番外編③ 生クリームは甘く
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今年のクリスマスは平日だった。
年末でお互い仕事がバタバタするだろうから、とクリスマスの前倒しを提案してきたのは向こうの方だった。
「だってわたしも風磨もその時期、土日でさえきっと仕事でしょ?バタバタするなかで焦ってクリスマスするよりも、2週間前倒ししてゆっくりクリスマスしよ」
その提案にオレは一も二もなく頷いた。
サバサバしたところのある彼女のことだから、「クリスマスなんてやってる暇ないし正月と一緒にお祝いすればよくない?」なんて言い出しかねない、と内心ヒヤヒヤしていた。彼女がオレとのクリスマスをきちんと考えてくれてることが単純に嬉しかった。
「クリスマスだからさ、お互いの願いごと、なんでも一個叶えあおうよ」
あ、エロいのは無しね!とがっつり釘を刺される。
エロくないお願いってなんだ?と本気で疑問に思ったけど、彼女が嬉しそうな顔をして「楽しみだな」なんてあまりにも可愛く言うものだから、その言葉は心にそっとしまった。
そして迎えた当日。
なぜかオレは生クリームと格闘していた。
クリスマスケーキを作ってほしい、という彼女のお願いを最初はどうにか突っぱねようとした。手先は器用な方だと思うけど、それでもケーキ作りは難易度が高すぎる。不恰好なものが出来上がるのは目に見えていた。
『買った方が絶対美味いって』
「わたしは風磨の手作りが食べたいの」
『オレ、男飯はよくつくるけどお菓子とか全然作ったことないし』
「だからいいんじゃん」
『いやなにが?』
「え〜〜おねがい………ダメ?」
じっとこちらを見つめる瞳に、拗ねるように軽く突き出された下唇。無自覚にやっているであろうその表情に、ウッと言葉がつまる。
オレはその顔にたまらなく弱いんだよ。
『……わかったよ』
結局惚れた方が負け、という言葉をこういうところで実感する。
だからこうして今、思い通りに滑らかに塗れない生クリームを前に四苦八苦しているというわけだ。
スポンジは何度か事前に練習したからきちんと膨らみ、綺麗な形に焼けた。だけど生クリームはうまくいかない。頭の中でははっきりと理想の形があるのに、目の前のケーキに塗られたクリームは、でこぼこしたり厚さが違ったりしていて、思い描いているそれとは程遠い。
なんとか完成させたクリスマスケーキは、やっぱり不恰好で、指先についた生クリームを舐めると、なんともいえない敗北の味がした。
出来上がったケーキを重い足取りで彼女のいるテーブルに運ぶと、わー!と歓声が上がった。
「すごい!ちゃんとクリスマスケーキ!」
『…デコレーションぐちゃぐちゃだけど』
「そんなの食べたら一緒だよ!風磨が一生懸命作ってくれたってことが嬉しいの」
フォローになっていないフォローに微妙にヘコんだけど、何枚も写真を撮ってにこにこしている彼女を見たら、まあいっか、と思えた。
「はやくたべよ!」
彼女は食べものを前にすると普段よりも子どもっぽくなる。フォークを持ってわくわくとした表情でこちらを見上げる彼女はとても可愛かったけど、その前にオレにはひとつやることがあった。
『ケーキ食べる前に、オレのお願い聞いてもらってい?』
「あ、そうだね、忘れてた。風磨のお願い、なに?」
尋ねる彼女に、後ろの袋から取り出したものを広げる。
『これ着て』
広げられた服を見て彼女が眉根を寄せてしかめ面になる。
「エロいのは無しって言った」
彼女は即座に拒否しようとしたけど、こちらもそう言われるのは織り込み済みだった。
『これ、うちの会社で企画主催した大型クリスマスイベントの衣装なんだけど。女子社員からも可愛いって好評だったし、お客さんも喜んで着てくれてたけど、そっか、〇〇からはエロい衣装って見えんのね……オレは普通に可愛い服だなってくらいしか思わなかったけど………〇〇にはエロく見えるんだ〜………ふーん………』
言葉に詰まったのは彼女の方だった。
エロいのは無し、と釘を刺されても、抜け道はいくらでもある。
オフショルミニの赤いワンピースは、街中でも着ている人をちらほら見かける、だけど普段パンツかロングスカートしか履かない〇〇にとっては露出度高めの、エロと非エロのギリギリのラインを攻めた服だった。
葛藤する彼女の頭の中が手に取るように分かって、口元がニヤつくのを必死でおさえる。
結局、根負けしたのは彼女だった。
「わかったよ…着るよ……」
弱々しく服を手に取って部屋に入り、しばらくして出てきた彼女は、赤いミニワンピースに身を包みながら、羞恥心で心が折れた顔をしていた。
