Lという名の男の話《後編》
気が付いた時、ボクは真っ暗闇の中にいた。
何も見えない。何も感じない。ただこの真っ暗闇の空間の中を漂っているだけ。でも何故かとても居心地が良い。プカプカと水の中にいるみたいで、このまま眠ってしまいたいとも思っていた。
でも、そう思っていた時、何処からか声がしたんだ。
『お願い…、目を覚まして…!神様…!』
最初は分からなかったけど、段々その声が大きくなっていって、その声は母様のものだと分かった。母様は必死にボクの名を呼んで起こそうとしているようだった。
『お願い…死なないで…!私は…どうなったっていいから…!お願い…!』
母様の今にも泣きそうな声。でもその声とは対照的に、とても温かい何かがボクを包んでいく。
『お願い…どうか…死なないで…!』
その瞬間、眩い光がこの真っ暗闇を全て包み込んだ。
心をギュッと締め付けるような切なさと、全てを包み込んでくれるような温かい光だった。
そしてボクはここで再び意識を手離した。
ハッと気が付いた時、ボクはどこか知らない森の中に一人立ちすくんでいた。
だけど一番初めに目に映ったのがボク達が乗っていた馬車だった。ボク達が乗り込むまでは二頭の馬が引くピカピカの馬車だったのが、崖から転がり落ちたせいで横転し見るも無残な程にボロボロのボッコボコだった。この馬車を見てやっと、ボク達は崖からここまで落ちてきたんだと理解した。
あぁ、そっかぁ、と納得していたボクだったんだけど、そこからすぐに焦りと恐怖が襲い掛かってきたんだ。
「母様…!?みんな…!?」
馬車の中には母様とボク、メイドさん、前に座って手綱を握っていた従者さん。そして馬車の周りにいた護衛さん達。ボクの周りには何人もの大人がいて何かしら話をしていた。
だけど今は、あまりにも静かすぎた。
静かすぎてドキドキと鳴る自分の心臓の音が嫌に大きく聞こえた。日常とはあまりにもかけ離れた事態と静寂から逃げたいボクは大きな声で母様達を呼び辺りを見渡した。
目の前にある馬車は崖から転がりながら落ちた為、地面に落ちた後も暫く転がり木に衝突してやっと止まったようだ。その為ボクが気が付いた所からは馬車と木以外何も見えなかった。ボクは
横転した馬車の裏へ回り込む。
「っ…!!?」
そこには、当時のボクには中々にキツい光景が広がっていた。
転がった馬車は草や木々を薙ぎ倒し一本の道みたいになっていた。その道の途中に馬車と一緒に落ちて倒れている馬と従者さん達が見えた。馬も従者さん達も身体が変な方向に曲がっていてきっと息絶えているのが遠目からでも分かってしまった。
そして馬車の裏側の底から赤黒い液体が外に漏れ出てきている。それが血だと思った瞬間身体がこわばった。心臓がこれまでにない位バクンバクンと体を打ち鳴らす。
まさか、そんな、何かの間違いじゃないのか…。でも、もしかしたら…。
そんなことをグルグルと考えたまま、ボクは恐る恐る壊れた馬車にできた穴を覗く。
「!!!?」
余りの光景にボクは思わず仰け反り尻もちをついた。
そりゃ外に漏れ出るくらいだもんね、血の海だったよ。
メイドさんも母様も壊れた馬車の木片とガラスで至る所が傷だらけで損傷が激しかった。
そして何よりも驚いたのは、母様が誰かを抱きしめながら息絶えていたんだ。
え?誰かって?そりゃ、ボクだよ。
ボクが死んでたんだよ。母様の腕の中で。意味が分からないよね。
ボクはもう、どうしたらいいか分からなかった。
まだまだ遊び盛りの子どもだもん、できることなんて大声で泣く位しかできなかった。
もうワンワン泣いたさ。だって、母様も死んで、ボクも何故か死んでいる。じゃあボクは一体何者なのさ?もう意味が分からない。
こんな事を一発で解決するような魔法なんて分からない。これ程まで自分の非力さに泣いたことは後にも先にも無いだろうね。
壊れたように泣いていたからかな、崖の崩落から免れた何人かの護衛さん達がボク達を見つけてくれたのだった。
そこからボクは父様の研究施設にいることになった。
だって、ボクの死体があるのにのうのうと今までのお屋敷で暮らすことはもう出来ないからね。ボクは戸籍上死んだ人扱いになった。母様の葬儀にも顔を出すことができなかったよ。それは本当に悲しかった。
父様が調べてみると、ボクの身体は全て母様とボクの魔力でできているということが分かった。魔力だけでここまで実物の身体と遜色なく作れること自体が前代未聞だった。当然父はボクの身体の研究にのめり込むこととなった。
