12.霧深き館の不調和な訪問者

霧が深く垂れ込める夜、
街から少し離れた山あいの森、その奥深くにひっそりと佇む館の影が見えた。
アウグスト・トスカネリ――肩に小さなフランス人形テオドーラを乗せた男は、
白衣の裾を静かに揺らしながら、敷地内へと足を踏み入れる。

義眼が淡く光り、館の外壁をなぞるように視線が滑る。
表面上は紳士的で落ち着いた振る舞いだが、
その胸中には、魔女の噂に対する好奇心と、得体の知れない執着が入り混じっていた。

「……なるほど。 これが、ヒイロ様の館……」

低く、かすれた声が漏れる。
テオドーラは肩の上で、初めての環境に興奮したかのように、
ケタケタと笑った。

「……おや、興奮していらっしゃるのですね、テーラさん」

アウグストは人形の髪を軽く撫で、その不気味な笑いを優雅に受け止める。

館の扉の前に立つと、白髪を撫で付け直し、深く息を吸った。
紳士的な礼を整え、静かにノックする。

コン……コン……

金属音が沈黙を切り裂くように響く。
その瞬間、アウグストの義眼が微かに回転し、
内部のカメラレンズのような光が、扉の向こうにある何かを精密に捉えた。

扉の向こうから、冷たい視線を感じる。
やがて扉がゆっくりと開き、青い瞳を持つ魔女が姿を現した。

「……何の用?」

ヒイロの声は冷たく、まるで刃のようだ。
しかしその瞳は、訪問者を逃がさない鋭さを宿していた。

アウグストは深く頭を下げ、低く丁寧に答える。

「初めまして、ヒイロ様。私の名はアウグストと申します。どうぞお気軽にアヴィとお呼びください」

「アヴィね。それで?」

ヒイロはそれ以上興味を示さず、男を見つめる。

「裏社会でお噂は拝聴しておりました。
 あなたの力……そして、お作りになる魔薬に深く興味がありまして」

声には礼儀があり、抑制された熱が潜む。
だがその目は、”一度見たら逃がさない獲物を見つめる捕食者”の色を帯びていた。

霧がさらに濃くなり、館の外灯がぼんやりと滲む。
ヒイロは扉を半ばまで開けたまま、アウグストを値踏みするように見つめた。

「……興味、ね。
 で、今日は何の用で来たわけ? お金さえ払うなら、何でも作ってあげるけど安くないわよ」

冷たく、突き放すような声音。
歓迎するでもなく、拒むでもなく――ただ必要以上に関わる気のない魔女の口調。

アウグストは微動だにせず、その言葉すら甘露のように受け止めた。

「ええ、存じ上げていますとも。あなたが作る薬の価値は、裏では最上級。
 それで……少々、特別な依頼を」

肩の小さなテオドーラが、ヒイロを見た瞬間、甲高い笑い声を上げた。
ケタケタケタ……と、子どものような、しかし空洞めいた声。

ヒイロの眉がわずかに動く。

「……その人形、気味が悪いわね」

「フフ、彼女はテオドーラといいまして……。ただ喜んでいるだけなのです。
 ヒイロ様を、可愛いと言っているのでしょう」

「喋れないんでしょ。勝手に代弁しないで」

冷ややかに返したその瞬間――
館の奥で、何かが動いた。

階段の陰。
廊下の角。
天井裏。
そして、壁の向こう。

姿こそ見えない。

だが、この館に暮らす者たちは皆、突然現れた男を警戒していた。
ヒイロはそれに気づいているのかいないのか、気にする素振りも見せない。

「……まぁ、聞くだけ聞いてあげる。入れば?」

「ありがとうございます」

アウグストが一歩、館の中へ踏み込む。
その瞬間、背後で扉が静かに閉じた。

――歓迎されているわけではない。

むしろ逆だ。
館そのものが、自分を値踏みしている。
それを感じ取ったアウグストは、口元に笑みを浮かべた。

「……やはり来て良かった」

「何か言った?」

「いいえ」

ヒイロは振り返りもせず、廊下を歩き始める。

「ついてきなさい。依頼の話くらいは聞いてあげる」

「はい」

ヒールの音が、乾いた石床に響く。
その後ろを、アウグストが静かについていく。
肩のテオドーラが、またケタケタと笑った。

その声に反応するように、階段の陰でヴァンがわずかに目を細める。
天井裏ではバッドが気配を潜め、
廊下の奥ではライが低く息を吐いた。
フォーンもまた、壁越しに来訪者の情報を拾っている。

――ただの客ではない。

そんな警戒が、館の中を静かに巡っていた。

だが。

その中心を歩くアウグストは、怯えるどころか楽しそうだった。
自分が警戒されている。
その事実すら、彼にとっては心地よい刺激だった。

そして何より――

その先を歩く魔女の、他者を寄せ付けない冷淡さ。
アウグストは、その背中を陶酔するように見つめた。

「……素晴らしい」

小さな呟きは、誰にも届かない。

――この方は、想像以上だ。
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