『……似合うじゃん』
もーやだぁ…と彼女は真っ赤な顔をしてふてくされていたけど、露出度高めのその服は、いつもの服では見えない彼女の身体のラインを際立たせていて、綺麗な脚してるんだから普段からもっと出せばいいのに、という気持ちと、こんなの他の男に見せるのは妬ける、という気持ちで葛藤する。
無言でカメラを向けると、彼女はイヤイヤと首を振った。
「写真はやめて!」
『さっきオレの作ったケーキはさんざん撮ったくせに?』
「わたしとケーキは違うじゃん」
『どっちもあとで食うんだから一緒だろ』
「っ……!だっ…だれが上手いこと言えと……っ!」
食われるのは否定しないのな、と言うツッコミは、言ってしまえば本気で彼女が拗ねてしまいそうだったから口にはせず、かわりに彼女を何枚か写真に収めた。
『よし、ケーキ食うか』
スマホを下ろし席に着くと、うぅ…とまだ心が折れたままの彼女がのろのろと前に座った。
『ほら、食え食え』
ホールケーキをフォークで適当な大きさに割って、彼女の口まで運ぶ。開いた口にせっせとケーキを詰め込むと、彼女の頰はあっという間にハムスターのようにふくらんだ。
最初はしょげていた顔も、もぐもぐと口を動かすにつれてだんだんとほぐれていく。彼女が食べてる姿はなんだか小動物に似ていて癒される、というのは初めて会ったときからずっと変わらない。
「風磨ってさ、ほんと変わんないよね」
思っていることと同じ言葉を言われて、思わず彼女を見つめた。彼女は構わず、もぐもぐとケーキを食べながら続ける。
「覚えてる? 高校の時も、花火大会でもお祭りでもないのに、わたしに浴衣着てこいって言って、2人で浴衣デートしたこと。あのときも相当恥ずかしかったよ」
『ああ…覚えてるよ』
その言葉に、あの夏の日が鮮やかによみがえる。オレはどうしても〇〇の浴衣姿が見たくて、ゴネにゴネまくって浴衣を着てきてもらって。それなのに、いざ浴衣の彼女を見たら、あんまりに綺麗で、びっくりして最初言葉が出なかったんだっけ。
そうだ、その日のことは鮮明に思い出せる。
その日は、彼女の浴衣も、一緒に知らないメニューを注文した喫茶店も、楽しくて、楽しくて、あまりに楽しくて、悲しかった。
そして後悔した。
オレにはすぐそこに迫る終わりがずっと見えていたのに、なんて無責任なことをしてしまったんだろう、とそのとき初めてはっきりと自分の罪の重さを自覚した。
彼女の言葉に「ありがとう」と言ったのは、「ごめん」なんてこの場において最も無責任で意味のない言葉だと思ったから。
そして、あっという間に別れのときは来て、オレは何も言わず彼女を置いていって。本当は、オレがもう一度彼女の隣に戻る資格なんてないのはわかっていた。
だけど、それでもどうしても諦められなかった。諦めなくてよかったなんて、彼女のことを考えると軽々しく言えないけど、やっぱりいま目の前に彼女がいる現実が、どうしようもなく、いつでも新鮮に幸せだと思う。
こんな格好させられるってわかってたら高いアクセサリーでも追加でお願いすればよかった、なんてぶつくさ言いながら、ケーキを頬張ると幸せそうな顔をする彼女は、表情がころころ変わって見てるだけで楽しい。
この日常は奇跡の上で成り立ってるものなんだ、なんてガラにもなく本気で思って、そんな自分に苦笑した。
『〇〇ー、もーいっこだけお願いきいてくんない?』
「えーなに?エロいのは無しだよ?」
『結婚して』
ケーキを頰につめたまま固まってしまった彼女の右手から、フォークを抜き取る。
代わりにはめたダイヤのリングは、こっそり触って測ったからサイズが合うか少し心配だったけど、ぴったりと薬指に収まって安心した。
『高いアクセサリーお願いすればよかったって言ってたから、ちょーどよかったね』
膨らんだ頰のまま固まり続ける彼女をしばらく眺めていると、数十秒してから彼女はようやく飲み込むという行為を思い出したようだった。
そのまま彼女は何か言おうとしたけれど、結局口がパクパクと動いただけで、声を出すことを諦めたように、かわりにぽろぽろと涙を流した。
『オレのお願い、きいてくれんの? サンタさん』
そう言うと、彼女は泣きながら何度もうんうんと頷いた。
その様子に笑いながら、彼女から取ったフォークで、ずっと緊張して食べられていなかったケーキをようやく食べる。
自分で作ったケーキは甘すぎて、でもたまにはこんな甘いのも悪くない、と目の前ですんすん音を鳴らす赤い鼻を見ながら、そう思った。
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