番外編② つつみ、つつまれ
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ツイてない日は、たいてい朝からツイてない。
冷蔵庫から出した卵を床に落として割ってしまうし、前髪は真ん中でパックリ割れて直らない。
スマホをどこに置いたか忘れて遅刻しそうになるし、去年から同棲してる風磨とは、昨日のケンカを引きずってお互い一言も喋らず家を出た。
会社でもつまらないミスを連発して、仕事が終わったのは22時。
全部自分が招いたことだとわかってても、今日はなんだか世界がわたしに冷たい気がして落ち込む。
疲れた体を引きずり家のドアを開けると、もう23時を過ぎているのに部屋の中は暗いままだった。
────まだ風磨、帰ってきてないんだ。
この時間から自分のためだけに料理をする気にもなれず、かといってすぐお風呂に入る気力も湧かず、ずるずると服だけ着替える。
なんだか、すごく、つかれた。
ソファーに体を沈める。
大人になってからは、思春期の頃みたいに感情を大きく揺さぶられることなんてほとんどなくなった。
かわりに、誰もいない部屋の中、ソファーに疲れはてた体を預けて天井を眺めてるだけで、思考回路は簡単にドン底まで落ち込むし、なんの意味も持たない涙は、勝手に目尻から落ちていく。
────ああ、なんかほんとに無理だ。
冷蔵庫のモーター音だけが静かに響く。電気の明かりがやけに眩しい。時計の針はもう頂上を通り越した。
風磨はまだ、帰ってこない。
下へ下へと落ちていく思考回路はそのスピードを上げて、昔、何も言わずに去っていった彼の背中が頭の中を支配する。
やだ、ねえ、おいてかないで。
その時、ガチャン、と玄関でドアが開く音がした。
近づく足音に慌てて体を起こし、袖で目尻を拭く。
『…ただいま』
昨日からの喧嘩で、風磨は少し気まずそうに目を伏せながら、それでもその「ただいま」には和解の響きが含まれていて、知らない間にこわばっていた肩の力が抜けた。
「…おかえり」
精いっぱいいつものトーンを心がけたはずなのに、やっぱり彼は聡かった。
『…どした?』
こちらに近づき、首をかしげ覗き込む。
「なんでもない、……だいじょうぶ」
勝手に落ち込んで勝手に不安になって気づいたら泣いてました、なんて言えるわけがなく、誤魔化すようにぎこちなく口角を上げた。
彼はそれ以上聞いてくることはなく、ただ少し微笑むと、そのままわたしの足元にあぐらをかいて座って、自分の膝を指差した。
『ここ、くる?』
「…………いく」
のそのそとソファーからあぐらの上に移動し背中を預けると、後ろから回された彼の腕にわたしの体はすっぽりと収まった。
その体温に、張り詰めていた糸がほどけていく。
『なんかこれ、ちょっと感慨深いわ』
ふはっ、と後ろで小さく笑う声に「何が?」と尋ねると愉快そうに答える。
『高校のとき、話し始めた最初の頃は、警戒心丸出しの目でこっち見てたのに、今じゃまるっきり安心しきってオレに背中預けてくれるんだもん。懐かねーネコをようやく懐かせた気分』
「………なんかすごいバカにされてる気がするんだけど」
『なんでだよ、可愛いってことじゃん』
「ネコとおんなじレベルで可愛いって言われても」
ムスッとしたわたしを見て軽く笑い、風磨はわたしの耳元に口を近づける。
『大丈夫。オレが興奮すんのは〇〇だけだから』
「……っっ…ほんとへんったい……!!」
回された手の甲をぎゅっとつねると、『ごめんって!力任せにつねんのやめて、本気で痛い』と早めのギブが出た。
そのやりとりがなんだか面白くて、嬉しくて、おもわず笑ってしまう。
『うわこっわ、人を痛めつけて笑ってるよ。生粋のサディストじゃん…』
「そーゆーことじゃない、ただ幸せを噛み締めてたんです」
なんだそれ、と笑いながら、風磨はわたしの肩に顎を乗せ、『手ェ冷えきってんじゃん』と大きな手でわたしの手を包む。
彼が今ここにいること。
それがどれだけ特別で幸せなことなのか、考えるだけでいまだに泣きそうになってしまう。
「ねえ、どれだけ喧嘩しても、怒ってても、家にはぜったい帰ってきてね」
こぼれたわたしの呟きに、彼は腕の力を優しく強める。
『あたりまえじゃん。オレ帰れる場所ここしかないもん。まあ、怒り狂った〇〇に締め出されたりしなければの話だけど』
茶化すように悪戯っぽく笑う彼に、わたしの不安も恐怖も寂しさも、全部拭き取られていく。
やっぱりこの人のそばが1番好きだ。ずっとずっと隣にいたい。
「締め出すっていう選択肢、頭になかったわ……」
『いやその選択肢に可能性感じるのやめて?!』
笑い声は深い夜に溶けて、さっきまで冷たかった指先は、もうすっかり彼の温度になっていた。