第29章
夢小説設定
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静寂が支配する閲兵の間で、彼女の玲瓏な声はよく響いた。
『私はパルスという国を愛しております。⋯従って、ルシタニアを手引したなどという妄言はお控えくださいませ。しかしながら陛下のお膝元ではどうやら私はお役に立てませぬ。ゆえに私は自らの意思でここを出て行きます。どうかそのように。』
ペシャワールを出ていく。そうはっきり発言したエレンに周囲はもちろんキシュワードも驚きを隠せず。
黙って聞いていた陛下も、ずいぶん自由なことを申す姪に我慢の限界が来たのか、立ち上がり腰に差した剣を抜いた。さらに驚く諸卿ら。
まずいっ。咄嗟に感じたキシュワードであったがここからでは距離が離れすぎている。⋯間に合わない。
スラ⋯ッと抜かれた剣先をエレンの首元に狙いを定めて振るわれた。
誰もがぐっと目をつぶった。首を斬られる、と。
しかし寸前でぴたりと止まった剣はすこしだけエレンの首の皮を掠り、スー⋯と赤い筋が首元をつたう。
剣を向けられてもなお、怯むことなく目線をアンドラゴラスから外そうとしないその剛気さにふっと笑うが、その威圧感でエレンを圧倒させる。
しかしエレンも負けてはいない。肩に重くのしかかるような威圧感を押し返そうと意地を見せる。ビリビリと空気が震えるようだ。
『⋯なぜ、お止めになったのですか?いっそのことこの首を斬ってしまえばおよろしい。⋯あぁ、いまここでそうすれば十七年前の事を決定付けてしまうからでしょうか?』
「知った口を聞くでない。次は望み通りその首を切り落としてやってもよいのだぞ。」
『口を慎みなさい!無礼者!』
――っっ!!
噴火を直前に控えた火山の地鳴りのようだ。
平穏を装う仮面の下で、温度が急激に上がりだす。 心臓の鼓動は早まり、指先は微かに震え、奥歯が自然と噛み締められる。
激昂してみせたエレンにその怖いもの知らずな発言は周りをひやひやさせる。本当に首を斬り落とされかねない、と。
『叔父上は⋯私が何も思っていないとお考えですか!お生憎様ですが叔父上、私は理不尽を許してはおりませぬ!』
皮肉めいた言葉を浴びせるエレン。しかしその裏腹、何故か涙が込み上げてくるのだ。そして握りしめた両手の拳から血が数敵、流れ落ちる。食い込んだ爪が皮膚を破いたのだろう。痛みからか、悔しさからか。震える手はアンドラゴラスに対して恐怖を感じながらも決して怯まないと自分を叱咤しているように見えた。
『私は先王オスロエスの子・アルフィーネ!たとえ救われなかった父と兄が叔父上を許そうとも、私は決して許しはしません!』
始まりの、その一滴は波紋を広げるだけだった。
波立たせぬよう自分の中に眠る怒りを、憤りを決して荒立てぬように。しかし次第にその波紋は荒々しさを見せ、水底に沈んでいた古い泥を巻き上げ始めた。かつて目を瞑った過去の記憶、飲み込んできた不満、それらが一斉に目を覚まし、水面下で渦を巻き始める。
理性が「落ち着け」と囁く。
しかし、その声はすでに遠く。熱を帯びた感情の濁流にかき消されていく。 視界は徐々に狭まり、世界が不自然なほど鮮明な「赤」に染まっていく。――もう、後戻りはできない。
黙り込むアンドラゴラス陛下。沈黙は重苦しい圧力となって周囲を威圧する。
今のエレンはすべてをなぎ倒さなければ気が済まない、荒れ狂う嵐そのものだ。自分の身に起きた理不尽を抑えきれず、怒りの炎は天を焦がすほどに燃え上がる。
「それほどまでに死を望むのなら、願い通り今すぐ兄王の元へ送ってやろう!!」
『――っ!!』
天高く振りかざした剣に今度こそ斬り捨てられる。と本気でそう感じた。でもそれでもいい。言いたいことは言ったのだ。十七年間、溜まりに溜まった怒りや義憤を。いつかは言ってやりたい、と心の奥底で願っていた言葉を。
自分を傷つけた世界への復讐心だけが、唯一の生命力だった。熱く、激しく、そして恐ろしいほどに純粋な破壊のエネルギー。
パルス王家を終わらせるという私の復讐。
私にとってパルス王室はまるで牢獄だ。アンドラゴラスが作り上げた牢獄。
振り下ろさせる剣にぐっと目を瞑る。
するとその直前で、二人の間に割って入ってきたのはまさかのアルスラーン殿下だった。
「そこをどかぬか、アルスラーン!」
「父上!どうか剣をお引きくださませ!いとこ殿は私を幼い頃からいつも支えてくれた方でございます!ご自身も辛い境遇を抱えながら私を守ってくださいます。アトロパテネで敗戦後もエクバターナより負傷しながらも私の身を案じ、駆けつけてくださったのです!」
『殿下⋯っ。どうかお引きくださいませ。危険でございます。私でしたら大丈夫でございますからっ。』
「いいえ。引き下がれません!父上、私が必ず五万の兵を集めてご覧にいれますゆえ、これ以上いとこ殿の⋯アルフィーネ殿への手出しは無用に願います!」
これ以上手を出すな、とはっきりとアルスラーンは父である陛下に申し上げたのだ。半年前の彼からは想像も出来なかったことだ。
いつも父の顔色を伺っていた彼が。父に対して初めて意義を唱えたのである。
その眼差しに以前と彼と違うと悟ったアンドラゴラス陛下。
振りかざしたままの剣をゆっくりと地面に下ろした。
それを見た周囲の者たちはようやく息をすることを許されたかのようにほっと息を吐く。知らず知らず呼吸を止めていたようだ。
嵐が去った後のように、耳が痛くなるほどの静寂が訪れる。
誰もが口を開けない空間で、今度はアルスラーンを見下ろす陛下。
エレンは燃え尽きた情熱の跡の黒く焦げた言葉の残骸のような感情が押し寄せていた。先ほどまでの熱狂が嘘のように、体温は急激に下がり、代わりに重い「虚脱感」と「後悔」という名の雨が降り始める。
そこでようやくアンドラゴラス陛下が口を開く。
「
『――っ。』
「はい、父上。感謝の言葉もございません。」
「ではお前は早く出立せよ。⋯兵よ、この者を塔の上にでも閉じ込めておけ。何人たりとも近づくこと叶わぬ。」
兵士らは遠慮がちにエレンの元へ来て、どうぞこちらへと誘導するのを逆らうことなく静かにその場を立ち去っていく。その後ろ姿をナルサス、ダリューン、キシュワードらが心配そうに見守っていた。
イスファーンやトゥースは親しく接していた彼女がまさか、アルフィーネ王女殿下だとは夢にも思わなかった。
どこか気品溢れる女性とは思っていたが。その事実が一気に彼女との距離を広がったように感じた。
クバードもあの跳ね返り娘が先王オスロエス王の娘⋯すなわちヒルメス王子の妹だどは想像もしなかった。⋯さて、養父であるサームはこのことを知っているのだろうか⋯。
「(いや⋯。あの様子では知らぬ方が自然だな⋯。)」
恐らくエレン自身がずっと隠し通してきたのだろう。
知らぬ方が迷惑をかけないだろうと⋯。
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