シンク&アリア⑤
この体で帰ってきてからの変化の一つに、テセとシンクからの身体接触に関する変化がある。二人はボクに口付けることはある。でもそれ以上のことはしない。二人揃ってそうなのだから、何か取り決めでもしたのだろうと予測をつけていた。
それについて、特に聞き出そうとはしない。話す必要があれば話してくれるだろうし、ボクも多少は気になるが藪蛇になりたくもなかった。触れ合いの時間が嫌いということはないけれど、やはり居たたまれなくて気まずいところがある。お互い様と言えないのも苦手だ。だから、口付け以上のことがない現状に安心していた。
そうなると自然、テセやシンクがボクの私室を訪れる機会は減る。天師に就いてからのボクは二人の執務室で手伝いをすることが多く、自身の執務室すら殆ど使っていない。そんな状態で彼らがボクの部屋に寄り付く理由はなく、寧ろボクが二人の私室に引っ張り込まれることの方がある。仕事終わりにそのまま泊まっていくことを願われ、抱き枕にされることは週に幾度かあった。
兎角その状況で、珍しくシンクがボクの私室に足を踏み入れることがあり、彼はようやくそれの存在を知ったようだった。
*****
「なにコレ」
そう言ってシンクが指し示したのは、花をあしらった立体カードだ。テセにもらって飾ってあるもの。特に考えることなくそのままの答えを返す。
「テセがくれて。部屋に飾って欲しいって」
「……へぇ。導師が寄越したから素直に飾ってるワケ?」
「否定はしない。でもそれだけじゃないよ。ボクもそろそろ自分の物を増やしても良いかなって思い始めたから」
「どういう風の吹き回し? アンタの物欲って大概死んでるだろ。今更部屋を飾りたくなる心境の変化でもあったの?」
「まぁね」
深くは説明しない。軽く応えて話を終わらせてしまおうとする。でもシンクは終わらせるつもりがないようで、飾られている立体カードの側を離れるとボクの方へ歩いてきた。そのまま手首を掴まれ強引に引かれる。
「っ」
容赦なくベッドに引き倒された。仰向けに転がるボクの上にシンクが跨がり、真上から仮面越しに見下ろされる。口元はへの字に曲げられていて少しばかり機嫌は悪そうだ。手首を掴む力が少し強い。
「シンク?」
「気に入らないな」
「なにが」
「決まってる。アンタの部屋にあいつの色があることだよ」
思わず言葉が作れなかった。それは単純に、ボクに対する執着を表す言葉で。それだけシンクがボクに対して「それ」を傾けてくれている証だから。望み望まれる関係を受け入れたとはいえ、そうして望まれることに慣れることは出来ない。なんと言って良いか迷ってしまった。
シンクの自由な方の手が頬に触れる。親指の腹が優しく頬を撫でてくすぐったい。無言でボクを見下ろす彼は何かを吟味しているようで、それが何か分からない内にボクは口を開いた。
「シンクもなんか置く?」
「アンタの部屋に? 別にわざわざ置きたい物なんかないよ。贈り物なんてメンドクサイ。大体、他人に何かを贈る習慣なんてモノがボクにあると思う?」
「まぁ、ないよね」
「分かってるじゃない」
ようやく口元に笑みの形が浮かぶが、別に機嫌が良くなったわけではないだろう。変わらず彼の左手はボクの手首をシーツに押し付けて離さないし、右手も変わらずボクの頬を撫でている。
不満があるままならボクの提案を断らないで欲しい。もしくは他の解決を自分から提案してはくれないだろうか。ボクにシンクの抱く感情が正確に分かるということはないので、適切な対応が分からない。
それでもどうすれば彼の不満を解消できるだろうと頭を働かせていると、徐にシンクが口を開いた。
「ボクにも権利をくれない?」
「どんな?」
「アンタをボクに縛る権利だよ」
咄嗟に言葉が出ていかない。ボクをシンクに縛る権利───逆は、存在している。一つは今彼の顔半分を覆っている仮面がそうだ。ボクはそんなつもりで提案したものではなかったが、シンクはそれを「ボクに付けられた首輪」のつもりでいるらしい。
もう一つは彼の左耳に存在するピアスだ。透明な鉱石のようで、よくよく見ると花が咲くように形作っている。六花の形をしており、互いに少し縁深い象徴的な見た目になっている。これはボクと彼の繋がりを示すモノとしてねだられた。ボクが彼に穿った楔だ。
