番外編 彼氏彼女は譲らない
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
〈boy’s side〉
まずった、という自覚はあった。
休日、莉子と映画館に行って、軽くショッピングをして。
休憩がてらカフェでお茶をして、ここまでは良かった。
問題は、ここから。
彼女がお手洗いに立って、1人、テーブルでスマホをいじっていると、ある声が降ってきた。
「あれ、勝利?」
声の方に目を向けると、女子数人のグループがいて、そのうち1人は見知った顔だった。
『あ……ひさしぶり』
懐かしさとともに、少しだけ会話をして、そこに莉子が戻ってきた。
「じゃあね」と言って連れの女の子たちのところへ戻って行ったあの子の方を、ちらりと彼女が振り返る。
「誰?」
『あー…中学の同級生』
彼女は、ふーん、とストローをくわえてアイスティーを飲んだあと、くるりと目をまわして、おどけたような口ぶりで言った。
「元カノだ?」
なるべくいつも通りの声のトーンになるよう気をつけたのに、なんで女の人ってこんなに勘が鋭いんだろう。
若干の気まずさを感じながらも、『まあ、そう』と答えれば、彼女はストローでグラスの氷を転がし、「やっぱりね」と少し笑った。
カランコロンと鳴っていた氷の音が止まる。
柔らかく弧を描いていた彼女の口元に、ギュッと力がこもった。
「ごめん、今日は帰る」
呼び止める暇もないくらい、ものすごい速さで立ち上がって彼女は店を出ていった。
ドラマみたいにすぐに追いかけて引き止められたら良かったけど、現実は、店を出るのに会計をしなければならなかったし、レジはあいにく人が並んでいて。
焦って店を出たときには、もう彼女の姿は見えなくなっていた。
〈girl’s side〉
「来ちゃった♡」
とインターホンを鳴らしたわたしを、ひよりは目を丸くして迎え入れてくれた。
「どうしたの?今日は佐藤くんとデートのはずじゃ」
「ん〜〜逃げ出してきた」
「えっ」
「元カノに遭遇して」
「ええっ」
いちいち可愛いリアクションをくれるひよりをムギュッと抱きしめる。
ひよりの身体は、いつも落ち着くいい匂いがする。
「はぁ〜〜〜わたしのひよりは今日も世界一愛おしい〜〜来て正解〜〜」
と撫で回すと、彼女は大人しく撫で回され、だけどわたしの腕の間から心配そうな目を覗かせた。
「大丈夫だよ、ケンカとかじゃないから」
「……そっか」
彼女は小さく頷くと、紅茶淹れてくるね、とするりとわたしの腕の中から抜け出して、階下へ降りていった。
何も聞かない優しさが、今はありがたかった。
そう、ケンカしたわけじゃない。
それなのに、こんなに揺らいでいる自分を認めたくなかった。
ひよりの部屋で、彼女の代わりにクッションを抱える。
付き合い始めて、数ヶ月経った。
わたしは勝利が好きだし、勝利もわたしを好いてくれているのはわかる。
倦怠期なんてのも無縁で、デートだって何回かしたけれど、いまだにウキウキして、朝は2時間も準備に時間を費やしてしまうくらいだ。
だけど最近、そうやって服を選んだり、髪を巻いたりしながら、ふと思う。
“こんなん、絶対わたしのが好きじゃんね”
並みの人よりモテまくっていることに関しては自負があるけど、だからといって並みの人より恋愛経験があるわけじゃない。
最初付き合った人は、サッカー部で顔が良かったからというだけの理由で、告白されてなんとなくOKしたけど、一心に向けられる好意を気持ち悪く感じてしまって、1ヶ月もしないうちに別れ、それ以降、告白は全て断るようになった。
だからむしろ、本気で好きになって付き合い始めた人なんて勝利が初めてで。
そのぶん、怖くなる。
今日も、待ち合わせ場所で彼を見つけて、「昨日よりかっこいいなー好きだなー」と思ったし、映画が終わったあと感動で赤い目をしていた彼を見て「可愛いなーわたしの方が絶対好き度高いなー」と思った。
