Lという名の男の話《後編》
「ご機嫌ようお父様。未だにその本と研究に囚われているだなんて可哀想なお方ですわね」
姉様が魔法陣の前にいる揺らめく幻影にそう話しかける。相変わらずの皮肉っぷりだった。揺らめく幻影も辛うじて人の形を保っているだけで父の面影なんて何も無い。でも『何とでも言え』という言い方と声に、やはり父なんだなという確信めいたものがった。
『これは人類の夢だ。ここで終わりにしていいものではない。分かったならここから去りなさい。それでもここを壊すというのなら…徹底的に抗戦するまでだ』
「あら、私達は元からそのつもりで来ましたのよ?何もしないで帰る程私達はお人好しではありませんわ。…という訳でお父様、永遠にお眠りあそばせ」
『…ふん、残念だ』
その父の言葉を皮切りにボク達は戦闘を開始した。
いやぁ、キツかったね。何せ父の攻撃がキツいのなんの。しかもこっちの攻撃通らないし、防戦一方だった。でも姉様が「お父様の魂は防御装置であるバリアに組み込まれている。だからまずは元のバリアを壊すのよ!」って教えてくれたお陰で父様の攻撃を掻い潜りながらバリアの耐久を下げていき、何とかバリアを破壊できた。
バリアを壊した時、あんなに止めろ!と煩かった父様が、『成長したんだな…。…すまなかった』と言いながら消えていった。ボクは何とも言えない気持ちになった。
きっと姉様もそう思っていたのだろう。「何よ、今更…」と呟いていたけどそれ以上何も言えなかった。
そして肝心の予言書はというと、今は全ての魔法陣や装置を壊した為か浮力を無くし、部屋の真ん中で無造作にページが開いた状態で落ちていた。
そのページをボクは、何気なく見てしまったのだ。
何て書いてあるか分からない文字を見た時、ボクの身体の中にとても邪悪で異質な魔力が入り込むのを感じた。そして、分かってしまったのだ。何て書いてあるのかを。その文字が読めるようになってしまった時思ったんだ。
この予言は、絶対に実現するって。予言の力は絶対だって。
そしてボクはその本に手を伸ばす。
何故か分からない。ただ、どうしてもその本をもっと見たい。その先を、未来を知りたい。そんな衝動に駆られていた。まるでその本に呼ばれているような、そんな衝動に。
だが、本まであと少しという所で、パシッと姉様に手を掴まれた。
「駄目よ触っちゃ。貴方は、本の所有者になんかなってはいけないわ」
そう優しく姉様は言った後、突然ボクを突き飛ばしたのだ。突然のことで驚いたボクは反応が遅れ、床に尻餅をついた。
姉様はその隙に黒の予言書を拾いあげた。そして姉様は予言書を天に掲げたのだ。
「大いなる力を秘めし黒き予言の書よ。今から私が所有者よ!さぁ!その力を!暗黒のページを私に示しなさい!」
その瞬間、黒の予言書は姉様の手から離れ浮かび上がり、夥しい量の黒い魔力が姉様に流れ込んでいくのが分かった。
「姉様!!」
ボクは姉様を呼び起きあがろうとしたけれど、黒い魔力の力の強さにボクは姉様に近づくことは愚か起き上がることすらできなかった。
「あーはははははははははははははははは!!」
予言書から魔力を吸収した姉様は狂った様に笑いだした。姉様の急な変わり様にボクは何も言えず戸惑うことしかできなかった。
「これが予言書の力…!凄いわ、あの男が手を出す訳よね。力が溢れてくるわ…!」
「姉様、どうして…!?」
ボクがそう言った時、姉様はボクの周りにバリアを張ったんだ。ボクは閉じ込められてしまった。
「姉様!?何故!?ここから出してよ!!」
「あははは…!私はこれから人間達を殺し回ってフェアリンを解放するわ!でも、その計画に貴方は邪魔なの。だからここにいて頂戴。私が死ぬまで」
ボクは焦ったよね。だって姉様は一人でけりを着けに行くって言うんだよ?ボクを置いて。
「そんな…!駄目だよ姉様!ボクも連れてって!お願いだよ!!姉様!!」
「何度も言うわ。貴方は足手まといだし邪魔なの。貴方に反逆者は似合わないわ。貴方なんか人を笑わす道化師がお似合いよ」
「…!?」
ボクは姉様の言葉にショックを受けた。
そんな、そんな事言わないでよ。ボクは姉様を笑わす為に道化師もどきになったんだよ…!全部全部姉様の為だったんだよ…!
「じゃあね、私が死んだら、せいぜい自分の好きに生きて好きに死んでいけば良いんだわ」
ボクはただただ悲しかった。ボクは、姉様といたかった。姉様には笑っていてほしかったんだ。
何で、何で姉様は一人で全部背負い込んでしまうんだよ…!なんでなんだよ…!!
