Lという名の男の話《前編》
ナスタシアが目を開けて見えたのは、何も無い、先程いた空間と変わり映えのない真っ暗な天井であった。
暗黒城の一室のベッドで横たえていたナスタシアはゆっくりと身体を起こす。
(結局何も出来なかった…)
考えていた目論見が全て外れ、ナスタシアは小さく溜息を吐く。
(あの男を伯爵様、そしてディメーンから遠ざけることはもう不可能。このままでは予言が完成されてしまう…)
彼女の考えていたこと。それは全て、彼女が忠誠を誓うノワール伯爵に起因していた。
ノワール伯爵が企てている全世界の崩壊計画。
計画が遂行されてしまえば、自分達はおろか発案者の伯爵でさえ何もかも消えてしまう。最愛の恋人を失くした彼の自暴自棄から生まれた恐ろしい計画であった。
それでも、少しでも彼の役に立てたらと、共に計画を進めてきた。だが、進めていくに連れて、彼の思い人が生きているかもしれないという話があがった。
このまま計画を進めてもいいのか…。
もし彼の思い人が生きていたのなら、このまま崩壊が進めば彼女も消えてしまう。小さかった不安の芽がどんどん大きくなっていく。
そして何よりナスタシアが恐れているのは、主人であり命の恩人であり憧れである伯爵が消えてしまうことであった。
彼の心を救えるのが私であれば良かったのに…
彼の思い人になれたら…と何度思ったことか、最早彼女でも分からない。
そんな思いを燻らせていた最中、突如ディメーンからもたらされたMr.L死亡の報告。
これは好機だと彼女は思った。
Mr.L…彼は黒の予言書に出てくる緑の男…に酷似した男をナスタシアが洗脳した姿である。
予言に大きく関わるとされる緑の男…。
その男を遠ざけることは計画に多少なりとも差し障りが生じ、崩壊までの猶予を延ばせれるのではないかと彼女は考えていた。
だが、予言の力は彼女の考えている以上に強力であった。
勇者一行が暗黒城に潜入してきたのである。
そしてそれに混じり、とても微弱な、覚えのある反応を察知した。それは死んだとされている、最もこの場に居てほしくなかった男の反応だった。
まさかと思い、自らの意識を飛ばしてみたところ、何もない真っ暗闇の中で何かの画面を観ながら一人ソファに座ってぶつぶつ呟いている男、Mr.Lがいたのだった。
ナスタシアは最初、何故この空間に出たのか分からず軽く動揺した。
それはこの空間がどんな所なのか、彼女は此処に来た時点で理解したからである。ここは忘れたい、覚える程でも無い情報や記憶を集め、時間をかけて消去していく所。所謂ゴミ箱である。
そんなゴミ箱の中に何故彼がいるのか、意味が分からなかった。
ナスタシアはとにかく何か情報が無いか自分の能力で探る。この空間に残された僅かな記憶を辿った末見えたのは、緑の男による"記憶を消されたくない"という強固な意思とその男によって無意識に創りだされた哀れな男だった。
(あの男…!もう一人の人格を使って私の超催眠術を回避したんだわ…!なんて忌々しい…!)
彼女の中で、己の超催眠術は百発百中、外すことなどなかった。そしてこの男にも術はかかっていた。
だが緑の男は余りにも強い拒絶からもう一人の人格を作り上げ自らは心の底に逃避するという、彼女の予想を遥かに超えたことをしてしまったのである。
どうやら新しく人格が形成されてもそれぞれの記憶が共有できるらしい(Mr.Lが観ている画面もきっとそれである)が、此処にいる間中ずっと気を失っており記憶の共有すらしなかった(記憶すら見るのを拒んだのか…!と、ナスタシアが思うほどの気絶っぷりだったとか)。
それ故にあの男は、洗脳されMr.Lになっていた記憶など無くのうのうと勇者の隣にいるのである。
そして身代わりとして創られた上記憶を無くし洗脳された哀れな男である彼は、あの男を洗脳から守るという役割を全うし今にも消えようとしているのだった。
無意識で自分の術が防がれたこと、自分の術をかけた、かつての仲間であった人格が今にも消えそうになっているという今までに無い衝撃的な出来事が、彼女のプライドを傷つけ無性に苛立たせていた。
(今からでも遅くない。もう一度あの男を洗脳し直してこの城から、いえ、伯爵様からも離れてもらおう。これ以上城の中を進まれては困る。そして、ディメーンからも…)
ディメーン。加入当初から何を考えているのか分からない不気味な男…と彼女はそう頭の中で印象付けていた。
そんな彼が伯爵の目を掻い潜って何かをしているというのはナスタシア自身も気付いていたが、中々証拠が見つからず未だ彼に追求出来ずにいた。
そして彼は突如Mr.Lが勇者達との交戦の末死亡したと報告してきたのである。
だが、その報告はでっち上げだった。
彼女がその事に気づいたのは、ここの記憶とMr.Lの記憶を覗いてみた時であった。
ディメーンはMr.Lを洗脳から解き放ち、元の緑の男としてアンダーランドに送ったのだ。その後に送った勇者達と合流できるように。
