文豪とアルケミスト

「では、行ってくるのだよ。」
「はい…気を付けてくださいね、先生…」
「萩原くんのこと、頼んだよ。」
「もちろんです!」

「じゃあ、行ってくるね。」
「おう!どこ行くか知らねぇけど気を付けて行って来いよ!」
「神父が必要になったら早めに呼べよ。」
「は?どういうことだ?」
「北原くんにあまり迷惑かけないようにね。」
「…あまり長居はするな。」
「わかってるよ。帰ってきて何かあったら教えてね。」
「お前こそな。」

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「…行き先、聞かないんだね。」
電車に揺られ窓の外を眺めていると隣の席に座っている藤村さんが声をかけてきた。
「ふふ、着くまでの楽しみじゃなかったんですか?」
「そう、だけど。」
「藤村さんなら変なところへ連れて行かないと思っていますので。」
「…そう思ってくれているなら、なによりだよ。」
『次は○○駅~○○駅~』
「降りるよ。」
「はい。」

電車を降りて駅から出ると自然的な穏やかな街に出た。
用意された宿泊先へ連れていかれ荷物を置く。
部屋は和室でそれほど広くはなかったが男二人で泊まるには充分なものだった。
それにこの部屋に籠ったイグサの香りがすごく落ち着く。
「目的地に行く前に少し休憩しようか。」
そう言いながら窓を開けて畳に座って手帳とペンを出す藤村さん。
僕はそれにならうように窓枠に体重を少し預け袖口からタバコとマッチを取り出した。
窓から落ちないよう身を乗り出せば若草の香りが鼻孔をくすぐる。
「よくこんないいところ見つけましたね。」
タバコに火をつけて咥える。袖口に煙草の箱とマッチを仕舞いそのまま携帯用の灰皿を取り出した。
「気に入ってもらえた?」
「はい、とても。」
「それはよかった。」
くすりと藤村さんが笑う声が聞こえてこの人も自分と同じような気持ちだと感じた。
タバコの煙が外へ流れる。煙で目線を追えば森の方へ消えていった。
「吸い終わったら出ようか。」
「はい。」
「…そんなにその風景が気に入った?」
「…はい。」
「ふぅん。」
畳と布が擦れる音がする。首を動かして音のする方に顔を向けた。
「藤村さん。」
「…」
すぐ近くに藤村さんの顔が寄せられる。タバコを灰皿の中で潰せば、彼の頭が肩の方へ落ちてきた。
「!…藤村さん、どうしたんですか…?」
「ん…うんん、なんでもなくなった、かな。」
「?」
するりと藤村さんが僕の頬を撫でるとどこか満足そうな表情で顔をあげる。
「うん、本当に気にしないでいいよ。」
そう言いながらゆっくり離れるのが少し名残惜しい。
「…またあとでね。」
「…えっ」
「名残惜しいって顔に書いてあるよ。」
「うっ」
「はは、林檎みたい。」

冷茶の入ったペットボトルを握りしめて山を歩く。
暑さが落ち着いた季節とはいえこんなに歩くとは思わなかった。
「大丈夫?」
「まぁ、なんとか…」
「あともう少しだから頑張って。」
「はい…」
ふぅふぅと息を吐きながら藤村さんについていく。
体力には自信があったのだけど…久々の山道は堪えるみたいだ。
「…着いたよ。」
「へ、」
藤村さんの声に顔を上げてみればそこはどこか懐かしさを帯びた教会だった。
「藤村さん、」
「入るよ。おいで。」
「あっ」
扉をゆっくり開ける藤村さん。その後ろ姿に置いていかれないように追いかけた。

中に入るとステンドグラスが眩しくて、手を日傘のように瞼の上へあてがう。
「あの、藤村さん…」
「…きみは覚えてる?僕ときみが初めて出逢った場所のこと。あの時も教会だったね。」
「…もし、かして、」
「その反応、覚えてるってことでいいかな。」
「はい、もちろんです…貴方の方こそ、覚えてくださっていたのですね。」
「うん。君との初めて出逢った時のことだから、忘れられないよ。」
優しく手を取られてゆっくり主祭壇の方へ連れていかれる。
「あの、これ、」
「僕は、君の父親役にはならないよ。」
祭壇の方へ着くと向かい合わせになった。緑の瞳と視線がかち合う。
「ベールも神父もない。祝福のブーケもない。こんな結婚式でも許してくれる?」
「とうそん、さん、」
思ってもみないことで声が震える。
「…僕と今生はずっとそばにいてほしい。隆吉くん、結婚しよう。」
微かに震える彼らしくない掌に愛おしさを覚え、自分から両手で彼の手に触れる。
「はい、僕をずっとそばにおいてください。直樹さん、」
愛しています。あなたの作品も、あなたのことも。
そう続くはずだった文言は春樹さんの口の中へ溶けて消えた。


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