そしてそのたびに、少しだけ心が燻る。
会うたびに、わたしの方の車輪ばかりが大きくなってしまってる気がして。
いつか事故ってしまうんじゃないか、なんて、そんなタイミングで、不安を具現化するみたいに前の彼女が現れて、何より普段あまり表情を崩さない勝利が、笑ったり赤くなったりしてたから。
無意識に思い返されるあの顔を、頭の中から追い払おうと小さく首を振ったとき、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。
口角を引き上げ、はぁい、と返事をする。自分の部屋に入るのにノックも何もいらないのに、いや、紅茶を持ってるから両手が塞がってるのか。立ち上がってドアを開けると、さっきまで頭の中に浮かんでいた顔が見えて、慌ててバタンとドアを閉じた。
「なんで勝利がいるの?!?!」
『そんなに勢いよく閉じられると、さすがに傷つくんだけど…』
一瞬幻覚を見たのかと思ったけど、ドア越しに聞こえた声は、やっぱり紛れもなく彼のものだ。
なんで、なんで勝利がここに。
「ごめんね、一応所在は伝えておいた方がいいと思って…でもこんなに早く来るとは………」
ひよりの申し訳なさそうな声が聞こえて、そうだ、この子も聡ちゃんと同じく隠し事できないタイプだった、そういうとこが大好きだけど、でも今は、と頭の中をぐるぐるさせているうちに、また彼の声が聞こえた。
『ね、出てきて。顔見て謝らせて』
「謝んなくていいから帰って!」
間髪入れず鋭く響いたわたしの声に、彼が息を飲んだのがドア越しに伝わってきた。
キツい言い方になったけど、今、顔を見られたくない。
しばらくの沈黙の後、だけど聞こえたのは頑なな声だった。
『やだ、帰んない』
さっきまで落ち込んだような声をしていたのに、急に駄々をこねる子どもみたいな声音に変わっていた。
『オレ、出てくるまで帰んないし、別れる気さらさらないからね』
「はあ?!」
思わず大きな声が出た。
「別れるとか言ってないじゃん!」
『いーや言う。このあとあんたは絶対言う。オレにはわかる』
「言わないってば!なんでそんな縁起でもないこと言うの?!」
『経験からして絶対あんたはそう言い始める!いつも振り回されるのはオレの方なんだ』
拗ねたようなその言葉にムッとして、言葉の勢いは増していく。
「何それ!絶対わたしの方が勝利に振り回されてるからね!?今日だって2時間かけて服選んで髪巻いてメイクしたのに、会ってみたら何にも言われないから今日の格好タイプじゃなかったのかなって落ち込んだし!そのくせナンパに捕まってたら颯爽と助けてくれちゃうんだもん!かっこよすぎて文句も言えない!勝利と一緒にいると全然感情が休まらない!」
『はあ?!ちゃんと毎回可愛いって思ってるから!なんなら今日いつもより高いとこで髪結んでんのもマニキュアの色変えてんのも気づいてるから!けど、あんた可愛いかっこすればするほど目離したらナンパされてるから素直に喜べないんだよ!こっちが毎回どんだけハラハラしてるか』
勝利が、いや莉子が、と続いた攻防は、ふとした言葉の切れ目にポツリと挟み込まれた
「わー…わたし、バカップルの会話を生で聞いたの初めて…」
というひよりの言葉で、両者とも我に返って赤面したことによって幕を閉じた。
屈託ない台詞でわたしたちにトドメを刺したことにはおそらく気づかないまま、彼女はほんわかとした声で「紅茶、みんなぶん淹れ直してくるね」と言って階段を降りていった。
2人きりになって、沈黙が訪れる。
それを先に破ったのは、わたしの方だった。
「……もうやだ、勝利と一緒にいると、わたしがわたしじゃなくなって、やだ」
『………ほら、やっぱり言った』
ドアの向こうから、ため息が聞こえた。
きっと今、あの綺麗な眉根を寄せて、しかめ面をしているんだろう。
「……絶対わたしの方が好きなんだもん」
