Lという名の男の話《後編》


ボクの気持ちとは裏腹に、フェアリンの研究はずっと続いていた。
第一人者の父が亡くなってからもこの研究は国とお弟子さん達が引き継いでいき、気付けば千年近く続いていた。
フェアリンも順調に増え、今では貴族中心から一般家庭にまでフェアリンが浸透していた。
施設に入りたての頃はボクのことを名前で呼ぶことが多かったけど、計画が開始されだした頃から名前の頭を取って"D"と呼ばれるようになっていた。今ではボクの本当の名前を知るのは今も一緒に施設にいる姉様しかいないだろう。

姉様はというと、800年位前からかな、生まれたフェアリン達が人に渡す前に言葉遣いやマナー、フェアリンの力の使い方を学ばせる施設…まぁ、フェアリンの学校みたいなものかな、そこの先生になってた。

姉様は最初に作られたフェアリンだ。フェアリン故に姉様も父から、人間に危害を与えないという制約の呪詛をかけられていた。だけど最初に作られた故に記憶が消されておらず服従の呪詛もかけられていない(もしかしたら父様も実の娘にそこまで非道なことはできなかったのかもしれない)、元施設長であり大魔法使いであった父の娘という強大なコネと魔力により、どの魔法使い達も太刀打ちできず目の上のタンコブになっていたようだ。

そんな中で姉様の、父の研究には腹が立つが生まれたフェアリンに罪はないという考えのもと、フェアリン達が少しでも人間社会に馴染むようにと学校の設立を提案。施設側もこれに賛同した(色々口出しする姉様を研究の前線から追い出せるとも思っていたのかな)。
書類上研究施設の人が責任者になっていたけど実権は姉様が握っていた。現場にも出てたしね、教頭先生みたいな立場だったんじゃないかな?

そしてそんな姉様は、フェアリン達の扱われ方にとても不満を持っていた。

フェアリンの容姿や従順なところから、古代の民達から奴隷やペットのような扱いを受けていたからだ。パートナーや家族のような扱いをしていた人達もいたようだけど、それが多数という訳じゃなかったんだ。
元は人間なのだということを古代の民達はおろか、生前の記憶を失っているフェアリン達でさえも知らない。
それを姉様はとても嘆いていたんだ。
それはもう凄い怒っていたよ。毎晩ボクの監禁部屋に来てずっと言ってたから。教え子達はあんなに一生懸命で可愛いのに、何故虐げられなければいけないんだってね。
ボクは黙って相槌をうつしかできなかったよ。

ボク達フェアリンは、人間に抵抗できる手段を持っていない。それほどにまで父が施した呪詛は強力なものだった。

父の家は代々魔法使いを輩出してきた家だとは言っていたけれど、魔法というよりも呪詛や心に影響を与える呪いに近い魔法の分野を得意としていた。
大魔法使いと言われていた父も基本魔法はどれもできていたが、例に洩れず得意分野だったのが呪詛だ。まぁ、そのせいでボク達フェアリンが苦しめられているのだけど。

何故ボクの家系は代々呪詛が得意なのか。
事故にあった時、ボクはまだ子どもだった為家の事は教えられていなかった。そしてそのままここにずっといるから全く分からない。
そういえば、父が死んだにも関わらずずっとボク達に付いている呪詛が消えないのは何故なのだろう。そしてフェアリン製造において今は誰が呪詛をかけているのだろうか。やはりお弟子さんの誰かが父から引き継いでいるのだと思うんだけど…。こんなにも同じクオリティの呪詛をかけられるのだろうか。なんかひっかかるんだよねぇ…。

そんなモヤモヤした中、ボクは姉様を待っていた。

姉様は学校で先生をするようになってからは、学校に併設されている宿泊施設で教え子のフェアリン達と寝食を共にするようになった。
人類の永遠の夢であるボクは研究の為ここから出ることはできない。そんなボクを不憫に思ったのか、姉様は毎晩必ずここに来る。そしてその日にあった事を話してはまた帰っていった。
外に出て教え子たちに悪戦苦闘している姉様を見て羨ましくもあったけど、それ以上に生前よりも元気に楽しくしている姉様を見ることができたのが嬉しかった。

