文豪とアルケミスト

今年の夏は随分と早い。
購買部では氷菓やラクトアイスなどのアイス類が飛ぶように売れていると店員が零していた。
軽くタバコや切れたインクを買いに来ただけの自分でもその様子がわかるほどアイスが入っている冷凍庫の前には仲間たちが群がっている。そのうえ、冷凍庫の方も見れば明らかに販売されているアイスの量が減っていた。
(そういえば、食堂の女性方もそろそろ夏メニューに変えようかと話しているのを聞いたな。)
ふと、それを思い出して情人の師匠である尾崎紅葉の顔を思い浮かべた。
(ああ、また去年のように夏目さんと一緒にお腹を壊されないよう森さんに言っておかないと。)
やるべきことが一つ消えたと思ったら、また湧き出てくる。
僕の悪い癖だ。これじゃあ、いつまでたっても秋声さんの元に帰れない。

「はぁ、」
ようやっと午前の用事を終えて息をつきながら部屋の扉を開ける。
帰ってきた自室は窓から差し込む日光に照らされて少しばかり暑かった。
「アイス、帰りに買ってきてもよかったかもしれない…」
「アイス、あるよ。」
「え?」
ぼそりと独り言を呟いたと思っていたらどうやら部屋に来客がいたらしく返事を返された。
返事の聞こえた方へ顔を向けると氷と麦茶が注がれたコップを二つ、ちゃぶ台の上へ載せている小柄な男性の姿が見えた。
「予想通りの時間に帰ってきたね。今日の僕は勘が冴えているかもしれない。」
「秋声さん…」
少し冗談めかすように言いながら笑う情人の姿に自分もつられて笑う。
「ほら、こっちに来なよ。」
手招きされてつかず離れずの距離に座る。
僕はたとえ二人っきりの部屋の中でも好きな人にくっつけるほど積極的ではない。それに秋声さんだって、こんな時期にくっつかれるのも迷惑だろう。
「お帰り、重治くん。とりあえずは水分とって、落ち着いて。」
「ただいま帰りました。はい、いただきます。」
秋声さんに勧められるがままにゆっくりと麦茶で喉を潤した。
冷たさが外に出て火照った身体を冷やす。
「よっぽど暑かったみたいだね。」
くすくす笑いながら話す秋声さんの声が聞こえる。
(よっぽど飲みっぷりがよかったのだろうか…少し恥ずかしいな…)
コップから口を離してそのまま机の上に置く。
「今日は新聞に真夏日だって書いてありましたから。」
とっさに発した自分の言葉が照れ隠しのような言い訳じみた言葉のように聞こえてますます恥ずかしくなる。
「それもそうだった。」
受け止められてそのまま言葉が流される。
どうやら言葉に隠した感情は読み取られていないようで安心したのもつかの間、ひんやりとした手が自分の頬にくっつけられる。
「しゅっ、せい、さん…!?」
驚きで声がひっくり返る。
「頬、熱いね。まだ暑いかな…」
秋声さんの方を見ると純粋に心配している様子でこちらを見ていた。
人騒がせな方だ。これじゃあ心臓がいくつあっても足りないかもしれない。
「アイス、もってくるよ。待っててくれるかい。」
「は、はい…」
返事を返すと頬から手が離れる。
「じゃあ行ってくるよ。」
その言葉のあと、軽いリップ音が額の上で柔らかい感触と共に鳴った。
「っ、」
驚きで固まる。
そのまま秋声さんは立ち上がってアイスを取りに行ってしまった。

やり逃げなんてひどい。ますます感じる温度が暑くなる、身体だって熱くなる。
思わずちゃぶ台の上に頭をのせうずくまった。
ちゃぶ台のひんやりとした感触は心地よかったが口づけされた額はずっと熱いままだ。
(こんなにあつくなるのは、全部暑い日のせいなんだ。熱に浮かれてしまうほどの真夏日がいけないんだ。)
恥ずかしさや照れで湧き出た感情を心の中で理不尽に暑さへ全部ぶつけながら秋声さんがアイスを持って戻ってくるのを待った。


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