』
口を冷まそうとしているのか、ウルウルした目のまま、口をパクパクとさせている聡くんが可愛くて、思わず吹き出す。
『もお、笑い事じゃないから!』
「ごめんごめん。でも、どうせ溺れるなら小籠包がいいね」
『たしかに。海とかで溺れちゃうよりは小籠包で溺れる方がいっか』
わたしも同じように頬張って「あっっつ!!」と涙ぐむと、それを見て聡くんは『あは、溺れてる溺れてる』と笑った。
『まだお腹空いてるよね?どっかお店入るか、それともこのまま屋台食べ歩きする?』
「ん〜〜〜」
周りを見渡せば、餃子、杏仁豆腐、北京ダック……と様々な文字が誘惑してくる。
その中のひとつが目についた。
パンダまん。
パンダの顔をした色とりどりの肉まんが、お店の前で湯気を立てて並べられていた。
普段なら、選ばないようなものだけど。
これ、聡くんが食べてたら、それはもう可愛いだろうなあ。
なんか、ちょっと顔も似てるし。
うわ、見たいなあ、それ。
「ねえ、聡くん…」
振り返りながら呼びかけた声は、すこんと空振りした。
さっきまで横を歩いてたはずの聡くんがいなくて、きょろきょろと周りを見渡せば、わたしの少し後ろ側で、彼は道を尋ねられたのか、2〜3人の女の子たちと一緒にスマホとパンフレットを覗き込んでいた。
聡くん、と歩み寄ろうとした足が止まったのは、彼を囲む女の子たちがみんな、明るく髪を染めて、綺麗なメイクを顔に施して、高いヒールを履いていたからで。
クラスの真ん中。ひときわ目立つ集団。
教室の端からいつも見ていた光景に重なった。
きらきら、そこだけ発光して。
思わず俯くと、レースキャミソールの裾の方に、少しほつれがあることに気づいた。
出てくるときはなかったのに、どこで引っかけたんだろう。
服を貸してくれた莉子ちゃんへの申し訳なさと同時に、「やっぱり」と思った。
やっぱりモブキャラはモブキャラだ。
小さく苦笑した。
どれだけ背伸びしてみたって、そっち側へはいけない。
ほつれをそっと押さえた時だった。
「あの、道に迷ってしまったんですけど」
「ここってどうやって行けばいいんですか?」
顔を上げると、目の前には人の良さそうな大学生くらいの2人組が、困り顔で立っていた。
近い年齢の男の人に話しかけられることなんて滅多になかったから驚いて、「あっ、えっと」と挙動不審になる自分を恥ずかしく思いながらも、なんとか道を説明する。
「えっと…伝わりましたかね?」
「う〜〜ん、ちょっと辿り着けるか不安だなぁ」
「あ、そうだ。君、そのお店まで道案内してくれないかな?」
トン、と肩に手を乗せられて、ピクリと体が跳ねた。
「っと、でもわたし、一緒に来てる人がいて…」
「その子には連絡入れとけばいいじゃん」
「ね、お願い。オレたちほんと困ってるんだよ」
顔を寄せられて、思わず一歩後ずさった。
これじゃ、男子慣れしてないなんて丸わかりだ。
ただ道案内をしてって言われただけなのに、こんなに狼狽えるなんて、自意識過剰みたいで恥ずかしい。
「えっと、じゃあ、こっちに……」
歩き出そうとした足は、なぜか一歩目が着地する前に、引っ張られ。
横を向けば、聡くんに腕を掴まれていた。
「そうく…」
『あの』
わたしの声なんか聞こえていないかのように、聡くんは2人組の方をまっすぐ向いた。
掴まれた腕に、力がこもるのがわかった。
『この子、オレのです』
それだけ平坦な声で言い放つと、聡くんは『行くよ』と、こちらを見ず、わたしの腕を握ったまま歩き出す。
虚を突かれたような2人が、「ちょ…」と慌ててわたしの腕を取ろうとしたけど、その手は聡くんによって払われて、宙をぶらんと彷徨った。
『オレの、です』
抑揚のない声は、かえって凄みがあり、2人だけじゃなく、わたしまでたじろいで。
再び聡くんに引っ張られたわたしを、今度こそ引き止める腕はなかった。