父はお弟子さん達も交えてどうしたらこの現象が起きるのか、そして自分達で再現できるのかを研究しだした。その名もフェアリン製造計画。
魔力から生まれる妖精のような人間のことをフェアリンと呼び、ボクはそのプロトタイプとも呼べる存在となった。
ボクの身体を調査しデータを取り、どのような条件でならフェアリンを作ることが可能かを調べていったようだ。
うーん、何で研究の事が曖昧なのかというと、この時期からボクは身体調査以外は狭い部屋にずっと監禁されていたからなんだよねぇ。
この身体ってさぁ意外と便利で、食うも寝るもそこまで必要が無いんだよね。一応人間と同じことは出来るけど全部魔力で成り立っているから無理して食べなくても良いっていうね。
これは母様が本当の意味で全力を使ってボクを生かそうとしたからだ。だからボクの身体をめぐっている母様の魔力はとても優しくて温かくて心地良い。
そんな身体だからなのか、父は施設の人に適当な所に放り込んどけって言ってたらしい。とことん父は魔法以外に情が無い。
でも今思えば一応二人も子どもつくってたんだもんね、それなりに母を愛していたんだろうね父は、魔法バカで全然家庭を顧みてなかったけど。きっと母を死なせた原因はボクにあるとも思っていたのかもなぁ。
まぁ、そんな子どもには辛い環境だったんだけど、唯一の救いが姉様だった。
姉様は毎日ボクの所に通ってきては一緒に美味しいお菓子を食べたり、本を読んだり、魔法の勉強や魔法対決をしたり…まぁ些細な事をして帰っていく。それがどんなに救われたか分からない。
たまには新聞や教科書を持ってきて「あら暇そうね。暇ならそれでも読んでなさい。学は身を助けるわ」とかチクチク嫌味を言いながら去っていく。そんな姉様だから施設の人は何も言えないみたい。
たまに困りますって言われるみたいだったけど、「あら?私は所長の娘よ?所長の娘が所長の息子に差し入れすることが駄目な訳ないじゃない。そんなに嫌なら父に報告するなり何なりすればいいわ。きっと、あ、そうで終わるわよ?あの人はそういう人よ」と言って以来、施設の人達からの苦言はピタリと止まった。何なら今まで交流のあった施設の人達からの差し入れが始まったよ。ボクは一生姉様には頭が上がらない。
でも姉様は身体が弱い。身体が弱いのに毎日ここに通うなんて無茶だったんだ。姉様はこれまでの無茶がたたって病気を拗らせてしまったのだ。
ボクはもう悔いたよ。ボクのせいで姉様は床に臥せてしまったのだから。
それでも姉様はここに来ようとしていたんだよ。ボクが心配だからって。ボクも怒ったね、「もう来ないでくれ!」って、「ボクのことなんか放っておいても平気なんだから!」って。
でも姉様は「弟が姉の心配なんかしなくて結構よ!」って頑として聞かなかった。それでもその数日後にはもうベッドから動けなくなってしまった。
その日からボクは毎日泣いた。
だって、姉様はボクのせいで苦しんでいるのに、ボクはお見舞いにも行けないんだ。姉様のそばにいて手も握ってやれないんだ。魔法で笑わすこともできないんだよ。
姉様を笑わす為に魔法を頑張ってきたのにさ、これじゃあ本末転倒じゃないか。
何度、ボクのせいで…と悔やんだか分からない。
ここから出ようとも思ったんだよ。でも部屋の扉(というか鉄格子)はかなり頑丈にできていてボクの力では開かなかった。
この部屋全体に呪詛がかけられていて、中にいる者の魔力発現能力を狂わせるようになっていた。要は魔法を使えなくするってこと。呪詛は父が直々に掛けたらしい。そんな魔法を使えないただの子どもでは一人で脱出することは不可能だった。
そんな中、姉様が亡くなったと聞いた。
ボクが生まれ落ちた時代もそれなりに文明が進んでいたけれど、姉様を病気から救ってあげられる程進んでいる訳じゃなかった。
ボクはそのことを聞かされた時、膝から崩れ落ちた。呆然自失とはこのことを言うんだろうね。
その日からボクは何をするにも気力が湧かなくて、ずっと部屋の隅に座って永遠と天井を見上げていた気がする。
だけどその数日後、ボクの部屋の向かいに新たなフェアリンがやってきた。
「あら、いつまでそんな辛気臭い顔をしているのかしら」
「!?」
その声と嫌味を聞いてボクはバッと顔を上げた。そこには今までとは姿形が変わってしまった姉様がいたのだった。
元は母様譲りの整った顔立ちの姉様は、今は人っぽいデフォルメに羽が生えたような姿になってしまっていた。でも声と喋り方は生前の姉様と変わりなくて…。でも死んだ筈じゃ…。
