6.夜明け前の共鳴

静寂が支配する夜更けのこと。
魔女の館の近くの森を歩いていたヒイロは、不意に足を止めた。

夜気を裂くような異様な気配が風に乗って流れてくる。
湿った土の匂いに混じる鉄臭さ――血だ。さらに、獣の荒い息遣いの名残が、森の静寂をわずかに乱していた。

胸元の黒いチョーカーへ指先を添え、ヒイロは静かに視線を巡らせる。
木々の影を抜けた先。そこには、灰褐色の毛並みを持つ一頭の狼が横たわっていた。

月光を浴びたその姿は、まるで神話の一場面を切り取ったように美しい。しかし、その四肢には深い傷が刻まれ、鋭い牙も爪も力なく地面へ沈んでいる。浅く途切れがちな呼吸が、かろうじて命を繋ぎ止めていた。

ヒイロはその姿をしばらく見つめ、淡々と呟く。

「……ニホンオオカミ?」

絶滅したはずの種。こんな場所にいること自体がおかしい。
傷の具合から見ても、人為的に襲われた可能性が高い。

「面白いわね……」

興味を失わないまま狼へ歩み寄る。
背後で衣擦れの音がした。夜を迎え、黒の三角帽子から本来の姿へ戻った魔公子のバッドが、腕を組んで狼を見下ろしている。

「どうするんだ?」

「館へ運ぶわ」

短く告げる。バッドが眉をひそめた。

「助けるのか?」

ヒイロは狼から視線を外さない。

「死なれると困るだけよ」

その声音に感情らしい揺らぎはない。

「ここまで傷つけた相手も気になるし、この子自身から聞きたいこともあるからね」

ようやくバッドへ視線を向ける。

「急いでちょうだい」

「……相変わらず人使いの荒い主さまだ」

肩をすくめながらも、バッドは迷わず狼を抱え上げる。軽口とは裏腹に、その動きは素早い。
ヒイロは踵を返し、何も言わず館への道を歩き出した。

月明かりに二つの影が長く伸びる。
瀕死の幻獣を連れた魔女は、一度も振り返らなかった。
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