12.霧深き館の不調和な訪問者

ヒイロは資料を机に置き、腕を組んだまま冷えた声で言う。

「……で? 依頼は何なのかしら」

アウグストは白衣の袖を整え、静かに口を開いた。
その所作には医師としての癖が滲み、同時に獲物を狙う前のような落ち着いた呼吸があった。

「……欲しいのは一種類だけです。“感情を調整する”魔薬を」

ヒイロの眉が不穏に動く。

「感情……? 何をどうするのよ」

「恐怖、痛み、快楽。
 人が暴走する時に揺らぎやすい感情。それらを……任意に傾ける魔薬です」

部屋の温度がわずかに下がった気がした。

「痛みを緩和する薬なら普通にあるでしょうが。
 あんたのは、どう聞いても“操作”じゃない」

アウグストは穏やかな笑みを崩さない。

「操作とは心外ですねぇ。治療を円滑にするためですよ。
 凶暴化する患者、恐怖で手術室に入れない患者、快楽に逃避して治療を拒む患者……いろいろいるのです」

言い訳の形をしているが、
“感情を自在に変えられる薬”が医療の範囲をはるかに越えているのは明白だった。

ヒイロは、しばらく黙っていた。
机の上のメモにはもう目を落とさず、代わりにアウグスト本人をじっと見る。

魔女特有の――
薬ではなく「人」を量る視線。

「……感情を一本でいじれる魔薬、ね」

低く息を吐き、腕を組み直す。

「便利すぎる。治療にも使えるし、拷問にも使える。
 依存を作ることも、人格を壊すこともできる」

言葉は淡々としているが、声は冷えていた。

「それを“初取引”で持ち出すってことは……
 あんた、相当切羽詰まってるか、
 もしくは――自分の手を汚す覚悟がもうできてるか、どっちかね」

アウグストは一瞬だけ瞬きをした。
だがすぐに、いつもの穏やかな医師の顔に戻る。

「さすが魔女殿。話が早い」

義眼が、ランプの光を受けて静かに反射する。

「私は……患者を“救う”ためなら、多少、境界を踏み越えることを厭いません」

「“多少”ね」

ヒイロは鼻で笑った。

「感情を調整するってことは、患者の“意思”を無視するってことよ」

「拒否されて治療できず、死なれるよりは?」

その言葉に、室内の空気がわずかに軋んだ。

ヒイロの背後――
館そのものが、きしりと小さく鳴った気がした。
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