それらの逆───ボクがシンクのモノだという証を望まれている。彼は言葉を続けた。
「導師はアンタに髪留めを贈っただろ。アンタは毎日それを馬鹿正直に着けて歩いてる。その上部屋にあいつの贈り物を飾ってるって? 冗談じゃない」
「そんなに気にしなくても」
「ボクの勝手だろ。こっちだってしたくて嫉妬してるわけじゃない。この身勝手な感情がコントロール出来るならさっさとアンタから離れてるよ」
「う……」
要約すると、コントロール出来ない程にボクを求めてくれているということで……気恥ずかしいものはあるが、嫌ではない。寧ろ嬉しい。喜びがそのまま顔に出てしまっていそうで、ちょっと落ち着かない心地になってしまった。
「で? 答えは」
「え。あ……えぇと……いいよ」
「……ホントに?」
「うん。今のボクは君達のモノだから。ボクを縛る権利はシンクにあるよ」
答えれば、シンクは口元を引き結んだ。手首を掴む力が少しだけ増し、頬に触れる手も動きを止める。なんだか、何かの感情を堪えているように感じられる。分からないけど、ボクは大人しく彼の仮面を見上げ続けていた。
やがて、彼は小さく身動ぎをする。頬に触れていた手を離してすぐ横のシーツに沈めると、代わりに手首を掴んでいた手を離す。そのまま指先はするりと滑り、そこへ触れた。ボクの右耳だ。そのまま耳朶が弄ばれる。
「……シンク?」
「ココ。貰うよ」
「貰うって……」
「アンタも耳に着けろって言ってるの。ボクに証を埋めたみたいにね」
「……お揃いってこと?」
「そう。元々ピアスは二つで一揃いでしょ? 右耳の分が必要なんだよ」
「………………」
初めからそんなことを考えていたのか、ボクには分からない。でも彼の言い分は分かる部分があって……ボクだって、彼とピアスを分け合うなら自分がいい。その権利が自分に与えられたことが、素直に嬉しかった。
だから断らない。ボクだって君に繋がれたい。
「分かった。ボクの右耳にも同じものを埋め込むよ」
「聞き分けがいいね。褒めてあげようか?」
「やめて。変な気分になっちゃうから。……とりあえず、シンクの音素振動数を調べないとね」
「……は?」
ボクが至極当然というように口にすれば、シンクは口を開けて戸惑いを示す。なんで、と落ちてきた問いにボクは平然と答えた。
「君のピアス、今のボクの音素振動数に合わせてあるんだ。だから逆もちゃんとしたいと思って。その方がお互いに繋がってる気持ちになれるでしょ?」
「………………」
「シンク?」
何度目か。ボクの言葉に口を開けたまま沈黙してしまうシンクの名前を呼ぶ。言葉を失っている、のだろう。何がそんなに衝撃的だったのかボクには分からない。反応が返るのを大人しく待てば、やがて彼は思い出したように口を閉じ、改めて苦い声を絞り出した。
「ホント、アンタってとんでもないよね」
「そうかな」
「自覚がないのが大概だよ」
感情を逃がすようにシンクが大きめの息を吐いた。そのままボクの隣に転がり直して、腰を引き寄せられて抱き枕にされる。ボクは大人しく収まった。そうして交換される体温に、この上ない安心があるから。
「このままボクの部屋で休む?」
「そうするよ。今晩はアンタに触れてないと気が済まないからね」
「そ、そう」
どういう感情なのか想像が出来ないが、ボクに触れていないと気が済まないことがある……らしい。とりあえずそういうものとして受け入れることにする。
それはさておき、少しだけ体を離すと彼の目元を隠す仮面へ手を伸ばした。時折あるように遠慮なく引き剥がせば、ボクの好きな瞳が現れる。薄闇でも綺麗に映る千歳緑だ。
「寝るなら邪魔でしょ」
「お節介な奴」
返しながら、ボクの手から仮面を引ったくると体を少し起こしてサイドテーブルに置いてしまう。それから体勢を戻し、再びボクを抱え込む。頭の上で深く呼吸をするのが聞こえてきた。からかうように問い掛ける。
「……安心する?」
「調子に乗らないでくれる? 気分が悪いから」
「へへ。いいじゃん、ボクは安心するよ」
