オリーヴ
自分の大事な人が傷ついていると、なんとかしてでも元気づけてあげたいと思うものだ。
というのは、私が数年前に見た恋愛映画で、整った顔の男が微笑みながら放った台詞だ。両隣にいた友人こといい年したいたいけな少女たちは、小さくきゃあ、なんて歓声を上げた。一方私はもうほとんど無くなってしまったオレンジジュースをなんとか啜ろうと、行儀の悪い音を真顔で立てたのだった。両脇から小突かれた。
何が言いたいかと言うと、私はそれほどまでに恋愛、というか、愛に対して無頓着だったのだ。例え血を分けた家族であろうと、運命の恋人であろうと、目の前で泣かれたところでかわいそうと思うだけで元気づけてあげようとか抱き締めようとかそういう意思は沸いてこないと思った。そっちの方がよほど本人にとっては不快なのではないか? とも思った。
……いや、まあ、それまで恋人居たこと無かったけどね。
しかしその考えは大きな間違いであった。
それから数年後の今、目の前で私の愛する人が目に大粒の涙を溜めている。普段の彼女からすれば信じられない話である。私も信じられない。いつも気だるげな表情を浮かべて、感情を現したかと思えばヒステリックに叫び散らす。喜怒哀楽というよりは無怒無無みたいな感じの人間である。彼女は。
今日は相当疲れているようだった、私は帰ってきた彼女を風呂上がりのダサい風体で明るくいつものように出迎えたけど、その時の表情は、なんというか、無というより、虚無。ぼーっとしていて、おかえり、と言ってもええ、と返されるだけだった。まあいつも返事してくれないし、私は愚かにもちょっと喜んだ。今思えば本当に愚かだった。あほ。
時計の針は十二時を回っていた。私が半分食べたラザニアと温めたスープを出して、彼女に食べさせた。私もちょっとチーズをつまみながら、彼女と楽しく話していた。その時の彼女はいつもの彼女だった。すこしつまらなそうに、でも私の話を少しも溢さなかった。変だと思ったのは気のせいかな。きっと疲れているんだろうな。と思って、皿は私が下げるよ、と言うと、彼女は自分で下げられます。と冷たく言った。
ここまではテンプレ通りだったのだけど、聞きなれない悲鳴と破壊音に驚いて振り替えるとラザニアの入っていた皿が割れていた。すぐさまかけよって、大丈夫、怪我してない? と彼女の顔を覗き込んだ。そして、ぎょっとした、彼女は目に涙を溜めていたのだ。ここで冒頭に戻る。
ああ、ああ、ほんとにわるいこ、オリーヴ。
歌詞のように紡がれる言葉を理解しきれたのは、彼女が割れた皿に手を伸ばしていることに気づいた頃だった。
「うわあ! ちょ、ちょっと! だめ!!」
慌てて叫ぶと彼女はびくっと肩を揺らして、まるで叱られた子供のような目で私を見つめた。こんな、こんな顔も初めて見た。
理知的で合理的で機械のような彼女の弱いところを、私はある日突然ぶつけられたのである。自分の大事な人が傷ついていた、なんとかしてでも元気づけてあげたいと思った。破片が膝に刺さるのなんかどうでもよかった、足を使って彼女にすり寄って、急いで抱き締めた。一拍置いて、きつい抱擁と嗚咽。
小一時間くらいそうしていたと思う。一瞬だったかもしれない。
私が他人の体温にあてられて眠くなってきた頃に、彼女は急にぱっと離れて、すたすたとどこかへ行った。すぐに戻ってきた、掃除機とレジ袋を用意していたのだった。てきぱきと片付けをする彼女はもう、涙の影もなく、いつもの彼女に戻っていた。それから、幸い大きな破片しか刺さっていなかった私の膝を手当てして、珍しく一緒にベッドに入って、その時に、彼女は小さく呟いた。
「忘れなさい」
表情を伺おうとしても、そっぽを向かれてかなわなかった。
「なにを?」
「……覚えていないのならいいの」
「だから、なにを?」
「出来の悪い頭ね」
「うーん、出来が悪いのは私の頭じゃなくて…」
あれだ、出来が悪いのは私たちの甘え下手で甘やかし下手な恋心だ。そう聞こえるか聞こえないかの音量で呟けば、華奢な足から至近距離のキックをお見舞いされた。