「姉様!姉様ーーーー!!!」
ボクは泣きながらここから去っていく姉様を呼んだ。でも姉様は振り返ることなくこの部屋を出て行った。
それから姉様は二度とここに来ることはなかった。
何度戻ってきてほしいと思ったか。何度姉様のもとに行きたいと思ったか。
もう何度もバリアを壊そうとしたよ。ボクの渾身の攻撃魔法を何発も喰らわしたさ。でも全く壊れなかった。傷一つ付かなかったよ。それ程姉様の魔力は強大だった。
でもこのバリアは姉様の魔力でできている。つまりこのバリアがある限り姉様は生きているんだ。ボクは、このバリアが壊れてほしいとも、壊れてほしくないとも思っていた。
だけど姉様が出て行った二週間後、ボクを覆っていたバリアが消えたのだった。
きっと、姉様は死んだ。
ボクの思いは粉々に砕け散ったんだ。
ボクは膝から崩れ落ち泣いた。
基本的に厳しくって気の強い人だったけど時には優しくって、ボクが悲しい時にはいつも側にいてくれた姉様。母様が死んでからは唯一の心の拠り所だったよ。ボクのせいで環境がガラリと変わってしまった時も、嫌だったろうにボクを責めるどころか顔色変えることなく側にいてくれたんだ。それがどんなに嬉しかったことか。
そんな姉様とこんな、こんな別れ方をしなければならないなんて。
最初は姉様を笑わせたい、元気になってほしいって思ってた。そこから病弱な姉様を守りたいって変わっていった。
でも、実際は逆だった。ボクの方が姉様に救われてた。最期まで守ってもらっていたんだ。ボクを置いていったのも、きっと姉様はこうなる事が分かっていたからなのかもしれない。
そんな、姉様に頼られることのない不甲斐ないボク自身を兎に角悔いた。悔しくて仕方がない。
そんな悲しさと悔しさが混じり合い、大きな声で泣いた。それこそ涙が枯れるまで、来る日も来る日も泣いたよ。
姉様が死んでから何日か経ってやっとボクは外に出た。ボクは数日だと思っていたんだけど実際には一ヶ月も経っていた。
外はボクが思っていた以上に酷いものだった。ボクがいた部屋よりも上の階層は目も当てられない位ボロボロだったし、地上の階層はほぼ更地だった。街もあちこちが壊され復興作業の真っ最中な状況だった。だけど、人も沢山亡くなったとかであまり進んでいないそうだ。姉様やフェアリン達が相当暴れたんだろう。
幸いボクは人の形を保っていたので、旅人を装い姉様達フェアリンの情報を集めることにした。やっぱり姉様がどうなったのか知りたいじゃないか。新聞を見たり話を聞いたりしてみた結果、予想通り姉様はかなりの悪者扱いされていた。酷いものだったよ。まぁこんなにも人間達に危害を加えたらそう言われるのは分かる。
でも、これだけは分からなかった。
姉様を倒したのは数人の人間とフェアリン達だというのだ。
あんなにもフェアリン達のことを思っていた姉様。そしてフェアリン達の為に反逆の狼煙をあげたのに…こともあろうかフェアリン達に倒されてしまうなんて…。あんなにフェアリン達の自由の為に尽くした姉様に手をかけるそのフェアリン達は何を考えていたのか、全くもって分からなかった。
まぁ、それぞれの立場があって気持ちも様々なのだからって今は思えるけど、その時は本気で分からなかった。
そして更に追い討ちをかけるように、今回の一件でフェアリン達は一部の意思を剥奪させるという表明が出された。
今までは人間らしく考えたり自分の意思で動いていたのが、意思を奪われることで益々フェアリン達の自由が無くなってしまうという形になってしまったのだ。
姉様の望んでいたことの悉くが反対の結果となって終わってしまった。
これじゃあ、姉様が何の為に反逆をしたのか、分からないじゃないか…。
そう思った時、ボクは人間も、フェアリンも含め、この世界全てに失望をした。
姉様の存在が、やってきたことが全て無駄だと言っている世界なんていらない。全てこの世界が悪い…そう思った。
そうだよ。今まで姉様はボクの為に動いてくれたんだ。今度はボクが姉様の為に動く番だ。姉様の笑顔の為なら、ボクは道化師にだってなれるんだ。
そう思ってからは、ボクは待った。黒の予言書が再び開かれるのを。道化師ディメーンとして国々を転々としながら。
姉様が持っていた予言書は、姉様を倒した勇者が持ち去り行方をくらました。そして何処かで封印でもしたのだろう。魔力を辿ることすら出来なかった。
本当、闇の一族は良い仕事をしてくれる。その徹底された隠しっぷりのせいで軽く二千年は待たされたよ。まぁ、そのお陰でボクの家のこととか父様の研究のこと、予言書のことまで色々調べることが出来たんだけど。
黒の予言書は存在しているという確信はあった。それは、あの時入り込んできた黒い魔力が身体の中にずっと残ってたから。ボクの中に巣食う黒い魔力が、予言は必ず実行されるという、ボクの中の予言書への執着心を強めていったのだ。それに加えて世界への復讐心とが合わさりぐちゃぐちゃになった心を抱え、ボクは長い時を待った。
そして、ボクはやっと予言書を開いたノワール伯爵に会ったんだ。
これでこの世界を滅ぼすことができる。…そう、思ってたんだけどなぁ。