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あの頃のぼくは、迫りくる未来から目を背けるように、焦りと、諦念と、そしてすこしの罪悪感を抱えながら、がむしゃらに今を楽しんでいた。


だけどあの日、夜の光に照らされた君の顔があまりに綺麗で、今が未来に続けばいいなんて、初めてそんなことを願ってしまった。


それが、どれだけ不誠実で無責任なことなのか、わかっていたはずなのに。







ぼくは今日も、暗い帰路をたどりながら、君のことを思います。














たとえば、青春が1冊の本になったとする。


青春を謳歌した人、謳歌できなかった人、爽やかな青春を送った人、苦い青春を送った人、人によってちがうから、もちろん本の厚さも装丁も、それぞれちがう。


きっと、菊池風磨の本は厚みがあって、ずっしりと重くて、パステルカラーの表紙に横文字のタイトルが刺繍で施されてあったりなんかして、ページ1枚1枚から懐かしい海の匂いがするだろう。


対してわたしは、本というよりはノートのような、薄くてペラペラで、表紙には無機質な文字でタイトルがプリントされたテープが貼られていて、少し湿気た匂いがする面白みのない本。


青春に優劣はないけど、格差は存在する。


でも、それは別にいい。


わたしは自分のカビ臭い本に納得しているから、それはいいのだ。


問題なのは。










『大問題だろそれ』



待ち合わせの公園のベンチで、菊池風磨が眉間にシワを寄せ、じろりとこちらを見上げる。



『なんっで浴衣じゃねーんだよ!!』



あれからほぼ毎日、菊池風磨にリベンジマッチを申し込まれ、放課後ゲーセンに通う日々が続くなか、昨日の夜いきなり「明日はゲーセンじゃなくて祭りいこーや」とラインが届いた。


土曜日だったしなんの予定もなかったから、言われた通りに待ち合わせ場所に行ったとたん、なぜかブチぎれられている、今。



「浴衣で来てなんて一言も言われてないし」


『だぁぁぁぁ!!そこは察するだろ!!男女2人!夏の夜!祭り!浴衣以外の答えがどこにあんだよ!!!』


「だって、あそぼうっていうから、ふつうにふつうの服で来るでしょ!」



あまりの言われように思わず言い返すと、それを聞いた菊池風磨が脱力したようにへなへなと座り込んだ。



『は、あそぼうって、おま、それはちがうだろ……しんっじらんねぇ………』


「ねー、もう行こ? わたしお腹すいたよ」



屋台から香ってくる美味しそうな匂いに、わたしの我慢は限界に達しそうだった。


のろのろと菊池風磨が立ち上がる。



『いや、わかった。学んだ。おまえは頭いいのに直球しかわかんねーんだもんな。理解してなかったオレが悪かったよ……』


「わけわかんないけど悪口言われてるのはわかったから、とりあえず屋台」


『ちょっとはオレのこと気にして?!?!』



わーわーわめく菊池風磨に、ほら行くよ、と声をかけ、わたしたちはお祭りへと繰り出した。











お好み焼きに、わたあめに、じゃがバター。


賑やかな雰囲気とあちこちからただよってくる匂いに、否が応でもテンションが上がる。



「わーベビーカステラある!」


『はいはい』


「いちごあめも!」


『おーおー』


「あ!あそこの焼きそば…!」



焼きそばの屋台にかけていこうとしたとき、前の人にぶつかってつまづく。



『っ…っと!!……あぶねー…』



とっさに菊池風磨が腕を掴んでくれて、転ばずにすんだ。


引き寄せられた力がびっくりするほど強かった。



「………ありがとう」


『ん、はしゃぎすぎ』



バクバクと心臓の音がうるさい。


やっぱ、ちゃんと男の子なんだよな。


まだ腕に残る感触を、そっと手で押さえる。


祭囃子が大きくなり、それと同時に人の通りも多くなってくる。


必然的に近くなる菊池風磨との距離。


さっきから何度か小指同士がぶつかって、心臓に悪い。



「わ」



すれ違う人をよけようとして、また菊池風磨との距離が近くなる。



ぶつかった一瞬、また触れた小指は、だけど今度はするりと捕まえられた。



少し骨ばって、だけどやわらかい菊池風磨の指。


お互い繋いだ小指を知らんぷりして、歩き続ける。


ゆるく繋がれた小指は、ほどこうと思えばたぶん簡単にほどけただろう。



本当は、すぐにほどくべきだった。


彼の青春がこちらに侵食してくる前に。



だけどわたしは、振り払うことも、握り返すこともできず、小指に力を込めてしまわないよう、なんの感情も汲み取られてしまわないよう、ただただそれだけに必死だった。



『お、焼きそば。食べる?』


「……うん」


『よしゃ』



ついっ、と小指を引かれて焼きそばの屋台の前まで連れていかれたその時。



「あれ、風磨じゃんー!」



突然聞こえた声に、慌ててパッと指を離す。


あれだけ離さなきゃ、と思っていた小指は、いとも簡単にほどけた。


菊池風磨は一瞬咎めるようにこちらを振り返ったけど、すぐに声の主たちの方に向き直った。


男女何人かの大所帯グループに囲まれて、彼はすぐに見えなくなる。



『お〜〜っ、久しぶり!中学の卒業式以来だっけ?』


「そうそう!風磨全然変わってないな!」


『お互いさまだろ』



盛り上がる会話に、なんとなくその場にいるのが息苦しくなって、そっと離れた。


一瞬で人に囲まれた菊池風磨。


ああ、こういうところだよな、と思ってしまう。


そのままふらふらと屋台の間を散歩して、屋台の通りから少し離れた河川敷に辿り着く。


ぼんやりと坂に腰を下ろして川を見つめる。



カビ臭いわたしの青春に、わたしは納得していた。


ただひとつ、想定外の問題が起こった。



わたしの本に菊池風磨が登場したこと。



わたしの薄っぺらい本の中に突然現れた彼は、いとも簡単にページを鮮やかな色で塗り尽くした。


無邪気に振るわれる強烈な色や文字たちは、毒みたいにわたしの青春を侵食して、覆い尽くす。


わたしの本の中で、その色たちはあまりに眩しくて、凶暴なまでに眩しすぎてしまって、他のページなんて霞んで、ぜんぶ菊池風磨で埋め尽くされてしまう。



でもきっと、菊池風磨はそうじゃない。



彼にとって、わたしとの出来事は分厚い本の中の1ページでしかない。


10年後、20年後。


わたしが「青春」で1番に思い出してしまうのは菊池風磨のことだけど、たぶん菊池風磨が1番に思い出すのはわたしのことじゃないだろう。



「青春」の塊みたいな彼と影でひっそり生活してたわたしでは、そんなのは当たり前だということは分かっているけど、やっぱりどこか納得いかなくて。


だってそれじゃああんまりにも不公平じゃないか。


唇をぎゅっと噛み締めて、ただただ、流れる川を眺めていた。



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