第29章
夢小説設定
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またお会いしましょう――。
エレンは、窓枠の縁に立っていた。 下から吹き上げる風がその衣をふわりとなびかせ、さらさらとこすれた音を立てている。眼下に広がるのは、吸い込まれそうなほどの高さと、漆黒の闇。
普通なら足がすくむはずのその場所で、その人の背中は驚くほど静かだった。迷いはない。ただ、見据える先にある「何か」だけを捉えているよう。
一瞬、風が止まった。 エレンは深く息を吸い込む。
なにをしようとしているのか理解した瞬間、キシュワードは窓際にこれ以上ないくらい全力で窓際へ駆けた。
「――っエレンっ!!」
『――っ!!』
伸ばした手がエレンのローブの裾を、掴みかけた。
掴みかけて、裾を掠めた。
窓枠を力強く蹴り上げた身体は重力に逆らうように体が宙へ浮き、次の瞬間、放物線を描いて虚空へと投げ出される。 “落ちる”のではない。自らの意志で“翔けた”のだ。
青白い月光をその身に受けたシルエットは、なびくローブがまるで巨大な鳥が翼を広げたかのように見えた。一瞬、時間が止まったような錯覚に陥る。空中で静止したかのようなその姿は、この世で最も自由な存在に見えた。
窓枠という額縁からその姿が消えた後も、キシュワードの目にはその勇猛な跳躍の残像が焼き付いて離れない。 遅れてやってくるのは、エレンが塔から飛び降りたという事実を理解させる空気を切り裂く風の音。そして――。
しゅるしゅると眼下から聞こえた不思議な音。
なにかと思い、視線を下に向けると窓枠から伸びる一本の縄。それを目で追うとその先を握りしめているのはエレン。
なんと縄一本でこの塔から飛び降りたのだ。恐らくナルサスの仕業に違いない。それでもそれを実行する辺り大した度胸の持ちだ。
ヘタをすれば大怪我になりかねない。
「…。」
あとに残されたのは、ただ呆然と立ち尽くす自分と、先ほどまでそこにあった熱量だけ。恐怖よりも先に、胸を突くような高揚感と畏怖がこみ上げてくる。しかしいつまでもぼうっと立っているわけにはいかない。エレンが無事、地に足を着きキシュワードに向かって手を大きく振り、無事を知らせる姿を確認したタイミングでキシュワードは目一杯息を吸って声を張り上げた。
「王女殿下がお逃げあそばされたー!!兵たちよ、殿下をお止めせよ!!」
近くを巡回している兵に向かって叫んだキシュワード。
その声に城内が一気にざわめき立つ。
エレンが塔から脱出したことは部屋で待機していたナルサス、ダリューンの耳にも届き。
来た――!。
待ってましたかのようにようやく彼らが大きく動き出す。
一方で、城壁を一気に駆け回るエレン。その足は迷うことなく西の城門に向かって全速力。
『(やばっ!)』
早くここから立ち去れねば、今度こそ地下牢に閉じ込めかねない。
動きにくいローブの裾を持ち上げて必死に城壁を駆け抜けた。
しかしさすがペシャワール城の兵たち。主の号令に迅速に行動し、気づけば遠くの方から多くの兵士がエレンを追って迫っていた。
その中にはイスファーンも姿も。
エレンがアルフィーネ王女であることもまだ受け止めきれていないというのに、そんな間もなく今度はその渦中の人が逃げ出すという珍事。一体どうすればよいのか、と悩みながらもキシュワードの号令に反応し、まっさきにエレンの後を追う。
「エレオノール殿…、いえ、アルフィーネ殿下っ。」
『―!イスファーン卿っ。』
西の城門へ向かう道で立ちふさがるイスファーン。
追い詰められたエレンは立ち止まるしかなく。気づけば前も後ろも兵士に囲まれていた。残す道は城壁の向こう。…つまり堀だ。
じりじりと迫る兵士に背中が城壁の壁に着く。
「アルフィーネ殿下…、どうかお戻りください。」
『…。いいえ、イスファーン卿。どうかこのまま私をアルスラーン殿下の元へ行かせてください。』
「それは…、出来ませぬ。国王陛下のご命令です。あなたはここに留まらなくてはなりません。どうか陛下の元へお戻りください。」
『…。』
ぐっと両手を握りしめた。
彼とてこのようなことは言いたくないのだろう。言葉と表情が一致しないのがわかる。だが彼も国王陛下の忠実な臣下。王の命令は絶対だ。逆らうことなど出来るはずもなく。
『私が国王陛下の元へ戻ればどうなるか…。分かっていてそのようなことを仰るのですか?』
「…そ、れはっ…。」
言い返せず言葉に詰まるイスファーン。彼にこんなことを言っても仕方ないとわかっている。彼はただ命令に従っているだけだ。
それでも愚痴のような言葉が出るのを止められない。
『わかっています。こんなこと、イスファーン卿に申し上げても仕方のないことだと…。ごめんなさい。…どうか、このペシャワール城の皆のことよろしくお願いします。キシュワード様の助けになって差し上げてください。』
「アルフィーネ殿下…。」
まるでここでお別れのようなエレンのセリフ。しかしこの四方を兵士で囲まれた状況を一体どう打開するのかイスファーンには想像もつかない。ともあれ彼女を連れ戻さなくては、と一歩踏み出した。
瞬間、エレンはまるで重力を感じさせない動きで城壁の壁へ登る。
ふわりとローブの裾が風になびいた。
「え――…。」
イスファーンが状況を理解したときには、エレンの身体はゆっくりと傾き、漆黒の空間へと消えようとしていた。
その先は、堀――。
なびくローブを掴もうと手を伸ばすもさらりとかわされるように空気を掴んだだけの手。風を切る音と共に数秒後、ドボーン…と水に落ちる音が城内を駆け巡る。
慌ててその下を覗き込むが、もちろん暗闇なので無事かどうかさえ確認できない。堀を覗き込むイスファーンの元へ追いついたキシュワードが状況の説明を求めた。
「アルフィーネ殿下が、堀に…っ!」
「何っ!?今すぐ王女殿下をお救い申し上げるのだ!」
「はっ!」
キシュワードの命に兵士数名が急ぎ、城門の堀へと駆けつけるがそう簡単には見つからないだろうと心の中で呟く。
突然、王女として担ぎ上げられることになったが、その数時間前までは先騎長格の称号を得た女性だ。見つけられたとしても、簡単に突破してしまうだろう。
そんなことを考えていると、今度は別の場所から騒動が起きる。
「火事だー!!」
「今度は何事だ!」
「ご、ご報告いたします!厩舎小屋から火の手が!」
「何!?」
馬小屋から突然、火が上がったという兵士。
まるでエレンの脱走のタイミングを見計らっていたかのように起きる火事にまさかあの状況でここまで策を考えていようとは。
恐ろしい男だ、とナルサスの顔を浮かべたキシュワードであった。
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