それは、モノノフ王国の破壊されてしまったピュアハートを直す為なのだろう。そして、白の予言書に書かれている"四人の勇者"を実現する為。勇者の弟である緑の男を四人目の勇者に据えたのだ。
その行動は伯爵の目的とは相反するものである。何故そんな事をするのかナスタシアは訳が分からなかった。
そんな訳の分からない男であるが、その男について彼女のわかる事は二つだけ。
奴は八つのピュアハートを獲得した四人の勇者と混沌のラブパワーと一体になった伯爵を戦わせようとしていること。
そしてそれは、伯爵にとって良くないことであろうことだ。
だから彼女は予言の鍵になる緑の男を二人から遠ざけたかった。
そんな思いからMr.Lに声をかけた。色々と不憫な彼をこんな所から出して一刻も早く彼らの前から去ってもらう為に。
だが、駄目だった。
色々と手遅れだったのだ。
彼は知ってしまった。
家族として愛していた兄がいることに。そしてその兄からもまた家族として兄弟として片割れとして愛情を一身に受けていたということに。
もう彼は、その愛情に溢れた記憶を手放すことはないのだろう。…そして奪われることも。
その事を、彼女は知ってしまった。
そして彼女も人を愛することを知っている。彼の為に世界を滅ぼそうとする位の深い愛情を。
かつて仲間であった男にその愛情の記憶を再び取り上げる程、彼女は無情にはなれなかった。
(まだ、何かできるはず…。私が、伯爵様の為にできること…)
ナスタシアはそう思いながら立ち上がり歩き出す。
この先は何があってもおかしくない。それは伯爵にも当てはまる。そして彼女自身にも。
彼女は歩くスピードを徐々に速める。
勇者達は今頃ドドンタス達と戦っている頃である。もしドドンタス達が負けてしまったら、後少しで伯爵の元についてしまう。急がなければならなかった。
(伯爵様…!)
いつの間にか黒い廊下をひたすらに走り、伯爵の元へ急ぐナスタシアであった。
つづく
暗黒城の一室のベッドで横たえていたナスタシアはゆっくりと身体を起こす。
(結局何も出来なかった…)
考えていた目論見が全て外れ、ナスタシアは小さく溜息を吐く。
(あの男を伯爵様、そしてディメーンから遠ざけることはもう不可能。このままでは予言が完成されてしまう…)
彼女の考えていたこと。それは全て、彼女が忠誠を誓うノワール伯爵に起因していた。
ノワール伯爵が企てている全世界の崩壊計画。
計画が遂行されてしまえば、自分達はおろか発案者の伯爵でさえ何もかも消えてしまう。最愛の恋人を失くした彼の自暴自棄から生まれた恐ろしい計画であった。
それでも、少しでも彼の役に立てたらと、共に計画を進めてきた。だが、進めていくに連れて、彼の思い人が生きているかもしれないという話があがった。
このまま計画を進めてもいいのか…。
もし彼の思い人が生きていたのなら、このまま崩壊が進めば彼女も消えてしまう。小さかった不安の芽がどんどん大きくなっていく。
そして何よりナスタシアが恐れているのは、主人であり命の恩人であり憧れである伯爵が消えてしまうことであった。
彼の心を救えるのが私であれば良かったのに…
彼の思い人になれたら…と何度思ったことか、最早彼女でも分からない。
そんな思いを燻らせていた最中、突如ディメーンからもたらされたMr.L死亡の報告。
これは好機だと彼女は思った。
Mr.L…彼は黒の予言書に出てくる緑の男…に酷似した男をナスタシアが洗脳した姿である。
予言に大きく関わるとされる緑の男…。
その男を遠ざけることは計画に多少なりとも差し障りが生じ、崩壊までの猶予を延ばせれるのではないかと彼女は考えていた。
だが、予言の力は彼女の考えている以上に強力であった。
勇者一行が暗黒城に潜入してきたのである。
そしてそれに混じり、とても微弱な、覚えのある反応を察知した。それは死んだとされている、最もこの場に居てほしくなかった男の反応だった。
まさかと思い、自らの意識を飛ばしてみたところ、何もない真っ暗闇の中で何かの画面を観ながら一人ソファに座ってぶつぶつ呟いている男、Mr.Lがいたのだった。
ナスタシアは最初、何故この空間に出たのか分からず軽く動揺した。
それはこの空間がどんな所なのか、彼女は此処に来た時点で理解したからである。ここは忘れたい、覚える程でも無い情報や記憶を集め、時間をかけて消去していく所。所謂ゴミ箱である。
そんなゴミ箱の中に何故彼がいるのか、意味が分からなかった。
ナスタシアはとにかく何か情報が無いか自分の能力で探る。この空間に残された僅かな記憶を辿った末見えたのは、緑の男による"記憶を消されたくない"という強固な意思とその男によって無意識に創りだされた哀れな男だった。
(あの男…!もう一人の人格を使って私の超催眠術を回避したんだわ…!なんて忌々しい…!)