ここに来たらまた人間達のフェアリンへの態度の愚痴を永遠と吐いていくのかなぁ…と思いながら待っていると、ガシャン…と格子の扉が開いたんだ。
ボクはあれ?と思いながら扉の方へと振り向く。この格子の扉は勿論鍵付きだし見張りの人がいるから、基本姉様とは扉越しで話をする。
変だなと思いながら扉の方を見ていると、夜中で暗い廊下からこちらに入ってきたのはやはり姉様だった。

「ねえさ…」

姉様お疲れ、と言おうとしていた言葉は、部屋に入ってきた姉様を見た途端出すことができなかった。

ボクが見たのは、窓から入る月明かりに照らされていた血塗れの姉様だった。

日常からあまりにもかけ離れたこと過ぎて一瞬惚けてしまったが、ボクはすぐに姉様に駆け寄り何処か痛い所はないか尋ねた。
だけど姉様は自分の血ではないと言うのだ。
より混乱するボクに姉様はポツリと言ったんだ。

「人を、殺したわ」ってね。


その一言はあまりにも衝撃だった。
だって…、夢にも思わないじゃないか。自分の実の姉が人を殺してくるなんて。思いたくないじゃないか。
それに、前提としてボク達フェアリンは人に危害を加えることが出来ない。それを、何故…?

「どう…して…?」

頭が動揺と疑問で溢れかえる中、ボクはその一言しか返すことができなかった。

「ちょっと…色々あって…」

そう言って疲れたように小さく笑う姉様は痛々しかった。

「でも、今は説明している時間が無いの」

姉様のその言葉に思わずボクは「え?」と聞き返した。
けれど姉様はそんな状況を呑み込めていないボクの手を引き監禁部屋を出た。ボクはもう訳が分からなかった。「姉様?」と聞いてみても、姉様は何も答えてくれずただひたすら静かに暗い廊下を進む。ボクがいた部屋は研究施設の中でも地下の方にあったんだけど、姉様はその更に下を目指していた。
暫く階段を下りた先、姉様は一つの部屋の前で立ち止まった。ボクは分からなかったので姉様に「ここは?」と聞いてみた。

「ここは、フェアリンが生まれる所。そして…」

姉様はそう言いながら両開きの扉を開けた。

「人の命が弄ばれる所よ」

そうボクに言うと姉様は迷いなく中へ入っていった。ボクも慌てて中へ入る。
中はただ広い空間という感じだった。だが蝋燭の明かりに照らされた床はチョークで書かれた呪文だらけだった。どうやら床一面に魔法陣が書かれているらしい。今ある蝋燭は姉様が持っているものしか無いので全貌は分からない。でもこの部屋に入ってから、途轍もない嫌悪感というか懐かしいというか、ボク達にかかっている呪詛…要は父様と同じ魔力を感じることができた。
嫌だなぁというのが顔に出ていたようで、姉様も「本当、嫌よねここ」と言いながら床のパネルの一枚に手をかざした。

すると、姉様の魔力に反応して床の一部が変形し、地下に通じる階段が出てきたのだ。もう、ボクはビックリしたね。

それと同時に嫌な魔力が階段から湧き上がってきているようで凄く嫌な気分にもなった。この嫌な魔力の原因がこの下にあるんだということが嫌でも分かる。

「本当、嫌な人」

そう、姉様がぽつりと言った。そしてずんずんと下へと降りていく。ボクも内心嫌々だけど姉様に続き下に降りた。
上の階段の入り口が閉じた後、姉様は「やっぱり一族しか入れないのね…、一応私たちもあの男の一族なのね…」と言っていた。どうやらこの階段の入り口はボク達一族の魔力でしか反応しない仕組みのようだ。こんな姿になってもボク達は父様の子なのだと再確認してしまった。
そう思っている中、姉様が「ごめんなさいね。巻き込んでしまって」と謝ってきた。
ボクは「いや、元はと言えばボクが姉様を巻き込んだんだから。気にしないで」と返すと、姉様は少しだけ笑って「そう…」と言った。

