小話:どこにも繋がらない話
「なに、この部屋」
「知らない? 割と有名だと思うけど」
「知るわけないよ」
「まぁ、ボクも実際に入るのは初めてだなぁ」
そう呟いて、目の前の扉上に掲げられた看板を見上げる。そこにはこう明記されている───キスをしないと出られない部屋。ベタな状況に遠い目をしてしまう。
「やぁ……困ったな」
「困るんだ? アンタなら出る条件が分かってるから、能天気に構えてるかと思ったけど」
「それはそうなんだけど、流石に悪いじゃん。シンクのファーストキスを奪うのは」
「うざ」
「配慮したのに酷くない?」
ファーストキスだと決め付けたからだろうか。でも彼の生き方を見ていると、誰かと親密な仲になったことはなさそうに思う。合ってると思うんだけど。
「……アンタは?」
「なにが?」
「ファーストキスなの?」
「へっ?」
気にされると思ってなくて変な声で応えてしまった。なんだか気まずさを含めながら事実を告げる。
「初めて……ですけど」
「ふぅん?」
仮面の下で意地の悪い笑みを浮かべたのが見える。からかわれる未来が見えて、シンクが溢した「うざ」の気持ちがちょっと理解できてしまった。先手を打つ。
「じゃ。キスして出よっか」
「出来るの?」
「出来るよ、それくらい」
答えたものの、知らない。明らかに売り言葉に買い言葉だ。言ってしまった手前引き下がれない。挑発するように逆に問い返す。
「シンクは出来ないの?」
「……はん。後悔するよ」
「後悔するようなキスはちょっと、流石に控えて欲しい」
思わず本音が漏れてしまった。いやだって、流石に怖いじゃん。ファーストキスならせめて後悔しないキスがいい。正直者の言葉にシンクが呆れを示す。
「アンタはあんまり状況に左右されないよね。無神経で羨ましいよ」
「褒めてないって分かるからね」
「こんな部屋に入れられて、平気でキスしようとする奴には妥当な評価だと思うけど?」
「……まぁね」
答えながら、ちょっと眼を逸らしてしまった。平気でキスをしようとしている訳ではない。平気なフリをしているだけだ。ボクが気にする素振りをしたら、絶対に空気が変になる。部屋を出てからも顔を合わせる関係なのだ、気まずいのは困る。
とにかく、と話を前へ進める。
「しよっか、キス」
「………………」
「シンク?」
急に返事がなくなって顔を見る。彼は仮面の向こうで沈黙していて、それがどういう種類の沈黙か分からない。やはりファーストキスだから抵抗があるのだろうか。そう思えば、彼は思わぬ要求をした。
「アンタからしてよ」
「え。なんで」
「出来るんじゃなかったの?」
「……出来るけど」
「なら、いいよね?」
口元に意地の悪い笑みが戻っている。さっきの言葉を悪用してきて、からかわれていると判断する。そっちがその気ならこっちも遠慮はしない。びっくりさせてやろうとシンクのパーソナルスペースに踏み込んだ。
「……っ」
「ホントにするよ?」
「……やってみなよ」
僅かに、互いの声に緊張が混じる。変わらず売り言葉に買い言葉のように振る舞っているけど、どっちも気にしてるのが露呈した。痛い腹を探られたくないからお互いに気付かなかったフリを選ぶ。
ボクとシンクは、シンクの方が身長が高い。極端な差ではないがちょっとの背伸びは必要だ。そう判断したところで、別の障害に気付く。……言いたくない。
「……なに?」
「いや……」
表情の変化に気付かれて問われる。どうしても言いたくない。でも言わなければならない。このままキスをするのは流石に難しい。でも言ってしまえば……互いの顔が見える状態でキスをする羽目になる。
気まずい、と思いながらも仕方がなくそれを伝えた。
「……仮面。取って」
「………………」
ボクの要求に、シンクも気付いたらしい。しかしすぐには外さない。何を思っているかは分からないが、明らかに抵抗がある様子だった。
躊躇いを表すように緩慢な動きで手が仮面へ伸び……外される。時々しか見られない素顔が晒された。
「………………」
「………………」
露骨に眼を逸らしてしまう。シンクの側も黙っているので余計に気まずい。小さく息を吐く。腹を括ろう。
「シンク。その……身長差が、ありましてね?」
「……だから?」
「だから……掴まっていい?」
「…………好きにしなよ」
答えながら声が固い。投げやりそうに聞こえるのに、その実気にされてるのが伝わってしまう。それでも今更引き下がれない。……部屋を出る必要はあるのだし。
勢いに任せてしまおう。そう決めて、僅かにあった距離を無くす。両手をシンクの胸に添えて安定させると、唇を触れさせた。
触れるだけのキス。一瞬の出来事にしてしまいたくてさっさと体を離そうとする。でも、シンクは思いもしない行動に出た。
「!」
添えた手が掴まれ、もう片手が腰に回る。引き寄せられて、一瞬で離れた体の距離が再び無くなった。必然、唇も触れ直す。呼吸が、呑まれる。
「───っ」
咄嗟に眼を瞑る。抵抗なんて過りもしなくて、体は緊張で強張っていた。手を掴む温度が熱い。触れられた腰から変な感覚が上がってくる。触れるだけでないキスに、翻弄される。
「……は、」
されるがままの時間がどれだけあったのか。やがて唇が離れて、目蓋を上げる。至近距離で千歳緑の瞳と見詰め合う。
「……なん、で」
「……理由。知りたい?」
「………………」
知りたくない、と思う。知ることで何かが変わってしまう予感がして、それを厭った。答えられないボクに、その瞳は不思議な熱を宿したまま囁く。
「どうせするなら、後悔しないキスがいいんでしょ」
「……うん」
肯定する。間違ってない。でも、状況は間違いで。
「……扉、開いたかな」
「気になるの?」
「そのためにキスしてるから」
「……そう。そのためのキスだ」
囁いて、もう一度体を引かれる。きっと扉はもう開いてる。二回もキスをすれば十分だ。でもボクは眼を閉じて、降りてくるものを受け入れた。扉を開けるためという言い訳を重ねて。
三度目のキスは、お互い様だった。
ファーストキスはあまりに熱くて。
忘れられそうにない。