一体何がどうなってしまったのか混乱の境地にいたボクに姉様?はくすくすと笑った。
「そうよね、そんな顔になるわよね。私も驚いたわ。死んだと思ったらこんな姿になってたんですもの。本当、反吐が出るわね」
「…ごめん」
「何故貴方が謝るの?私が反吐を出してるのは貴方にではなくて私を作ったあの男よ?」
姉様の、父様に対するあたりがどんどん酷くなっていく。
でも、最後の"作った"って…。そんな…。
「ねぇ姉様、作ったって、まさか…」
「えぇ、そのまさかよ。あの男は死んだ私の魂を使って実験をしたのよ。…フェアリン製造実験をね」
「…!?」
そんなまさか、とは思っていた。でも当たってた。…やはり父様は姉様を、実の娘を実験台にしたのだ。
「そ、そんな…。姉様、ボク…ごめんなさい…」
ボクは姉様に謝った。父様のやった事には怒りしかない。でも、その原因は全てボクにあるとも思ったからだ。
そんなボクの言葉に姉様はイライラしているようだった。
「だから!何故貴方が謝るのか理解できないわ?確かに貴方がフェアリンになってしまったってことがことの始まりなのだと思う。でもそれと私のことは直接的な関係は無いわ。
悪いのは…貴方の事故も、私の死も全て私利私欲の為に利用しているあの男よ。今回の実験を皮切りに、きっとこれから先どんどんフェアリンになる人間が増えていくのでしょうね。
それとも何?貴方は今後フェアリンになる人間全員にそうやって頭を下げていくつもりかしら?」
「…!?…それは…」
確かに、凄く罪悪感はある。でも、皆に頭を下げ続けなければいけないのはちょっと嫌だ。
そう思ったのが顔に出たのだろう。
姉様はそんなボクにクスリと笑った。
「なら変に罪悪感なんか持たない方が賢明だわ。貴方のその態度は弱者の中から更に弱者を作りかねない。弱者になりたくなければ、あくまでボクは皆と同じ被害者ですって顔しとけばいいわ」
ボクはその言葉にうん…としか返せなかった。
そしてその一年後、姉様の言っていたことが現実となる。
父がとうとう、フェアリンを製造する方法を編み出し、それを国に認めさせたのだ。要はフェアリンの大量生産を国が認めたということ。
現段階ではボクのように完全な人になれないようだけど、逆にその容姿の方が元が人だったって事を隠せるということで都合が良かった様だ。
そして問題のフェアリンの材料となる魂と膨大な魔力は、奴隷落ちした者、犯罪者から孤児、不治の病と言われ亡くなる一歩手前の病人まで、当時は社会的支援も無く人権などまるで与えられていない人達を保護、隔離するという名目のもと集められた人々から搾取していた(外部へのバレ防止の為孤立無縁の人ばかりを集めていたというのも質が悪い)。
そして作られたフェアリン達は生前の記憶を消され、父の呪詛により絶対服従の誓いをたてられた上で古代の民達の労働力となっていったのである。要は奴隷のような扱いを受けていたって訳。しかも食べなくても寝なくてもいいんだもん、こんなにコスパの良い労働力はないよね。
国の偉い人達は勿論、国中が喜んだらしいよ。だって、自分達がしんどくて出来ないことをほぼ無償で代わりにやってくれるんだもん。楽になるし嬉しいよね。
まぁ、そんな感じで国が背後にいる中で始まったフェアリン製造計画は順調に進み、研究施設には何人ものフェアリン達が住むようになった。中には魔力の使い過ぎで死んでしまったお弟子さんまでフェアリンにされていた。死んでからも父に使われるなんて…と、この時ばかりは悲しくなったね。
そんな中、ボクと姉様は未だに研究施設の中にいた。
こうして順調に計画が進んでいたけれど、父にとってはまだゴールではなかった。
人の魂に魔力を与えフェアリンにすることは出来た。でもボクのように生前の人の姿を保ったフェアリンを作ることが未だにできなかったんだ。
ボクのようなフェアリンを作り上げることができた時…それは人類が永遠の命を得るということだ。
あの転落事故があった時以来、ボクの成長は止まったままだった。そしてフェアリン自体の構造が魂と魔力のみでできている為、もし完璧なフェアリン化を果たした場合、魔力切れを起こさない限り理論上老いて朽ちることの無い身体を手に入れることができるんだ。
その方法を、父と時の権力者達はどうしても知りたかったんだと思う。
だからボクはずっと、研究材料としてここにいなければならないのだろう。
そう諦めに近い思いを抱きながら、ボクは長い長い時をここで過ごすことになる。