彼女の中で、己の超催眠術は百発百中、外すことなどなかった。そしてこの男にも術はかかっていた。
だが緑の男は余りにも強い拒絶からもう一人の人格を作り上げ自らは心の底に逃避するという、彼女の予想を遥かに超えたことをしてしまったのである。
どうやら新しく人格が形成されてもそれぞれの記憶が共有できるらしい(Mr.Lが観ている画面もきっとそれである)が、此処にいる間中ずっと気を失っており記憶の共有すらしなかった(記憶すら見るのを拒んだのか…!と、ナスタシアが思うほどの気絶っぷりだったとか)。
それ故にあの男は、洗脳されMr.Lになっていた記憶など無くのうのうと勇者の隣にいるのである。
そして身代わりとして創られた上記憶を無くし洗脳された哀れな男である彼は、あの男を洗脳から守るという役割を全うし今にも消えようとしているのだった。
無意識で自分の術が防がれたこと、自分の術をかけた、かつての仲間であった人格が今にも消えそうになっているという今までに無い衝撃的な出来事が、彼女のプライドを傷つけ無性に苛立たせていた。
(今からでも遅くない。もう一度あの男を洗脳し直してこの城から、いえ、伯爵様からも離れてもらおう。これ以上城の中を進まれては困る。そして、ディメーンからも…)
ディメーン。加入当初から何を考えているのか分からない不気味な男…と彼女はそう頭の中で印象付けていた。
そんな彼が伯爵の目を掻い潜って何かをしているというのはナスタシア自身も気付いていたが、中々証拠が見つからず未だ彼に追求出来ずにいた。
そして彼は突如Mr.Lが勇者達との交戦の末死亡したと報告してきたのである。
だが、その報告はでっち上げだった。
彼女がその事に気づいたのは、ここの記憶とMr.Lの記憶を覗いてみた時であった。
ディメーンはMr.Lを洗脳から解き放ち、元の緑の男としてアンダーランドに送ったのだ。その後に送った勇者達と合流できるように。
それは、モノノフ王国の破壊されてしまったピュアハートを直す為なのだろう。そして、白の予言書に書かれている"四人の勇者"を実現する為。勇者の弟である緑の男を四人目の勇者に据えたのだ。
その行動は伯爵の目的とは相反するものである。何故そんな事をするのかナスタシアは訳が分からなかった。
そんな訳の分からない男であるが、その男について彼女のわかる事は二つだけ。
奴は八つのピュアハートを獲得した四人の勇者と混沌のラブパワーと一体になった伯爵を戦わせようとしていること。
そしてそれは、伯爵にとって良くないことであろうことだ。
だから彼女は予言の鍵になる緑の男を二人から遠ざけたかった。
そんな思いからMr.Lに声をかけた。色々と不憫な彼をこんな所から出して一刻も早く彼らの前から去ってもらう為に。
だが、駄目だった。
色々と手遅れだったのだ。
彼は知ってしまった。
家族として愛していた兄がいることに。そしてその兄からもまた家族として兄弟として片割れとして愛情を一身に受けていたということに。
もう彼は、その愛情に溢れた記憶を手放すことはないのだろう。…そして奪われることも。
その事を、彼女は知ってしまった。
そして彼女も人を愛することを知っている。彼の為に世界を滅ぼそうとする位の深い愛情を。
かつて仲間であった男にその愛情の記憶を再び取り上げる程、彼女は無情にはなれなかった。
(まだ、何かできるはず…。私が、伯爵様の為にできること…)
ナスタシアはそう思いながら立ち上がり歩き出す。
この先は何があってもおかしくない。それは伯爵にも当てはまる。そして彼女自身にも。
彼女は歩くスピードを徐々に速める。
勇者達は今頃ドドンタス達と戦っている頃である。もしドドンタス達が負けてしまったら、後少しで伯爵の元についてしまう。急がなければならなかった。
(伯爵様…!)
いつの間にか黒い廊下をひたすらに走り、伯爵の元へ急ぐナスタシアであった。
つづく