『だからそれは』
「そんなこと思う自分がすごく嫌なの」
服の裾を握りしめる。
「好きの気持ちを比べるなんて、そんな不毛なことして落ち込む自分が嫌なの。前の彼女と話してる勝利を見て、この子のことを好きだった気持ちとわたしのことを好きな気持ちのどっちが大きいんだろうって考えちゃう自分が嫌なの。そんなこと考えて、ぐじゃぐじゃになった顔を見せるのが嫌なの」
ぼたり、と大粒の水滴が、服の上に落ちた。
ふたつ、みっつと、その数は意に反して増えていく。
「……初めてだから、どれくらいの「好き」がちょうどいいのかわかんない」
よっつ。いつつ。
落ちていくそれを止めようと、力いっぱい目をつぶったとき、まぶたの裏が急に明るくなった。
『出てきてくれるの待とうと思ったけど、我慢できなかった』
ドアはいつのまにか開いていて、勝利がしゃがみこんで、こちらを覗き込んだ。
やだ、こんな顔、見せたくない。
慌てて顔を覆った腕は、彼によってそっと掴まれた。
『オレのことでぐちゃぐちゃになってる顔、ちゃんと見せて』
彼の手に、優しく腕を解かれる。
隠すものがなくなってしまったわたしの顔は、たぶん、不安と嫉妬と自己嫌悪と涙にまみれて相当ひどくて醜くなっていて、だけど彼はそんなわたしの顔を見て、嬉しそうに笑った。
『可愛い』
そんなわけあるか、と思ったけど、次々あふれる涙を、そのたび彼が唇ですくって、その温度が心地良くて、涙の熱と相まって溶けてしまいそうで、黙ってその感覚に身を委ねた。
『ねえ』
と、彼がコツンとおでこをくっつけて、囁く。
『どれくらいの「好き」がちょうどいいかなんて、考えなくていいよ。どうせオレのがずっと好きなんだから』
「………そんなのわかんないじゃん」
口を尖らせたわたしを、彼はフッと鼻で笑った。
『わかるよ。そもそも長さが違うから』
「長さ?」
『オレの方があんたのこと好きな期間がずっと長い』
フフンと自慢げな顔をする彼はやっぱり相当な負けず嫌いで、だけどそういえば、あのときも確か同じようなことを言っていた。
「いつ?」
『え?』
「告白したとき、“オレは最初から好きだった”って言ってたよね。最初っていつ?初めてデートしたとき?わたしが仮恋人を提案したとき?それとも聡ちゃんと帰るために教室に来てたとき?」
尋ねると、その顔はみるみる赤くなったあと、悔しそうな表情になって。
勝利、ともう一度呼びかけると、
『うるさ』
そう言って、重ねようとした言葉は、彼の唇に閉ざされてしまった。
〈boy’s side〉
「最初っていつ?」
純粋な疑問を浮かべた目に見つめられて、答えに窮した。
さっきまでオレを見てひんひん泣いてたのに、もうその目は別の興味を宿している。
まさか、彼女が別の男に恋に落ちていた瞬間に、隣で彼女に落ちていたなんて、そんなの言えるわけもなくて。
おまけにあっちは全然これっぽっちも覚えていないんだから、惨めにも程がある。
涙で縁取られた睫毛と、真っ赤になった鼻が、こちらを覗き込む。
ああ、もう。
結局今日も、彼女に振り回されてばかりだ。
数時間前の、カフェでのあの子との会話を思い出す。
“勝利、雰囲気変わったね”
“そう?”
“さっきテーブルに一緒に座ってた女の子、彼女?”
“うん、まあ”
“好きで好きでたまらないって顔してた”
“………まじ?”
“大マジ。……妬けちゃうな、わたしのときは一度もそんな顔してくれなかったのに”
“なんか、ごめん”
“謝んないでよ、ムカつくから。もう、やだなあ。こんな幸せそうな顔しちゃって。せいぜい彼女に振り回されなよ”
心配されなくても、もう、十分振り回されている。
それこそ、最初に出会った瞬間から、ずっと。
「しょうり?」
涙で甘く掠れた声に名前を呼ばれるだけで、こんなにも胸を締めつけられるのだから。
『うるさ』
もうこれ以上、心拍数を上げられないように、急いで彼女の唇を塞いだ。