9.夜明けの残熱と萌黄の迷い
実験室には、何事もなかったかのように静かな時間が戻っていた。
すりガラスの窓から差し込む昼下がりの光のなか、規則正しく響くのは薬草を刻む音と、乳鉢を擦る微かな音だけ。窓の外では風が穏やかに枝葉を揺らしており、さっきまで森を騒がせていた緊迫した気配が嘘のようだった。
ライは黙って乳鉢を動かしていた。
「止まってるわよ」
ヒイロの淡々とした声が室内に響く。
「あ……ご、ごめん」
慌てて乳鉢の棒を握り直すと、ヒイロはそれ以上何も言わず、仕分けた薬草を丁寧に薬瓶へ詰めていく。
「やっぱり容赦ないなぁ……」
ぼそりと漏らした声に、棚の上の黒い三角帽子――バッドが小さく揺れた。
「ぎぎ」
(甘やかされると思うなよ)
「思ってないって」
小声で返しながら乳鉢を回す。
「ぎぎ」
(耳が寝てるぞ)
「えっ」
思わず両手で萌黄色の獣耳を押さえる。
「……見ないでよ」
帽子がくすくすと笑うように揺れた。
そのやり取りを、少し離れた暗がりからヴァンが静かに見ていた。
「……少しは落ち着いたようだな」
短い一言だった。
ライは目を丸くしてヴァンを見る。
「……そう、だね」
ぽつりと答えると、ヴァンは小さく頷き、再び窓の外へ視線を向けた。
館の中には、薬草の青苦くも甘い香りが静かに満ちていく。
ライは乳鉢を一定の速さで動かし続ける。
逃げる代わりに、薬草を擦る。
追われる代わりに、頼まれた仕事をこなす。
そんな当たり前の時間が、この館では静かに流れていた。
すりガラスの窓から差し込む昼下がりの光のなか、規則正しく響くのは薬草を刻む音と、乳鉢を擦る微かな音だけ。窓の外では風が穏やかに枝葉を揺らしており、さっきまで森を騒がせていた緊迫した気配が嘘のようだった。
ライは黙って乳鉢を動かしていた。
「止まってるわよ」
ヒイロの淡々とした声が室内に響く。
「あ……ご、ごめん」
慌てて乳鉢の棒を握り直すと、ヒイロはそれ以上何も言わず、仕分けた薬草を丁寧に薬瓶へ詰めていく。
「やっぱり容赦ないなぁ……」
ぼそりと漏らした声に、棚の上の黒い三角帽子――バッドが小さく揺れた。
「ぎぎ」
(甘やかされると思うなよ)
「思ってないって」
小声で返しながら乳鉢を回す。
「ぎぎ」
(耳が寝てるぞ)
「えっ」
思わず両手で萌黄色の獣耳を押さえる。
「……見ないでよ」
帽子がくすくすと笑うように揺れた。
そのやり取りを、少し離れた暗がりからヴァンが静かに見ていた。
「……少しは落ち着いたようだな」
短い一言だった。
ライは目を丸くしてヴァンを見る。
「……そう、だね」
ぽつりと答えると、ヴァンは小さく頷き、再び窓の外へ視線を向けた。
館の中には、薬草の青苦くも甘い香りが静かに満ちていく。
ライは乳鉢を一定の速さで動かし続ける。
逃げる代わりに、薬草を擦る。
追われる代わりに、頼まれた仕事をこなす。
そんな当たり前の時間が、この館では静かに流れていた。
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