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神様なんて信じてないけど、もし居るとしたら相当意地が悪いと思う。
『ノート、提出してないのあと△△だけなんだけど』
野球部の声が遠くから聞こえる夕日が差し込んだ教室で、明日の課題を終わらせ帰ろうとしていたわたしに声をかけてきたのは、紛れもなく菊池風磨その人だった。
「……あ、ごめん」
動揺を隠すようにリュックからノートを急いで引っ張り出す。
「はい。……あ、」
手渡す直前で脳をかすめたのは、あのやたらと板書を消すのが早い教師だった。
しまった。そういえばあの部分の板書、まだ写し終えてなかった。
『どしたの』
ノートを受け取り損ねた手をそのままに、怪訝そうに菊池風磨が聞いてくる。
「まだノート取り終えてなかったところがあって」
ペラペラとノートをめくると、やっぱりその部分だけ空白のままだった。
「先にみんなの分提出しちゃっていいよ。わたし、あとで自分で持ってく」
『や、それくらいならすぐ書き終わるじゃん?しかも他の人のノートないと写せないっしょ。待つよ』
「でも…」
わたしの返事を聞かず、菊池風磨はすぐ前の席に座り、彼のノートを手渡してきた。
「………ありがと」
気まずさから、内心、先に出しといてくれた方が良かったのにと思いつつ、できるだけ早くこの時間を終わらせようとノートを受け取り、写し始める。
『見にくいとこあったら言って』
「…大丈夫」
実際、彼のノートは綺麗で見やすかった。
黙々と手を動かす。
シャーペンと紙のサラサラという摩擦音だけが教室に響いていた。
頭の上からやたら視線を感じる気がしたけど、気づかないふりをして、ただ文字を書き写すことに集中しようと努めた。
「……終わった。ありがと」
『ん』
ようやくこの空間から逃げられる。
自分と彼のノートを渡し、そそくさと帰る準備をするわたしは、だけど次に発された菊池風磨の声に凍りついた。
『△△さぁ、オレのこと嫌いでしょ』
なんで、と喉まで出かかった言葉を殺して、平静を装って震えないように声を絞り出す。
「………別に、そんなことないよ」
『や、あなた結構露骨に態度に出てるよ?』
軽く笑いながら、菊池風磨は続ける。
『別にいんだけどさ、そんな絡みないのになんでかなって気になって』
本当に1ミリもダメージを受けてないどうでも良さそうな声色と表情だった。
それが妙にイラついた。
なんでこっちだけ、こんなにビクついてないといけないんだ。
「…嫌いっていうか、苦手」
菊池風磨の目を真正面から見る。
どうせ夏期講習が終われば元の別々のクラスになるんだ。
しかも普段全く関わり合いのない上位カーストの人間。
わたしだって、別にどう思われたって痛くもかゆくもない。
「菊池風磨って、だって、星を食べてる感じするから」
『は?』
意表を突かれたように、菊池風磨は目を大きく見開いた。
「知らない? スーパーマリオ。スターで無敵状態になれるやつ。どんな攻撃も無効化して、おまけに触れるだけで相手をふっ飛ばす。わたしにとって菊池風磨ってそんな感じ。だからあんま近づきたくないの」
思っていることを繕わずそのまま吐き出した。
言葉をあれこれ考えて加工せずに、そのまま言えたのっていつぶりだろう。
爽快感とともに、さっきまでの妙なイラつきがさっぱり消えてしまい、同時に襲ってきたのは恥ずかしさだった。
わたしなんでこんなにムキになってるんだろう。
菊池風磨はなにも言わない。
沈黙に耐えきれず、それじゃ、ともごもご呟いてその場を立ち去ろうとしたわたしの頭上から響いてきたのは、笑い声だった。
見上げると、肩を震わせながら菊池風磨が笑っていた。
え、え、と訳がわからず立ちすくむ。
『……っ…たとえるのがマリオって……どんだけ手酷くディスられんのかと思ったらマリオ………秀才なのにマリオとかやるんだ、へえ…っ………てか星を食べてるって、スター取ることそんな風に表現するやつ初めて見たよ、やべーな、いいね、非常に、非常に言語センスがよろしい』
てっきり無関心に「ふーん」とか言われるものだと思っていたので、予想外の反応に意味がわからず、ただただ笑い続けてる菊池風磨を眺めていた。
意外と、笑うとふにゃっとした子どもっぽい顔。
いつも教室の隅から見えていた彼の笑顔が、目の前にあることが不思議だった。
『はぁ……っ、めちゃくちゃ笑ったわ』
一息ついて、また思い出したようにくつくつと笑いはじめる。
『無敵かー、そんなふうに見えんだ、オレ』
いいね、無敵無敵。
ボソボソと繰り返され、羞恥心が限界に達し、いたたまれなくなる。
あんなこと、言うんじゃなかった。
「…もう、帰ります……」
今度こそ帰ろうとリュックを背負うと、
『あ、ちょい待ち』
と引き止められた。
振り返ると、なにやらカバンの中をごそごそとかき回している。
しばらくすると、あった、という声が聞こえた。
『手、出して』
言われるまま手を出す。
『はい』
何かを手渡された、
とその感触を確かめる前に、ぎゅっと手に圧を感じる。
手を握られている、という認識は、数秒遅れてやってきた。
『ほら、全然触っても吹き飛ばされないっしょ』
悪戯っぽそうに笑いながら、一瞬キュッとまた力を込め、それから手が離される。
「……ん、ぜんぜん」
小さな声で返事をする。
ニヤッと笑いながら菊池風磨がノートを抱える。
『な、だからこれから仲良くしてよ』
んじゃ、また明日。
そう言って、菊池風磨はノートを提出しに教室を出て行った。
1人取り残された教室で、彼に握られた手をゆっくりと開く。
手の中にあったのは、星の形をした小さな飴だった。
夕日のせいで頰が熱い。
野球部はいつのまにか練習を終えたようで、もうその声は聞こえなくなっていた。
ぜんぜん。
ぜんぜん大丈夫じゃなかった。
“触っただけでふっ飛ばされる”
やられた。
あれだけ気をつけていたのに。
思いっきり吹き飛ばされた。
大事故だった。