そう言って寄せた体に更にすり寄る。するとシンクは少しだけ黙って、抱き寄せる力を増した。一つになってしまえそうな温度の中で、ぽつりと素直な言葉が降ってくる。
「……安心するよ。眼を閉じてもアンタの匂いがする」
「匂いっていいよね。ボクも君の匂い、好き」
「……そう」
そっけない返事だけれど、どうでもよくてそうなっているわけではないと思う。だからボクはそれに構わず眼を閉じた。暗闇の中で触れ合う温度だけが存在を主張する。それが、心地好い。
「……ねぇ」
「うん?」
シンクの呼び掛けに眼を閉じたまま応える。空いている方の手が髪に触れ、シニヨンを解くと手櫛で整えてくれる。その感触もまた心地好く、撫でられるままだ。彼はそうするままに問いを口にした。
「前に言ったよね。ボクにとってのアンタは安全地帯なんじゃないかって」
「ん……うん」
少し頭を働かせてそのやり取りを思い出す。いつかに彼がボクの前でだけ仮面を外す理由を聞いた。その時にそんな話をした覚えがある。彼と過ごす時間が随分多くて少し自信はないが、似たような話をした覚えはないので多分合っている筈だ。
シンクはボクの髪を撫でる手を止めない。
「アンタは?」
「へ?」
「アンタにとってのボクは……同じなの?」
それはきっと、ボクが「安心」という言葉を使ったから出てきた問いなのだろう。少しだけ声に緊張が含まれる気がして、彼にとっては意味のある問いなのだと思う。ボクからすれば当たり前すぎて答えるまでもないのだけど。迷わずに返事をする。
「うん。君の側は安心する。君はボクの居場所だよ。安心できる、居場所」
「……そう」
さっきと同じ相槌だ。でもその声には安堵が含まれている気がして、彼の心持ちは違うのだろうと思う。ボクの言葉で君の不安が和らぐなら嬉しい。ボクの言葉で君が満たされるならもっと嬉しい。今の君は───何を感じてくれているのだろう。
全てを知ることは出来ず、それがもどかしい。でも、だからこそ触れ合ったり言葉を交わすことに意味があるのだと思う。それが時間を重ねることに繋がるのなら……ボクと君は他人だから丁度いいのだろう。そんなことを思う。
だから、その言葉を今改めて伝えたいと思って。ボクは口を開くと気持ちを込めて音にした。
「シンク。ボクは君が好き。前よりずっと、好きだよ」
「───」
「おやすみ」
言い逃げるように告げて、眠りに落ちようとする。返事は期待していなかった。一度告白のようなものをされてはいるが、彼がそういうことを口にするタイプじゃないのは分かってる。別に好意を確認したくて伝えたわけじゃない。ただ、ボクが言いたかっただけ。
なのに。
「……っん」
体が離れたと思った直後、唇に触れるものがある。柔らかく、優しく……甘く、触れて。そっと離れるのが分かって目蓋を上げる。薄闇の中でボクを見詰める千歳緑と眼が合った。
「……あんまり、煽らないでよ。アンタのために我慢してやってるんだからさぁ」
「……キスは、我慢しなくていいよ」
「ハッ……言ったね。泣いて縋ったって離してやらないから」
笑って、再び呼吸が近付く。ボクは眼を閉じて触れる温度を受け入れた。唇を緩く刺激し、やがて捩じ込まれる舌がボクの咥内を荒らし、舌を絡め、翻弄する。
キスが心地好いのはどういうことなのだろう、と考えて前に教わったことを思い出す。「愛」が伝わって、それが心地好くて。「愛」が欲しくて口付けをねだった。ならきっと同じことだ。ボクは今、君がボクに注いでくれている「愛」が心地好い。君の「愛」で満たされたい。
ボクを内側から乱す触れ合いは終わりが見えなくて、ボクは溺れるように甘さの中に溶けてしまう。君がいないとすっかりダメになってしまった自分を自覚しながら、そんな自分を受け入れて。
キス魔なのはボクの方かもしれない、なんて。君に伝えたら、きっと意地悪く笑って口付けてくれるのだろう。それも堪らなく心地好く、満たされるに違いない。そうされたいと願ってしまう。
君とボクは似た者同士で。
君と揃いの楔は、ボクらに似合いの証だ。
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