というのは、私が数年前に見た恋愛映画で、整った顔の男が微笑みながら放った台詞だ。両隣にいた友人こといい年したいたいけな少女たちは、小さくきゃあ、なんて歓声を上げた。一方私はもうほとんど無くなってしまったオレンジジュースをなんとか啜ろうと、行儀の悪い音を真顔で立てたのだった。両脇から小突かれた。
何が言いたいかと言うと、私はそれほどまでに恋愛、というか、愛に対して無頓着だったのだ。例え血を分けた家族であろうと、運命の恋人であろうと、目の前で泣かれたところでかわいそうと思うだけで元気づけてあげようとか抱き締めようとかそういう意思は沸いてこないと思った。そっちの方がよほど本人にとっては不快なのではないか? とも思った。
……いや、まあ、それまで恋人居たこと無かったけどね。
しかしその考えは大きな間違いであった。
それから数年後の今、目の前で私の愛する人が目に大粒の涙を溜めている。普段の彼女からすれば信じられない話である。私も信じられない。いつも気だるげな表情を浮かべて、感情を現したかと思えばヒステリックに叫び散らす。喜怒哀楽というよりは無怒無無みたいな感じの人間である。彼女は。
今日は相当疲れているようだった、私は帰ってきた彼女を風呂上がりのダサい風体で明るくいつものように出迎えたけど、その時の表情は、なんというか、無というより、虚無。ぼーっとしていて、おかえり、と言ってもええ、と返されるだけだった。まあいつも返事してくれないし、私は愚かにもちょっと喜んだ。今思えば本当に愚かだった。あほ。
時計の針は十二時を回っていた。私が半分食べたラザニアと温めたスープを出して、彼女に食べさせた。私もちょっとチーズをつまみながら、彼女と楽しく話していた。その時の彼女はいつもの彼女だった。すこしつまらなそうに、でも私の話を少しも溢さなかった。変だと思ったのは気のせいかな。きっと疲れているんだろうな。と思って、皿は私が下げるよ、と言うと、彼女は自分で下げられます。と冷たく言った。
ここまではテンプレ通りだったのだけど、聞きなれない悲鳴と破壊音に驚いて振り替えるとラザニアの入っていた皿が割れていた。すぐさまかけよって、大丈夫、怪我してない? と彼女の顔を覗き込んだ。そして、ぎょっとした、彼女は目に涙を溜めていたのだ。ここで冒頭に戻る。
ああ、ああ、ほんとにわるいこ、オリーヴ。
歌詞のように紡がれる言葉を理解しきれたのは、彼女が割れた皿に手を伸ばしていることに気づいた頃だった。
「うわあ! ちょ、ちょっと! だめ!!」
慌てて叫ぶと彼女はびくっと肩を揺らして、まるで叱られた子供のような目で私を見つめた。こんな、こんな顔も初めて見た。
理知的で合理的で機械のような彼女の弱いところを、私はある日突然ぶつけられたのである。自分の大事な人が傷ついていた、なんとかしてでも元気づけてあげたいと思った。破片が膝に刺さるのなんかどうでもよかった、足を使って彼女にすり寄って、急いで抱き締めた。一拍置いて、きつい抱擁と嗚咽。
小一時間くらいそうしていたと思う。一瞬だったかもしれない。
私が他人の体温にあてられて眠くなってきた頃に、彼女は急にぱっと離れて、すたすたとどこかへ行った。すぐに戻ってきた、掃除機とレジ袋を用意していたのだった。てきぱきと片付けをする彼女はもう、涙の影もなく、いつもの彼女に戻っていた。それから、幸い大きな破片しか刺さっていなかった私の膝を手当てして、珍しく一緒にベッドに入って、その時に、彼女は小さく呟いた。
「忘れなさい」
表情を伺おうとしても、そっぽを向かれてかなわなかった。
「なにを?」
「……覚えていないのならいいの」
「だから、なにを?」
「出来の悪い頭ね」
「うーん、出来が悪いのは私の頭じゃなくて…」
あれだ、出来が悪いのは私たちの甘え下手で甘やかし下手な恋心だ。そう聞こえるか聞こえないかの音量で呟けば、華奢な足から至近距離のキックをお見舞いされた。