そして姉様はぽつりぽつりとこれまでの経緯を説明してくれた。
ここに来る途中一人の人間が一人のフェアリンを手酷く痛めつけている現場を目撃してしまったらしい。そのフェアリンも彼女の元教え子だ、当然姉様は怒り止めに入ったそうだ。だけどその人間は全く姉様の言うことを聞かずむしろ逆上し姉様に迫った。

その時姉様は思ったそうだ。
何故、こんな人間共に虐げられなければならないのか。何故、フェアリン達はこんなにも身を粉にして己を捧げなければならないのか。何故…?…と。

姉様の中の今までの怒りと憎しみが頂点に達した時、その怒りのパワーが姉様にかかっていた父様の呪詛のパワーを破ったんだ。流石姉様だ。
そして何の縛りも無くなった姉様は、そのまま人間を…。

痛めつけられたフェアリンを逃がした後、姉様は考えた。今が、反逆の時だと…。

そこまで話した姉様はおもむろに、「貴方は、黒の予言書を知っているかしら?」と聞いてきた。ボクは分からず答えられないでいると、姉様は「それは、父の家が代々秘密裏に守ってきたものよ」と言い、その黒の予言書について教えてくれた。

黒の予言書。それは文字通りこれから起こる未来の出来事が書き綴られた本。でもその未来の出来事はいづれもこの世界の破滅で終わってしまうという恐ろしい本。そしてその所有者になった者は皆不幸な最期を遂げたと言う。

でも、その本が何より恐ろしいのは、世界を崩壊の道に辿らせてしまう程の強大な闇の魔力と暗示の力であった。

「その本は、謂わば強大な呪具なのよ。一度所有者と認めた者を洗脳し、その所有者を通して世界に闇の力と呪いをかけていく。そしてその本の内容通りに事が進むの。それが予言の力だ何だって言われているみたいだけど。
でもそれは予言書だなんて生優しい物ではない、途轍もなく恐ろしい悪意と憎悪の塊よ。きっとあれを作った人は相当な恨みを持って死んだ人か悪魔ね」

姉様の見解を聞きながら長い螺旋階段を降りた先には大きな扉があった。この扉から夥しい量の魔力が漏れ出ているのが分かる。全身からジワリと嫌な汗が出てきた。

「…そして、その本を厳重に保管して守っていたのが私達の家の長、あの男よ」

姉様はそう言いながらボクの方へ振り返った。

「フェアリン製造の際、あの男は実験に必要な魔力が足りず困り果てていた。そして莫大な魔力を保持している黒の予言書に目をつけ本の所有者になった。勿論、その予言書の魔力を使った実験は成功したわ。それで生まれたのが私。まぁ、全部あの男の書斎の資料から分かったんだけどね」

「…!?」

開いた口が塞がらないとはこの事を言うのか。怒涛の今まで知らなかった情報にただただ驚くばかりだった。…でも、これだけは分かる。

「じゃあ、この先に予言書が…」

「えぇそうよ。あの男は自分が死んでからも予言書の魔力が使えるよう、魔力を抽出する装置を作ったの。この先人類が第二の貴方を作れるように。あの男が死んだ何百年も経ってる今も予言の力が働いていないのは、今も尚本の魔力を吸い続けているから。予言の力を使えなくなる程のね。何とも皮肉な話ね」

そう言いながら姉様は大きな扉を開けた。

開けた途端、先程とは比にならない程の高濃度な闇の魔力を感じる。あまりの凄さに全身にぶわっと鳥肌が立った。

そして扉の先にある部屋は上の部屋同様に広く、その部屋の中心には魔法陣が敷かれ、そしてその中心には一冊の真っ黒な本が浮いていたのだ。
間違いない。あれだ。あれから尋常じゃない量の魔力が放出されている。

「あの魔法陣が抽出装置よ。まずはあの魔法陣を潰すわ。
…さぁ、あの男が作ったこの仮初の平和を、私達の手でぶっ潰しましょう」

そう言った姉様は魔法陣に攻撃をし始めた。姉様は連続で魔法弾を飛ばしたのだ。
だがその魔法弾は魔法陣に張られているバリアによって弾かれてしまった。
そしてバリアが発現したと同時に何処からか声がしたのだ。

『やはり来たか…』

それはとても懐かしい声だった。
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