8.白霧が護る魔女の館

実験室には、何事もなかったかのように静かな時間が戻っていた。

すりガラスの窓から差し込む昼下がりの光のなか、規則正しく響くのは薬草を刻む音と、乳鉢を擦る微かな音だけ。窓の外では風が穏やかに枝葉を揺らしており、さっきまで森を騒がせていた緊迫した気配が嘘のようだった。

ライは黙って乳鉢を動かしていた。

「止まってるわよ」

ヒイロの淡々とした声が室内に響く。

「あ……ご、ごめん」

慌てて乳鉢の棒を握り直すと、チカフィールはそれ以上何も言わず、仕分けた薬草を丁寧に薬瓶へ詰めていく。

「やっぱり容赦ないなぁ……」

ぼそりと漏らした声に、棚の上の黒い三角帽子――バッドが小さく揺れた。

「ぎぎ」
(甘やかされると思うなよ)

「思ってないって」

小声で返しながら乳鉢を回す。

「ぎぎ」
(耳が寝てるぞ)

「えっ」

思わず両手で萌黄色の獣耳を押さえる。

「……見ないでよ」

帽子がくすくすと笑うように揺れた。

そのやり取りを、少し離れた暗がりからヴァンが静かに見ていた。

「……少しは落ち着いたようだな」

短い一言だった。

ライは目を丸くしてヴァンを見る。

「……そう、だね」

ぽつりと答えると、ヴァンは小さく頷き、再び窓の外へ視線を向けた。

館の中には、薬草の青苦くも甘い香りが静かに満ちていく。

ライは乳鉢を一定の速さで動かし続ける。

逃げる代わりに、薬草を擦る。
追われる代わりに、頼まれた仕事をこなす。

そんな当たり前の時間が、この館では静かに流れていた。
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