最終話
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君がいなくなって、7回目の夏を迎えた。
「△△さん、××デザインさんから来月の特集についてお電話です」
「ありがとう」
ウェブマガジンの制作会社に入社して、3年目。
仕事にもようやく慣れ、後輩もできた。
「先輩〜〜!この間ご相談してた若手インタビュー企画、通りました〜〜!!」
「わ!やったじゃんおめでとう!!」
「先輩のおかげです〜!本当にありがとうございます!」
ひょこひょこと飛び跳ねて喜ぶ後輩を見て嬉しくなり、同時に、自分のことで精一杯だった新入社員の頃からわたしも成長したんだな、と感じる。
「企画は始まってからがまた大変だけど、頑張ってね。気引き締めて、でも困ったことあったらまたいつでも言って」
「ありがとうございます!」
スキップしそうな勢いで戻っていく後ろ姿に、思わず笑みがこぼれた。
素直でまっすぐな彼女は、見ているだけで微笑ましい。
希望とか勢いとか、そういうものをキラキラと放出させながら生きている気がする。
なんて、2歳しか違わないのに随分年寄りくさいことを考えてしまって、これも先輩という役目を担うようになったからなのかな、と苦笑した。
希望とか勢いとか、無敵さとか無鉄砲さとか。
2歳しか違わないけど、纏うきらめきの量は圧倒的に違って、少しだけ彼女が羨ましくなる。
「△△さーん、巻中記事のライターさんへの発注ってどうなってましたっけ」
「あ、今確認します!」
大きく伸びをして、目の前の仕事にとりかかった。
会社を出ると、初夏の匂いが鼻をかすめた。
この間まで桜が咲いていたと思ったのに、いつのまにかもう次の季節がすぐそこまでやってきていたらしい。
夏は、いつも少し苦手だ。
せっかく施した化粧もすぐに崩れてしまうし、汗でべたつくのも気持ち悪い。
それに、無意識に茶髪の人を目で追ってしまうから。
7年前の、夏休み明けの登校日。
朝のHRの時間になっても彼は学校に来ていなくて、怪訝に思ったわたしの耳に、すぐに噂は伝わってきた。
“菊池風磨が転校したらしいって”
何かの間違いだ、と最初は信じられなかったその噂も、何日経っても未読のままのラインに、噂が事実であると認めざるを得なかった。
彼の転校の理由を知っている人は誰一人いなかった。
誰にも、何も言わずに、本当に彼は消えてしまった。
彼がいないまま、夏が終わり、あっという間に時間は過ぎた。
わたしは、彼がいない高校で卒業式を迎え、そして大学に進学した。
わざわざ東京の大学を選んだのは、もちろん行きたい学科があるだとか、就職に有利だとか、いろいろな理由はあったけど、そんなのは結局後付けでしかなくて、1番は、人やモノにあふれる場所に行きたかったから。
あの街には、菊池風磨という人間を思い出させるものが多すぎた。
けれど、逃げるようにやってきた東京でも、この季節だけは、否応なしに毎年やってくる。
夜空を見上げると、ちょうどカシオペア座が綺麗に見えた。
君のいない夏は、いつまでも物足りない。
君がいなくて、寂しかった。かなしかった。
でも、7年が過ぎて、ほんとうのほんとうにかなしいのは、この寂しさがわたしからどんどん遠ざかってしまうことだった。
思い出せるうちはまだいい。
彼のことを無意識に考えてしまって、苦しくて、苦しくて、でもそれが何より彼がいた証で、その痛みが愛しかった。
だけど、時間は、わたしの意に反してその痛みを風化させていった。
その事実に最初は絶望したけれど、同時にどこかで安堵もしていた。
やっと、あの夏から解放される。
そう思ったのに。
鮮やかな痛みが鈍い疼きに変わっても、矛先を失った愛しさは宙ぶらりんのまま17歳の夏にとどまって、少女の形をして、静かに、わたしを見つめ続けた。
痛みとも、苦しさとも違う、まるでずっと取れないかさぶたのような。
ねえ、わたしは今24歳で、彼がどんな顔でわたしに笑いかけて、どんな手つきでわたしに触れていたのか、もうはっきりとは思い出せないんだよ。
悲しいけど、でもそれが、前に進むということでしょう?
何度そう言い聞かせても、17歳の彼女は、反抗するでも責めるでもなく、ただじっと、あの夏からこちらを見ている。
「終わった〜〜〜〜!!!」
時計の針は定時5分前を指していた。
先週は残業続きだったから、今日こそは早く帰ろう、と朝から固く決意していた。
やればできるじゃん、わたし。
心の中で自分を存分に褒めながら、帰ったら何をしようか、と胸を躍らせながら帰宅準備をする。
「あ、先輩もう帰られるんですか?」
「うん!今日の分の仕事片付けたから。あれ、なんかわたしに用事でもあった?」
首をかしげると、彼女は言いづらそうにもじもじとしている。
「あのぉ……この間言ってた企画あったじゃないですかぁ……」
「ああ、今日インタビュー行ってきたんだっけ。何か問題でもあった?」
「いえ、インタビュー自体は至極順調に進んだんですけどぉ……」
「ん?どうしたの?」
「え〜〜とぉ………」
彼女はしばらく目を泳がせ逡巡したあと、「やっぱりいいです!」と自分の席に逃げ帰った。
「え?なに、気になるじゃん」
そう言っても、「ごめんなさ〜〜い」と彼女は首を振り続ける。
一体なんなんだ、と気になりはしたけど、せっかくの定時上がりがもったいなくて、わたしもそれ以上問い詰めることはせず、
「そう?じゃあほんとになんか困ったときは言ってね?」
と声をかけて、フロアをあとにした。
エレベーターホールを抜け、会社を一歩出ると、先週よりも初夏の匂いが濃くなっているのを感じた。
日が長くなって、まだ夕日は沈みきっていない。
とりあえずスーパーでお酒とおつまみを買って、溜めてた録画を消化しよう。
足取り軽く帰路につこうとしたとき、後ろから声がした。
『〇〇』
嘘、だ。
それは聞こえるはずのない声だった。
『………ひさしぶり』
それは、7年前の声のはずで。
声の主は、身体が固まって棒立ちになっているわたしの前に立つ。
西日を背負い、彼の影がわたしに落ちる。
『……よ』
あの頃よりも少し背の伸びた風磨が、申し訳なさそうに口の端だけで笑みを作って、小さく手を上げた。